004
「……これで、大丈夫でしょう」
聖壇前の長椅子の上に寝かされているラクト少年の額から手を離して、初老の神父はふぅと緊張を解くように息を吐いた。
髪の毛一本ない禿頭の、穏やかな面立ちをした人物だ。
灰色の質素な修道服に包まれた身体は、いささか腹が出過ぎているようにも見える。
そこは小さな教会の、礼拝堂の中だった。
飾り硝子を透けて差し込む陽光に淡く照らされた堂内は、細長い間取りになっている。
大きな樫造りの扉から、奥に設けられている聖壇まで赤地の絨毯が伸びており、その左右には木製の長椅子が三列並んでいた。
聖壇は小さなもので、金糸で縁取りされた赤い布の掛けられた台の上に、三又の燭台が乗っているだけの簡素なものだ。燭台に灯されている蝋燭は一本だけだった。
「もう少し遅ければ、私の祈祷などでは間に合わなかったでしょう。貴女にはお礼を言わなければ」
神父は片手で開いていた聖典をぱたりと閉じて、顔をあげた。
その先には騎士服姿の女性が所在なさげに立っている。
「この子が助かったのは、貴女のおかげです」
彼女がぐったりとしたラクトを担いで礼拝堂に飛び込んできた時はどうしたことかと驚いた。呪骸に襲われたと聞いて、もう駄目かとも思った。
慌てている神父に、癒しと浄化の聖句を読み上げるよう冷静に指示したのは彼女だ。
そのおかげで、どうにかラクトが助かったことに、改めて神父が頭を下げる。
「い、いえ。私は、別に何も。少年が助かったのならば、それで」
礼を言われた彼女は居心地悪そうに身を捩った。
顔に張り付けたような仏頂面のせいで感情が読みづらいが、ここへ来てから妙にそわそわとしている。
そんな彼女を不思議そうに見つめながら、神父は思い出したように口を開いた。
「おっと。申し遅れましたな。私はこの街の教会を任されている、フェリンと申します。どうぞ、よろしくお願いします」
「こ、こちらこそ!」
そう自己紹介をした彼に、女性も慌てたように名乗り返した。
「シルフィ・ロックウェルと申します」
そう名乗った彼女に、神父はやはりなと頷いた。
騎士服を着て、剣を腰に下げていることから予想はしていたが、家族名を名乗ったことで確信した。
彼女は貴族の出だ。
しかも、恐らく。かなり高位の家の出だろうと思う。
そうでなければ、女性が騎士になどなれない。
一つだけ分からないとすれば、そんな貴族の令嬢が何故、旅などしているのかという事だ。
旅塵に薄汚れた彼女の姿を見ながら、フェリンはそう首を傾げる。
いや、貴族が旅をすること自体はそうそう珍しい事でもない。
ただ、そういった場合でも貴族は大抵、馬車を使う。
徒歩で旅をするというというのは聞いたことが無い。
もっとも、それも彼女が騎士であるとすれば、少しは説明がつく。
女性の騎士というのはこの国でも珍しく、その多くは特別な任務を任されていることが多い。
名乗る際に、自分の名前以外を明かさなかった事から、旅の目的は伏せる必要があるのかもしれない。
ならば、あまり詮索はすべきではないなと、そうフェリンは自分を納得させた。