003
初めに聞こえたのは、鈴が擦れるような涼やかな音。
次いで、板金を無理やり引き裂くような破裂音。
異なる二種類の金属音がほとんど同時に響いて、それきり辺りは静かになった。
恐る恐るラクトが目を開けると、目の前に巨大ハサミムカデの死骸が転がっていた。
半ばで切断された胴体。何か、凄まじい力で叩き潰されたような頭部。
その傷口からは体液ではなく、黒い蒸気のようなものがじゅうじゅうと音をたてて漏れ出ている。
尻もちをついたまま、ラクトが茫然としてそれを見つめていると。
「大丈夫か、少年」
ふと、凛々しい女性の声が彼の耳に届いた。
声につられるように、ラクトが顔をあげる。
そこに立っていたのは、剣を手にした若い女性だった。
青い騎士服に白いズボン、皮のブーツと男性風の装いに、控えめな胸元を守るように白銀の胸当てを着けている。
身体の線は細く、その華奢な体躯を隠すように薄汚れた焦げ茶色のマントを羽織っていた。
年齢は二十歳そこそこだろうか。
後頭部で一つに纏められた金髪。
透き通るような白い肌と、強い意志の光が宿る、大きな碧色の瞳。
すっと鼻筋の通った面立ちはまるで聖処女像のように均整がとれている。
だというのに、そこに浮かんでいるのは酷い仏頂面だった。
「少年?」
ぼうと彼女を見つめたまま返事を返さないラクトに、女性がもう一度呼びかけた。
「大丈夫か、怪我はないか」
そう尋ねる女性に、ラクトはハッとして頷いた。
慌てて、何度も首を縦に振る。
「そうか。それは良かったな」
女性はまるで他人事のようにそう言って、手にしていた剣を腰の鞘へと納めた。
「どうやら、君の祈りは届いたようだ。主の御慈悲に感謝すると良い」
「なぁに言ってんだよ」
そこへ、別の声が割り込んだ。
「頭を吹っ飛ばしてやったのは、俺様だろうが」
踏ん反り返るような言葉とともに、女性の背後から現れたのはラクトよりも少し年上に見える少年だった。
ぼさぼさの短い黒髪に、やや浅黒い肌。
幼さの残る面立ちには悪戯好きそうな笑みを浮かべている。
粗末な衣服の上から、真っ黒なフード付きのマントを羽織り、その身体つきは痩せ型というよりも貧相に見えた。
「アンタたち、いったい――」
何者なのか。
そう訊こうとして口を開けた途端、ラクトは激しく咳き込んだ。
散々走り回ったせいで息が切れているというのもあるが、それにしても酷く苦しい。
懸命に息を吸おうとすると、喉と肺が焼けるように痛んだ。
「いかん」
体を折り曲げて苦しんでいるラクトに、女性が焦ったような声を出した。
素早く彼に近づいて、その背を優しく撫でる。
その手つきは、表情からは想像もつかないほど柔らかいものだった。
「少しだが、正気を吸い込んでしまったようだ」
咳込むラクトの背を擦りながら、女性が悔いるように言った。
「少年、君の住んでいる街は? ここから近いのか? そこに教会はあるな?」
矢継ぎ早に問う彼女に、ラクトはどうにか頷いた。
「どっちだ?」
彼女の言葉に、震える腕を伸ばして街のある方向を示す。
「分かった」
それに頷くなり、女性はラクトを肩に担ぎ上げた。
「少し乱暴だが、辛抱してくれ」
詫びるようにそう言った彼女へ頷こうとして、ラクトは再び咳き込んだ。
熱病に冒されたように頭の中がぼんやりとして熱い。だというのに、手足は冷水に浸かっているかのように冷たく感じた。
「手ぇ貸してやろうか?」
黒髪の少年の、からかうような声が聞こえた。
「要らん」
突っぱねるようにそう答えて、女性が駆けだす。
その肩で揺られながら、ラクトはほどなくして意識を失った。