講師を確保しました
「改めましてマリサ様にご挨拶を。私はオーラリネリア王国七賢議会の第七席、レオン・グランヌーヴェと申します」
「レオン様の側付きのリーンと申します」
二人が挨拶してくれましたが、私はこそばゆくって仕方ありませんでした。
「笹森真理紗です。ええと、堅苦しいのは苦手なので、先程怒鳴り込んで来た時みたいな感じでお願いしたいのですが」
レオンさんは「ですが」と食い下がりましたが、私は続けました。
「私は貴族という訳でもありませんし、まだ陛下と正式に結婚したわけでもありません。ただのいち平民を敬うのはおかしいでしょう」
むしろレオンさんはお貴族様なので、下手したら私が平伏しなければならないところです。しかしレオンさんはいい人そうでしたから大丈夫だと確信していました。レオンさんはふっと肩の力を抜きました。
「流石、あの陛下だ。ここで陛下の婚約者としての立場を使っておれを叩きだそうとしたら、本を盗んだ主犯として牢にぶち込んでやろうと思ってた」
だいぶ口調が砕けました。だいぶというか、粉々に。そういえば、グランヌーヴェ卿の養子になった平民が七賢にいるという話を思い出しました。
「レオンもこっちの口調のが楽そうだもんねー。でもボロは出さないようにね」
ニコニコとレオンさんをからかうリーンも、柔らかい口調になっていました。リーンはレオンさんに敬語を使わなければいけない立場ですが、こちらも普段は敬語を使っていないのだろうといういい意味での気安さが滲み出ていました。「わかってるよ」とレオンさんに頭を撫でられて、嬉しそうにきゃらきゃら笑っていました。
「美味しいなぁ……」
思わず呟きますと、レオンさんがギクリと体を強張らせ、小さく咳払いをしました。
「さて、仕事をするぞ仕事を!」
「「はーい」」
私とリーンは仲良く返事をして、本を片づけにかかりました。エレーヌはこっそり逃げ出そうとしてレオンさんにガミガミ怒られていましたが。
しばらくしてリーンが「あれ?」と声を上げました。
「どうかした?」
訊きながら手元を覗き込むと、マナーや作法の本でした。パラパラと捲っては顔をしかめています。
「お作法なんて、実際にやってみないと身につきませんよー。それに時代と共に進化していくのですから、本はほぼ役に立ちません」
「まあ……そうですよね……けどレンが講師をつけるにしても信用できる人がゼロだとか悲しいこと言うから」
異世界だしその辺は日本と違うのかな、と思っていた私、やはり甘かったのです。すると突然、リーンがパタンと本を閉じました。
「レオンを講師につけるようにお願いしてみたらどうですか?」
「はぁ!?」
声を上げたのは私ではなくレオンさん。並みのチンピラなら尻尾巻いて逃げ出しそうな凄みのあるお顔でした。リーンはそれを真正面に受け止めながらも満面の笑みで返します。
「ほら、レオンの奥さん。リリアンヌ・グランヌーヴェ様! あの方なら喜んで引き受けてくれると思うんだけどなぁ」
リーンの言葉を聞いて私は付け焼き刃の知識を引っ張り出していました。確かリリアンヌ・グランヌーヴェ嬢は旧姓グランセルネール。ほとんど社交界に姿を見せない深窓の令嬢にして、グラン七貴族の中でも一、二を争う格式高いグランセルネール家の長女です。
あ、グランを冠する七貴族というのはこの国の興りに関わる古い貴族のことです。プライドが高く安易に関わってはダメだとレンが言っていました。そういえばレオンさんもグランを冠する貴族でしたが、怒鳴り声がインパクト大すぎて忘れていました。
しかしこの主従、完全にリーンがレオンさんを尻に敷いているなぁとしげしげと眺めておりました。今もリーンの提案にレオンさんの頬はひきつっています。
「え……だって、リリアンヌは体が弱くて」
「ダメ元でいいんだよー。ね、お願い」
この時私は見ました。あざと可愛いの権化を。リーンが傾げた首の角度はパーフェクト。上目遣いの瞳はうるうる。ちょっと困ったように眉をハの字に下げまして。唇はつんと結んでおります。ノーとは言わせない無言の圧力。返答を待ってゆっくり瞬く瞼に合わせて頷いてしまいそうになります。
けれどリリアンヌ嬢はお体が弱いとのこと。あまり無理をさせるのは良くないと思った私が口を挟むことにしました。
「そんな、私のために体の弱い人を無理に呼びつけるようなことはしなくていいです……」
レオンさんはほっと息をつき「そうだよな」と返しますが、その顔には助かった! と書いてありました。対してリーンさんは唇を尖らせあともう一息だったのに、と物凄く不満そうな顔をしています。私は妥協案として「けど」と付け足しました。
「私はリーンに教えてもらおうかな」
リーンは大きなサファイアみたいな目をパチンと瞬かせて「僕?」と自分を指差しました。
「僕もただの平民だけど、いいんですか?」
「あなた以上にいいお手本、なかなかいないと思う。私の勘だけど」
私にあそこまでのあざと可愛さが出せる気はしませんでしたが、習うならリーン以上の適任はいない気がしたのです。
「そうすると、側付きのリーンを借りてしまってレオンさんは不自由するかもしれないですけど」
そう言ってレオンさんを見れば、なぜか天を仰いでいました。様子が変だなと思っていたら、しばらくしてから絞り出すような声がしました。
「ああ……もうリリアンヌに頼むから大丈夫……」
「えっ」
リーンでいいと言ったのになぜそうなってしまうのか、私は全くわかっていませんでした。リーンが満面の笑みを浮かべて「よかったですねー、マリサ様」と言う意味も。