逢瀬……?
語り手は真理紗なので、真理紗が動揺すると当然地の文は乱れます。そういう仕様です。
私はとうとう、夜中にランタンを持って部屋を飛び出しました。向かうは厨房、求むるは和食! 白い米! 衛兵と鉢合わせたらどうしようかと思いましたが、エレーヌが「かくれんぼに丁度いいの」と隠し通路の存在を教えてくれました。少し狭いですが移動は楽々です。
しかし楽々なのは厨房まででした。調味料入れを覗いて愕然としました。醤油が、味噌が、みりんがなかったのです! 絶望しました。胃に穴が開いて死んでしまうと思いました。とぼとぼと帰りかけた時、ヒールの音が妙な響き方をする床に気がつきました。そこで思い出したのは、言わずと知れた床下収納の存在です。敷物を心の中で謝りながらペロッと捲り、指を走らせると目立ちませんが取っ手を見つけました。期待せずによいしょと蓋を持ち上げると、そこは階段になっていました。食料庫であろうとあたりをつけ、しかし地下室という響きに冒険心がくすぐられ、私は迷わず足を踏み入れました。
「うわぁ……」
感嘆の声を上げてしまったのも無理はありません。そこにはもうひとつ小さな台所があったのです。地上の大きな厨房ではなく、台所と呼ぶのに相応しいこぢんまりとしたものでした。そして壺! 壺が並んでいたのです! 期待してしまいます。だって壺の中身といえばじゃないですか。飛びついて蓋を開けた私はさぞ目が輝いていたかと思います。
「神様……!」
神に感謝したのは無理だと思っていたタイムセールの卵を確保できた時以来でしょう。味噌、昆布、鰹節、乾燥ワカメを発見したのです。
「これは私に味噌汁を作れと言っている……」
今にして思えば、ちょっと頭のおかしい発言だったと思います。ともあれ、私は味噌汁作りを開始しました。鰹節を削ったことはありませんでしたがなんとなくきゅこきゅこと削り、上の厨房からカブをひとつ拝借。皮を剥いて葉を刻み、ワカメは水で戻しておく。昆布は水から、鰹節は沸騰してからダシを取ってザルで濾す。野菜を入れて火を通し、ワカメを投入。味噌を溶けば出来上がり。味見をしたら涙が出そうになりました。
「母上……?」
か細い声にハッとして振り替えると、階段の所にレンが立っていました。夜中だというのに寝巻きにも着替えていません。ランタンの火のせいか顔に翳りが見えます。
なんて目をしているんだ。
私は絶句しました。近所の子ども達は絶対しない、深い悲しみを閉じ込めた目をしていました。しかしそれもすぐに冷たく冷めてしまいました。
「ああ、すまない。お前か。しかしこの香りは……」
「味噌汁です、陛下。いかがです?」
「いただこう」
冗談半分で誘ったのですが、あっさり椅子に座りました。味噌汁がなんなのかわかっているのか首を捻りましたが、王様をお待たせする訳にもいかず適当なお椀に入れてお出ししました。箸はないのでスプーンを添えて。レンはスプーンの先を浸けた後、懐からまさかのマイ箸を出してきました。しかも両手を合わせて「いただきます」も言います。一口啜ったのを見て訊いてみました。
「お口に合いますでしょうか?」
「美味いな」
年相応の無邪気な笑顔でした。柄にもなく頬が熱くなってしまったことですよ。
「そりゃ、どうも。以前は陛下のお母上が作ってらしたのですか?」
訊くとギロッと睨まれました。
「今更陛下とは他人行儀な。初対面で余の頬を引っ張ったくせに」
「あーそんなこともありましたっけねー」
私は以降変に取り繕うのをやめました。第一印象は大事ですね。笑って誤魔化そうとすると鼻で笑われました。
「余は忘れぬぞ。……しかし、よくこれが作れたな。お前の世界では普通なのか」
「ソウルフードってやつですね」
「そ……なに?」
「気にしないでください。ただの日本語なので」
「そうか。余は、何度作ってもうまく作れなかったのだがな」
ここで、レンが涙声になっているのに気がつきました。思えば、レンの父は処刑され母は国外追放されています。幼い頃に事故で両親を亡くした私と似たような境遇なのです。すると妙に親近感がわきました。
「……じゃあ、また味噌汁作りましょうか?」
私の提案にレンはばっと顔を上げました。本当か!? と大きな文字が書かれていそうな顔でした。
「私が帰るまでの期間限定でよろしければ、ですけど」
「なら毎日作れ!」
「え、……まあいいですけど」
一昔前のプロポーズかよ、毎日はめんどくさいよ。……そんな色々は無邪気な笑顔の前に撃沈させられたのでございますよ。