絡まった糸をほどくように
喧嘩をした場合、先に謝った方が負け、とはよく言います。
しかし私はレンの七つほど年が上ですし、怒り続けるのにもエネルギーが要ります。向こうが謝ってくるまで絶対に許さないんだからっ! ……などという、面倒可愛い性格でもありません。ただ疲れるだけなので、さっさと謝りに行きました。
行ったのですが。
私はずっと、謁見の間の大扉を見上げていました。ぼうっとしていた訳ではありません。ちょっとシュミレートしていただけです。なんと言って謝ればよいのでしょう。昨晩の感情の動きは、私自身にも理解できていなかったので。
「どうかなさいましたか、マリサ様」
朗らかな声に振り向けば、リーンとレオンさんがいた。
「二人共、レンに呼ばれたの?」
訊くと、レオンさんが頷きました。
「マリサ様は陛下にご用事ですか?」
お披露目も済んでいますので、レオンさんも普段は私に敬語を使うようにしたようです。私用なので返答に詰まっていると、リーンがレオンさんの袖を引きました。
「ねぇレオン、僕はマリサ様とお話ししててもいいかな?」
「……まあ、確かに命令の中にリーンの名前はなかったな。別にいいんじゃないか」
「ありがとっ」
渋面のレオンさんにリーンが満面の笑みでお礼を言うと、私に近寄って小声で囁きました。
「マリサ様、陛下にお会いしにくい理由があるのですね?」
リーンの観察眼は本当にすごいと思います。その言葉に私が一瞬動揺したのもわかったのでしょう。当たったと言わんばかりにくすっと笑いました。
「僕に話してみませんか? 少しは気が楽になるかもしれません」
私はちらっとレオンさんを見ました。本当に借りていいの、と。レオンさんが僅かに頷いたので、私も心を決めました。
「じゃあ少しだけ相談に乗ってもらおうかな。リーンの意見を聞いてみたい」
「僕でよければ喜んで。そうですね、東側の控室を使いましょうか。丁度陛下が人払いしているようですし」
「え」
私はつい声を上げました。人払いしているということは、レオンさんはなにか重要な話をされるはずです。呼ばれていないからといって側付きのリーンが離れていいかといえば、微妙なところです。
「いいんですよ。レオンがいいって言ったので」
リーンはけらけら笑っていました。実際言う通りでしたので、もしかしたら何故呼び出されたか見当がついていたのかもしれません。
いつもお客様がひっきりなしにやって来るので、私が二階の控室に入ったのはこの時が初めてでした。淡いブルーで統一された室内は、海の中にいるかのような錯覚を引き起こします。部屋の中央にあるL字型のソファーだけが白い革張りで、真珠でできた貝殻のようでした。
私達はそこに座り、ガラスのローテーブルにお菓子を広げていました。リーンが持っていたハート型のパイです。源氏パ……いえ、なんでもありません。
けれど、私はそれを口にすることもなければ会話を切り出すこともせず、レースのテーブルクロスをぼんやり見つめながらリーンがパイを囓る音を聞いていました。
いえ、いつまでもそうしている訳にもいきませんので、重い口を動かしたのはリーンが三つ目のパイを小さな口に咥えた時でした。
「あのさ、今だけリリアンヌとして話を聞いてもらっていい?」
レオンさんの側付きの少年兵ではなく、レオンさんの奥さんであるリリアンヌとしての意見を聞きたかったのです。リーンはパイの欠片を丁寧にハンカチに取り除いてから、膝を閉じて横に流し背筋をしゃんと伸ばしました。
「どうぞ」
見事なスイッチの切り替えでした。早く、話さなければと思いましたが、それでもやはり、言い出しにくくて、溜息をついてから呟くように訊きました。
「私、お母さん気分、だと、思う?」
なんとか絞り出した問いはひどく抽象的でした。リーンが相談相手で本当によかったです。
「風花姫に、そう言われたんですか?」
優しい声音に促されるまま、私は桜花国での出来事を話し始めました。




