第17話:後ろ姿
俺とエアは、アカデミーの研究所長室に隠されていた扉を開け、その先の通路へと進んだ。
エアの光魔法の灯りを頼りに、冷ややかな通路を行く。
30秒ほど歩いた先には、地面に魔方陣の文様が描かれていた。
「イシカ。これ」
「あぁ。予想通り、転移魔方陣があったな。
おそらくこれが地上につながっているんだろう」
「転移魔方陣って、アーニャが失踪した地点で見たやつは、1週間程度で文様が消えるはずだったよね」
「普通の魔方陣はな」
エアの言葉に、俺は頷いて答える。
「アカデミー計画が凍結されて2年も経ったのに、まだ地面に魔方陣の文様が残っているとなると……。
これはまだ作動する魔方陣なわけ?」
「そうなるだろう。
従来よくある人間が流し込む魔力を触媒として発動する単発型の魔方陣と違うタイプだな。
これは魔方陣の文様自体が特殊な儀式を経て、莫大な魔力を使って編まれた永続型の魔方陣だ」
「これを作るのに、手間も費用も、とんでもないことになっただろうに」
エアが無表情のまま魔方陣を見て、言った。
「まぁ職員の運搬手段を魔方陣にしようと思えば、そうするしかなかったんじゃないか。
で、どうする、エア。これに乗らない手はないと思うが」
「この魔方陣の転移先が気になるね。マフィアのアジトに直接つながってたりして」
「その可能性は高いと思うぞ。
転移先を迂闊なところに設定して、間違って誰かがアカデミー内に逆転移してきたら機密にしている意味がなくなるからな」
「ふむ……」
「俺は乗るが、エアはどうする?
エアは『ショートジャンプ』を使って迷宮から脱出してもいいが」
「私も乗るよ。イシカを一人で危険な目にあわせるわけにはいかない」
「優しいね、エア」
俺はにやっと笑って、エアに言った。
彼女はしばらくこちらを無表情で見つめ返し、嘆息する。
「……ふだんはズボラなくせに、こういうときだけそういう言葉かけるんだから。
どうせアーニャも、その共感性の高さでたらしこんだクチでしょ」
「知らねえよ」
エアの冷ややかな言葉に、俺はくつくつと笑う。
「ま、いいや。アーニャを見つけ出した時には、私と彼女で正々堂々と勝負するまでだ」
「まさか、俺を取り合って?」
「そうだよ」
冗談でごまかされるかと思ったが、エアは表情を変えずに頷く。
嬉しさより、気恥ずかしさが先だった。
「……この話題はもうやめよう」
「……だね。さっさと転移魔方陣に乗ろう」
俺とエアは恋愛の話題を休戦にすることで合意し、転移魔方陣の上に乗る。
地面に描かれた文様が激しく光り輝き出し、魔方陣が俺とエアの魔力を吸い上げる。
視界が明滅し、一瞬ののちに、俺とエアは星乙女の迷宮の中から転移していた。
◇ ◆
俺たちが転移した先は、どうやらどこかの廃倉庫のようだった。
長年使われていないのか、腐った木材や破砕された石材が、広い室内に大量に放置されている。
俺とエアは互いに警戒体勢をとっていたが、とりあえずいきなり襲われる気配はなかったので、警戒を解く。
「どこだろう、ここ」
「迷宮都市ラヴァンダであることを祈るばかりだが」
俺たちは廃倉庫の中を慎重に見渡しながら、ひとまずの危険がないことを察知すると、出入り口の扉に向かい、外に出た。
あたりは異臭が立ち込める廃墟が建ち並んでいる。
地面にはいたるところに汚物がぶちまけられており、ボロ布をまとっただけの浮浪者が死んだ目をして寝転んでいた。
「ここは……もしかして、迷宮都市のスラム街?」
「みたいだね」
太陽は角度を大きく落としていて、スラム街の廃屋をオレンジ色に染めている。
夕暮れ時だったが、しかし何か周辺が騒がしい。
ドタドタという大量の足音と、人の怒声が、遠耳に聞こえてくる。
「なんだろう?」
「わからん」
俺たちは廃倉庫から足音がするほうへ、警戒しながら近づいていった。
すると、こんな声が聞こえてくる。
――いたぞ、こっちだ! 追え!
――あのアーニャという女が、例の計画の機密情報を握っている。なんとしても捕らええて始末するんだ!
「っ……! エア」
「イシカ……これはなんというタイミングで」
「あぁ。失踪したアーニャが追われているらしい」
「助けに行こう。私がショートジャンプで先回りする」
「頼む」
エアが【天使術】の『ショートジャンプ』を使って、その場から消失した。
次の瞬間、『パーティーコール』によってエアの元へ俺が引き寄せられる。
「っとと」
コールされた先は、廃墟のうちの一つの中だった。
エアは立て続けに『ショートジャンプ』と『パーティーコール』を使って、アーニャを追っているらしき者たちに見つかることなく、巧みに位置を変えながら近づいていく。
都合、4度目のジャンプとコールがなされた時、追手たちの怒声が響いた。
――囲め! 魔法を使って逃げ場所を誘導させるんだ!
――空間魔法で無限回廊に閉じ込めろ! アーニャだけはなんとしても生きて逃すわけにはいかないんだ
――分かった。やってみる
廃墟の中から上空を見上げれば、冒険者風の少女が、スラム街の屋根から屋根へ飛び移っている後ろ姿が見えた。
その背後から、アーニャを追い落とそうと、追手たちが巨大な空間魔法を構築し始めている。
「空間魔法……。あれにアーニャが捕まると危険なことになるね」
「俺が『エヴァキュエートエリア』を使ってアーニャの逃走を援護する!
エア、追手たちの中心に俺を運んでくれ」
エアは俺の言葉に、瞬きをしながらこちらを見た。
「いいの? アーニャの逃走を幇助すれば、イシカに危害が加えられるかもしれない」
「アーニャの危険を黙って見過ごすわけにはいかねえだろ」
「さすが、男の子」
その言葉を残し、エアが再びその場から『ショートジャンプ』を使って消失する。
そして次の瞬間、スラム街の通路の上に『コール』され、俺とエアは追手たちの目の前に飛び出た。
「なっ、お前ら……、迷宮に入っていたはずじゃないのか!?」
相対する追手の容貌を見れば、顔見知りが何人かいた。
それは大手クラン『ストレミーア』のメンバーだ。
マフィアとズブズブというのは、本当だったわけか。
「悪いね。アーニャは俺のダチなんで。
『エヴァキュエートエリア』!!」
俺の使ったスキルの効果が発動する。
10メートル大の空間に、60秒間すべての魔法効果を消失させるエリアが出現する。
『ストレミーア』の追手たちが張っていた空間の牢獄を作り出す魔法が、強制解除される。
「クソっ! 俺たちが作り上げた空間魔法が……!」
俺が空間魔法を破壊したことによって、『ストレミーア』のメンバーが呆然とする中、スラム街の屋根を駆けていくアーニャの背中を振り返る。
徐々に小さくなっていくアーニャの背中が見えたが、違和感が一つだけあった。
髪が金髪ではなく、銀髪だった。
「イシカ、てめぇ……。『ストレミーア』に楯突いて、タダで済むと思うなよ」
俺は再び追手たちに振り返ると、彼らは鬼のような形相で俺とエアを睨んでいる。
スラム街の通路で俺とエアを取り囲むように、『ストレミーア』のクランメンバー10数名が、円を描く。
「エア!」
俺の言葉に、エアが頷いただけでその場から消失する。
『ショートジャンプ』を使って逃げたのだった。
『ストレミーア』のクランメンバーが舌打ちして俺を睨む。
「チッ……! 『ヴァルキリー』の【天使術】か!
つくづく厄介だな!
おい、イシカだけでも押さえろ!」
『ストレミーア』のメンバーが俺に襲いかかろうとした時、近くの廃墟の中に身を隠したエアの下に、『コール』された。