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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【掌編】蟲毒

作者: 伊藤紙幣

「くそっ、くそっ!!」


 都内のとある小さな公園の中。夜の12時を回ろうかという真夏の真夜中に、頬を酒色に染めた千鳥足の男が悪態とともに歩みを進めていた。

 カッターシャツの胸元は乱れ、ポマードでり固められていた白髪まじりの前髪が柳のように風に靡いている。


「あのガキども……あのガキどもめ、調子に乗りやがって、思い上がりやがって!」


 誰にともなく罵声を吐きつつ、公園の道脇にあるベンチへと乱暴に腰掛けた。

 とてもまずいことになった。このことが自分の勤めている大学に知れれば一大事だ。

 と、やけ酒の頭を抱えて考え込んでいると。


「……ん、誰かいるの?」


 すぐ隣から幼い声がささやいた。

 どうやら暗がりでよく分からなかったが、先客が居たらしい。

 スーツ姿の男、須藤辰巳がそちらを見ると、そこには子供が寝そべっていた。

 子供。そう形容するしかない風貌だった。

 体の大きさは小学生くらい。オレンジ色のTシャツと簡素なジーンズ、白いスニーカーという出で立ちで、頭には広島カープの野球帽をはめている。

 どうみても子供だ。しかし、子供が出歩く時間帯ではない。


「何してるんだ、こんな時間に。親が心配するだろう。早く家に帰りなさい」


 すると子供は、


「こどもあつかいすんな。おいらは末吉すえよし新太あらた蟲使(むしつかい)の修行の一環で、人の恨みを晴らす旅をしてんだ。――ところでおっちゃんさ、殺したい相手とか、いない?」


 辰巳は驚くが、やがて息をひとつ吐く。

 自分の子供の頃もこういう『設定』をして遊んだものだ。


「あっ、信じてないな! よーしみてろぉ」


 無邪気な口調のあと、子供は目を瞑って深呼吸し、ベンチの正面にある木へと手のひらを向けた。

 するとどうだ。突如、蜂の数匹が飛び出し、耳障りな羽音を立ててこちらに突進してくるではないか!

 慌てて目を瞑ったが、自分の直前で羽音が消えうせたのが分かると、目を開く。

 目を疑った。なんと五匹の蜂が、すべて子供の右手の指先に止まっていたのだ。


「せっかくの夏休みだっていうのにさ、おじいちゃんとかが修行しろってうるさいんだ。仕事して100万円くらいためてかえってこいって。だから、殺しのてつだいするよ」


「本当か!?」


 新太は嬉しそうにうなずいた。

 辰巳は大学の数学教授だ。しかし、単位を餌に女学生と援助交際していたのが同じ大学の不良グループにバレて、おおやけにされたくなければ大金をよこせとゆすられていた。

 金を渡したからといって黙っている保障もない。だからたとえ殺してでも口封じする必要があった。


「どうでもいいや、つまらないし」


 辰巳の簡単な動機説明に、新太はあくびで返した。


「じゃあ前金で5万円ね」


「5万だと……? 高すぎる!」


「しょうこも残さずに殺せるんだよ? 安すぎるくらいだと思うけどなぁ。それにおいらも準備しなきゃいけない。また明日、同じ時間にここに来てね」


 しぶしぶ差し出された辰巳の現金を握り締めると、そう言い残して新太はどこかへと歩いていった。




 翌日の同じ時間、新太が姿を現した。

 その手には、両手にすっぽりはまる程度の大きさの朱塗りの壷が握られていた。

 木の蓋がされ、その上に拳くらいの重そうな押さえ石が載せられている。


「中には何が入っている?」


「うーん……見ないほうがいいと思うけど……見る?」


 興味本位で辰巳は首肯する。

 街灯の下に持っていって石を外し、木のふたをわずかにずらす。

 糞を舌の上で転がされたような臭いがした。

 そしてその中には――大小さまざまな『蟲』が闇の中でうごめいていた。


 噴きあがってくる強烈な吐き気に口を押さえ、蓋をしめた。


「みみず、なめくじ、ひる、むかで、くも、へび、かえるとかがたくさん入ってるの。この呪符におっちゃんの名前を血で書いて壷に貼って、土のなかで1週間眠らせる。今はまだ入れといたねずみの死骸を食べてるから大人しいけど、なくなったら共食いをしはじめる。生き残った最後の一匹がおっちゃんの蟲ね。霊的な力がなくてもおっちゃんの意志どおりに動いて、ひと噛みで相手を殺せるよ」


「おい、待て! お前が殺してくれるんじゃないのか!?」


「やだなぁ。おいらはてつだいするって言っただけじゃないか」


 謀られたような気がしないでもない辰巳である。


「さいごにひとつ条件。造った蟲は必ず回収して、呪符にくるんで自分の手で焼き殺してね。他の人に殺されたりすると、この手の呪術お約束の〝跳ね返り〟が来るから。じゃ、成功したら後金もらいにくるね」



 一週間後、庭から掘り起こした壷の中には、不気味に緑黒く染まったムカデの幼虫が一匹、這いずり回っていた。







 驚くくらい簡単に事が進んだ。


 自分をいい金づるにしていた3人が、現代医学では解析できない強烈な毒によって死んだとテレビで報じられ、辰巳は虫かごの中のムカデを見ながら笑いをこらえていた。


 袖口にムカデを仕込んで、不良どもに金を手渡すときにひと噛みさせた。そして一時間後には呼吸困難で死に至ったのだ。


 当初は歩く方向を定めることと噛み付かせるくらいしか操作できなかったが、今では足の一挙動までもが自分の思い通りに動く。

 辰巳はすっかりこのムカデの虜になっていた。


「なぁ、どういう原理なんだ、あれは」


 例の公園、例の時間に新太に金を渡すため待ち合わせ、わきあがってくる興味を隠し切れずに聞いてみる。


「簡単だよ? 人の魂にはもともと『サンシ』っていう蟲が住み着いている。それとあの蟲を同期させただけ。要するに簡易的な使い魔にしたっていうこと。リスク高いけどね。それはともかく、ちゃんと蟲は処分した?」


「ああ。ぬかりない」


 言いつつ、後金を新太に渡す。


「そう。じゃあこの仕事は終わりね、毎度ありー☆ 焼肉食べにいこーっと!」


 赤い野球帽を浮かせ、るんるんとステップしながら、新太は闇に消えていった。

 それを黙って笑顔で見送る辰巳の袖口で、何かがうごめいていた。


 


 ――それからしばらくの間、謎の毒殺事件が相次いだが、13人目の数学教授の毒死を最後に、事件は幕を閉じることとなる。

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