消失-Disappearance-
時は少し前に遡る…
同じ日の午後5時半の事だった。
珠代の母、桐ヶ崎 柯夜はこの日もいつもの如く掃除洗濯などの家事をテキパキとこなしていた。
もうすぐ娘や夫が帰宅するということもあり、彼女にとって毎日この時間帯には忙しなく働かなければならないのであった。
食事や身の回りの管理に追われ、程よく汗を流す日々…
しかし、彼女はこの時間を苦とは思ってはいなかった。
むしろこの日常に楽しみすら覚えていたのである。
毎日、昼間は娘や夫の為に尽くして働く。
そして夜には家族水入らずに食卓を囲み、1日の出来事やこれからの事を話したりもする…彼女にとっては、そんな些細な日常でもとても大切なものだった。
しかし、そんな日常がいつまでも続くとは限らない。
これが現実というものだ。
「ふふふ、今日は2人とも早く帰ってくるかしら?」
ふんふんと鼻歌交じりに食卓テーブルを拭きながら、にっこりと優しい笑みを浮かべる。
くすんだ赤色の大きめのテーブル…中央には淡い光を放つ美しい花瓶が佇み、一輪の黄色い花が顔を覗かせていた。
テーブルを拭く作業を手っ取り早く終わらせ、慣れた手つきで3人分の食器やコップ、箸やフォークを並べる。
「んー、もうそろそろ帰ってくるかしら?」
花瓶の花を新鮮なものに生け直しながら、ちらりと横目で時計の針を追う。
現在の時刻は午後5時45分…この家では、毎日午後6時までには家族全員が帰宅し、夕飯をとる。
それが3人の同意の元に設けられたルールでもあった。
今日も、いつものように同じ日を繰り返すはずだった。
そんな日常がずっと繰り返されると、心のどこかで安堵していた。
「(ガラガラガラ…)」
突如、キッチン内に玄関を押し開け、閉める音が響く。
2人のうち、どちらかが帰ってきたようだ。
柯夜は、急いでエプロンをなびかせながら玄関へと走る。
そして彼女は、喜びの笑顔を向けながら言うのであった。
お帰りなさい、お疲れ様でした…と。
──午後8時56分。
いつもの約束の時間…キッチンには二人の影があった。
一人は足を組み、悠々と新聞を広げている。
そしてもう一人…心配そうに胸の前で手を握りあわせ、窓の外を見つめる影。
外は既に暗く陰り、日は沈んだ後だった。
食器によそった夕飯はとうに冷え、コップに注いだ飲み物さえも生温く変化していた。
「珠代…どうしたのかしら?帰らないわね…」
窓の外を食い入るように見つめ、そわそわとその場を行ったり来たりと落ち着きなく歩き回る柯夜。
彼女の心は今、娘が帰らないという不安に満ちていた。
約束の時間…いつもならとうに帰っている時間を大幅に超えていた。
もうすぐ夜が来る…もしかすると、何かあったのかもしれない。
「ちょっと落ち着いたらどうだ?」
落ち着きのある、低い声が静かに言う。
「だって…だって…!貴方は心配じゃないの?」
「まぁ…流石に遅いとは思うが…」
「そうでしょ!?大体…っ」
「まぁ待て、珠代だってもう子供じゃない。少しは信用して待ってやるのも親の役目だとは思わないか?」
珠代の父、翔は柯夜の言葉を遮り、落ち着かせようと試みる。
涙ぐみながら必死に訴える妻の体を、ぐいっと自らの方へ引き寄せ、優しい言葉をかけながら頭をポンポンと撫でてやる。
「でも…流石に遅すぎるわよ」
「大丈夫、きっとあの子は大丈夫だ」
柯夜は徐々に落ち着きを取り戻し、未だ涙の滲んだ目で夫を見つめる。
「案外…ボーイフレンドでもできたのかもしれないな」
「───!?」
「あり得なくもないだろう?あの子は可愛いしな」
くすくすと意味ありげに笑いながら、柯夜をからかうような人懐っこい表情で見返す。
「ちょっと!やめてよ!!」
「お?何だ??そんなにムキになるなよ」
「べ…別にムキになんかなってないわよ!!ばか!!」
些細なことで笑いあい、互いに思い、想い合うことのできるそんな日常。
娘が健やかに、そして強く生きてくれることを強く願い、そして望んだ。
あの子には…普通の人生をまっとうに生きて欲しい。
あの日からどれほどの時が経っただろうか…
あの日、あの子は帰ってはこなかった。
警察へ捜索願いを出したものの、捜査は難航し、捜索開始から二ヶ月後には打ち切りとなった。
もう一度あの子に会いたい、その一心で夫婦は毎日毎日、娘を探して遠くの町まで出向き、独自に捜索を続けた。
それは決して楽なものではなかった。
独自捜索を始めてから、四年の月日が経ったある日のことだった。
村から数キロ離れた近隣の森の中…
夫婦は一軒の腐敗した小さなボロ小屋を発見する。
そこで二人が目にしたものは────