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不協和音-Dissonance-

「強く生きなさい、貴女には貴女の道がある」


この言葉が、私の母の口癖だった。

幼き頃からこの言葉と共に育ってきた私は、この言葉に込められた母の願いなど知る余地も無かった。


しかし、例えそうであったとしても彼女にとっては大切な母との数少ない思い出の一つであることに違いは無い。


私達、桐ヶ崎の血族は代々「たましいを鎮(しずめる者)」として、未練を持ち彷徨い歩く魂を呼び寄せ浄化

させるという重大な役目を担ってきた。


実際、母はこの真実を私に悟られたくはなかったようだ…


そう、あれは私の幼少期のことだった。


私はその日も普段と同じように学校へ行き、学業に励み、そして家路の道を急ぐ…そんなありふれた日常を送っていた。


季節は夏の終わり頃だっただろうか、人けのない細い小道を、詰まらなさそうに鼻歌を歌いながらゆっくりと歩く。

秋の初めということもあり、道端にはほんのりと紅く染まった楓の葉が舞っている。

ここら一帯の山々は非常に見晴らしが良く、季節によって

様々な色彩を織り成すことでも有名な地である。


しかし、多くの人々はこの地に寄り付こうとはしない。

相変わらず周囲に人影はなく、冷たい風だけが音を立てて吹き付けてくる殺風景な街並み…


「暇だなぁ…」


左右にゆらゆらと揺れながらぼーっと歩いていると、ふいに何とも言えぬ感覚を背後に感じて珠代はその場に立ちすくんだ。


何だか胸を締め付けるような悪寒と視線を感じる…

ここ数日というもの、学校に居る時でさえ何者かから見られているような気がしていた。


「…誰?誰かいるの?」


さっと後ろを振り返り、背後の茂みに向かって声をかけてみる。

案の定その問いに応える者などいない事は分かっていたのだが、口に出さずにはいられなかった。


毎日がこの繰り返しで、ほとほと嫌気がさしてきた彼女は思いを口にする事で少しでも気を軽くしようと試みていたのである。


「気持ち悪いなぁ…」


ブツブツと眉をしかめながら、いち早くその場から離れたい一心できびすを返して来た道を歩き始める。

徐々に歩幅は大きくなり、そして加速し、遂にはパタパタと慌ただしくその場を走り去った。


急なコンクリートの道を、ハァハァと息を切らしながら駆け上がる。

建物の間を、右へ左へとひらひらすり抜けながら一定のスピードで突き進んでいく。

そこからしばらく真っ直ぐな一本道を走り、通りの先の階段を登れば自宅へとたどり着く。


先程の嫌な想いなど忘れ、満面の笑みで階段を途中まで登った時だった。


────何だかいつもと何かが違う…うまく説明できないけれど、何かがおかしい。


それは既に分かっているのだが、その些細な変化が何なのかが全くと言っていいほどわからないのである。

しかし、この時の私の中には一秒でも早く家に帰りたい…その思いが強かった。

そのため、気が付いた頃には既に階段を登りきり、目前に迫る黒い瓦屋根の古びた屋敷に足を踏み入れていた。


今日、この日をきっかけに自らが歩むべきもう一つの道…平凡な日常という選択肢が崩れ去ってしまった事を、このころの私は知るよしもなかった。

あの時、進むべき選択を間違わなければ何も失わずに済んだかもしれない。


もう一度あの頃に戻れるのなら私は────


「ただいまぁ!!」


ガラガラと音を立てて屋敷の引き戸を引く。

扉が勢いよく開き、少女の澄んだ響く声が周囲にりんと響き渡った。


季節は夏の終わり頃。

皆に等しく風が吹き、時は等しく過ぎていく。


──これは私の…失意の記憶。


ただいま、私は奥の部屋に向かい、少し大きな声でそう呼びかけた。

これが私の毎日の日課のようなものだった。

しばらくして、奥の部屋からスッと人影が覗く。


「あら、珠代じゃない。早かったわね」


洗濯物のカゴを両腕に抱えて黒い長髪を後ろでくくり、エプロン姿でにこやかに迎え入れるこの女性こそが私の母だった。


いや、正しくは母だと思っていた。

知らなかったがために事は起こった。


いつも優しく、生き生きとした行動力のある彼女のことが大好きだった。

それと同時に、尊敬もしていた…母として、同じ女として。


「うん、今日は早く帰りたくて走ってきたんだ」


いそいそと靴を脱ぎながら答える。


「あら、そうなの…じゃあ早くつけてよかったわね」


少し間の空いた返答…

私は早く帰らない方が良かったのかもしれない。


「ねぇ…どうしたの?私、邪魔だった?」


「いいえ、珠代が早く帰ってきてくれて母さん嬉しいわ」


不安を覚え、母におどおどしながらそう投げかけると、いつもの優しい笑顔で彼女は答える。


「そっか、そっか、それなら良かった」


「えぇ、愛する我が子が無事に帰って嬉しいわ」


腕を後ろに回し、もじもじと体を揺らしながら照れる珠代。

率直に、母のその一言が嬉しくてたまらなかった。


「お母さん、私のこと…好き?」


「当たり前じゃない、大好きよ」


「えへへへ///」


勝手に緩んでくる口元を手で覆い隠してみるが、やはり段々と口元が緩み始めるのがわかる。

それを見られまいと、慌てて母に背を向ける。


「そう…大好きよ。だから…」


──── 此処で延々に私と。


小さく、消え入りそうな声で母が呟く。

かすかな笑みを浮かべながら…


「ねえ、何か言った?」


「あ…その…今日は疲れたでしょ?早く部屋で休みなさい」


「───?」


「ほーら、突っ立ってないで早く靴脱いで揃えなさいな」


「あ、うん。そうする、ありがとね!」


母は今…確実に言った。


大好き…だから此処で延々に私と…かすかにだが、確かにそう聞こえた。

延々…長々と私と共にいよう、そういう事なのだろうか?

明確にはわからないが、その言葉には大きな違和感と執着、固執めいたものを強く感じる。


「ええ、ゆっくり休みなさいね」


「分かってるって!」


笑顔でそう答え、トタトタと音を立てながら木製の階段を一気に駆け上がる。

音は次第に小さくなり、ふすまの閉まるカタンという音と共に、その場には静けさだけが取り残された。


そして、その圧倒的な静寂の中にたたずむ"物"は言う。


「柯夜、これが僕の…君への復讐だよ…」


その押し殺したような鈍く低い笑い声の中に、母の姿は微塵も無い。

声のハリやツヤ等は当に消え失せ、もはや女性の面影は虚無と言っても過言ではなかった。


これは私の始まりの物語。

私の原点…


全ては今、この時から動き始める。


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