30.神官の、名勝負。
やればできるじゃん。純子。
それだけ口がうまいだなんて、設定にもなかったぞ。
……それってまずいんじゃないか。てか?
とにかく、頑張れ。純子。みんな、のせろ!
「しかし、こんな小娘に勝ったところで、何のこともないのではないか……」
「とんでもございません。筆頭神官様のお力が皆が認識すれば、称えられこそすれ、蔑まれることはございません。ここは一つ、その偉大な力をお示しくださいませ。
万が一にもないとは思いますが、まさかお逃げになるなどということは?」
「ぶ、無礼な! この私が逃げる必要などどこにもないわっ!」
純子は打ち合わせどおり、ヘカテミスにも訊いた。
「ヘカテミス様も勝負にはご異議ございませんか?」
「ありませぬ。私も先代神官の娘。望むところです」
『やるねー、ジュンコ。ウレアハルを口車にのせちゃったじゃん』
内心の笑みを押し隠しつつ、純子は話を続ける。
「では、ご勝負ということで……皆様、よろしいですね」
その言葉に皆が頷く。そしてそれから準備が始まった。巨大な樽。瓶に茶碗。テーブルの上にはどんどん食器がならんでいく。
『ジュンコ、いったい何の勝負が始まるの? 神官の試験て何よ?』
(ごめん、あたしもあまりわかってない。ちょっと様子を見ようよ)
女官達の手で樽の蓋が開けられた。部屋中にきついぐらいの甘い匂いが漂う。
「こ、これ、お酒?」
純子はその匂いにくらくらしながら聞いた。
「はい、御神酒でございます」近くの女官が答えてくれた。
(そうか、ヘカちゃんが御神酒でもどしたとか言ってたっけ……)
そのヘカテミスと筆頭神官はテーブルの前に陣取った。その前には大きな器と酒器。なみなみと御神酒が注がれていく。
「どちらが女神様のお言葉を頂戴することができるか、が勝負と言うことだな」
ウレアハルが勝ったかのような笑みを浮かべて言う。
「はい、筆頭神官様。よろしくお願いいたします」
ヘカテミスは緊張の面持ちで答える。そして二人は酒器を手に取った。
ウレアハルの赤い唇が酒器に触れる。そして透明の液体が澱みなく流れ込んでいった。
(御神酒、きつそうなのにすごいな……)
純子がその飲みっぷりに感嘆していると、ウレアハルは早くもお代わり。二盃目を飲み出す際に、ちらりとヘカテミスを見た。
釣られて純子もヘカテミスを見た。そして、その飲み方に呆然とした。ぐびぐびと喉を鳴らしながら、お酒が消えていく。たちまちお代わり。両手に酒器を持って飲み干している。
「そんな勢いではすぐにくたばりますわよ」ウレアハルが牽制。
「ひ、筆頭神官様こそ。そんなゆっくりとしたペースでは酔いませんこと、ですわ」
ヘカテミスのお返しにウレアハルのペースが上がった。しかしヘカテミスは酒器を投げ捨てると、升から直接飲み始めた。
しばらくすればウレアハルは真っ赤。しかし、ヘカテミスの顔には変化がない。
「すっげー、ヘカちゃん。酔わないんだ……」
純子の呟きに女官がそっと言った。
「いいえ、もう酔っておられます。顔色が青くなっております。そろそろご気分が……」
女官の言うとおりだった。ヘカテミスの顔色は蒼白になってきていた。目の周りだけが赤い。視線もどこか彷徨っているよう。それでも手と口の動きは止まらない。いや、そのピッチは上がっているようだ。
(ヘカちゃん……)
純子が心配げにヘカテミスを見つめたときだった。ヘカテミスの手が止まった。カランと升が落ちる。
「うぷっ……!」
口を押さえたヘカテミスが器に顔を埋めた。
「ヘカテミス様っ!」女官の悲鳴が響く。
「勝った、勝ったわ!」ウレアハルの歓喜の声が響いた。
「ど、どうしてヘカちゃんが負けたんですか?」
純子の質問に、女官が答える。
「以前、ヘカテミス様が反吐をもどされた折りに、御神酒を吐くようでは問答無用で負けという前例ができたのです。ああ、ヘカテミス様……」
だがヘカテミスはゆっくりと顔を上げた。器の中には何もない。
「我慢なされてます!」
女官が歓声を上げた。ヘカテミスはまた升を手に取ると飲み始める。
「チッ!」ウレアハルは小さく舌打ちすると、負けじと飲む。
『これって要するに、飲んべの勝負?』
タンヌがぼそっと呟いた。
(それを言ったらお終いだよ。神事なんてそんなようなもんじゃない)
真っ赤な顔になったウレアハルが酒器を投げ捨てた。
「はん、酒器を捨てるとは勝負を投げたということかな?」ヘカテミスの低い声。
「バカ言ってるじゃないわよ。いつまでたっても女神なんて降りてこないじゃない。引き分けよ。この勝負、お相子ってこと!」
「バカはその方なり。我は既に来たれり」
ヘカテミスはふらふらっと立ち上がった。
「常々、無茶なやり方をする奴とは思っておるのだが、今回は本当に出鱈目であるな」
「ヘカテミス様!」「女神様!」「キュベレー様!」
女官たちの声が交錯した。そして女官たちは床に平伏す。
「認めません。こんな茶番は認めるものですか!」ウレアハルの絶叫が響いた。
「ウレアハルよ。何が不服じゃ。なぜ我が女神であることを認めぬのじゃ」ヘカテミスは笑っている。
「こんな小娘に……」ウレアハルは怒りくるっている。
「お主も気がついておろう。こやつの才能に。足元にも及ばぬと恐れておるのであろう。仕方があるまい。あの事故さえなければ、お主がここにくることはなかったのじゃ。しかし、あの事故でお主の人生も狂ってしまった。お主も哀れな犠牲者であるのじゃよ」
「し、しかし、――」
「己の心を開放せよ。真の心の声に従え。素直になれば、道も開かれよう。ウレアハル、思い出せ。お主は何を考えておったのか、何を欲しておったのか」
「……女神さま」
「この勝負、つきましたな!」
大声で場を制したのは追捕師だった。
「この名勝負、飲みも飲んだりと感服いたした。しかし結果はヘカテミス様の勝ち。異論ござらんでしょうな」
立ち上がって、周りを睥睨する。それに対してふらりと立ち上がったのはウレアハル。
「そ、そなたは、そなたは……」
「あ、いやー、失礼した。ついつい、勝負にのめりこみまして、こんなことを。いや、ワシはヘリシェファ・バアール。追捕師でござる。タンヌらと一緒に来たものでござる」
ウレアハルはテーブルを倒し、平伏す女官を突き飛ばし蹴飛ばし、押しのけながら追捕師のところまでやってきた。足元がおぼつかないのはお神酒のせいか。しかしその顔は輝くばかり。
「おお、おお、追捕師様。一度王宮で見かけました。しかしその時は名前も何もわからず、いったいどなたやらと、胸を痛めるばかりでした。こんなところで、ああ、恥ずかしや、こんなところをお見せするなんて……」
「いやいや、名勝負でござった。しかし、ほう、王宮でお見かけしたとはついぞ、気がつかず」
『飲んべの名勝負?』
(いいから、いいから)タンヌの疑問をスルーする純子。関心はウレアハルと追捕師にあった。
「ああ、こんなところで出会うとはこれは女神様の導きに違いありません」
そう言うと、ウレアハルは追捕師の脚にしがみついた。
「どうか、私をお導きくださいませ。この胸の想い、どうかお受け止めくださいませ。
そのためでしたら、神官など即座に引退いたします。どうぞ、この身をお引き受けくださいませ!」
追捕師の表情が固まった。
「そ、それは、いったい何のことでござろうか」
「ああ、気がつきませぬか。こんなまどろっこしい言い方では。私と契って下さいませ!」
逃げようとする追捕師にしっかとしがみつくウレアハル。広間は騒然となっていた。そんななか、じっと天井を見つめているヘカテミスに純子は気がついた。
「ヘカちゃん?」
「……来た」ヘカテミスはつぶやいた。
あわれ、追捕師。一生の不覚となるであろうか。なんちて。
次回からは第五章に入ります。
では。




