15.息子、セラン。
三つの聖痕。どこでしょうか。へへへ。
あんまりバテレンの教えには詳しくないので、わかんないです。
さあ、純子。とんでもない目に巻き込まれているけど、頑張れよ。
ヘリシェファはすぐに侵入者の様子を見た。
「生きているんですか?」サンチュの問いに首を振る。
「お前は、タンヌは無事なのか?」
ヘリシェファに聞かれた純子は頷いた。
「顔を殴られたぐらい。あー、歯が欠けてるわ」舌で口の中を確認しながら純子は言った。そして、突然ヘリシェファの動作の意味を悟った。
「し、死んでるの?」
純子の語尾が震えた。自分の手を見て、そして服にも付いている赤いものを確認する。そしてその出所が、今は動かぬものとなっている目の前の不審者だということも。
「いったい、一体何があったの?」
震え始める純子をサンチュが抱きしめる。
ヘリシェファは不審者を仰向けにさせた。目以外の頭から首まですっぽりと黒い覆面を被っている。身体も黒い服が全身を包み込んでいた。これで闇に紛れたら気がつかないだろう。胸には短刀が突き刺さったままになっている。それを見た純子とサンチュはお互いにしがみつく。
追捕師は覆面に手をかけるとそっと外した。その下からはまだ若い男の顔。短く切った赤い髪。追捕師は全身を探るが、特に気になるようなものは見つからない。
「この若さで、赤い髪。王宮の中では見かけない顔だな……」
そうヘリシェファが呟いたときだった。激しく格子を叩く音。純子がそっちを振り向いた。そこには真剣な表情をしたモイルが立っている。
「頼む、頼む! 見せてくれ、そいつの顔を見せてくれ!」
狂ったように叫ぶモイル。
「どうしたんだ、モイル。お前まで……」シニンも困ったような声を出す。
「赤毛なんだろう、その男。あたいと同じ赤毛なんだろ!」
シニンが絶句した。その様子を見て、サンチュがついと立ち上がる。そして男の顔を見て、次にモイルの顔を見つめた。そのサンチュの顔がみるみる青ざめる。
「お……お姉ちゃん!」
それだけ言うとサンチュは純子にしがみついた。その目には大粒の涙が浮かんでいる。
「な、なによ。何なの? サンチュ。あたし、何がなんだか、さっぱりわからない」
純子はサンチュに言った。
「覚えてない? 息子さんの話。わからなくなって探してるって言ってた、確か名前がセラン……」
「見せろ、見せてくれ。息子かどうか、見せてくれ!」
叫んでいるのはシニンだった。自分の目がほとんど見えていないことさえ忘れているようだった。ようやく純子は事態を理解し始めた。そして自分が何をやったのかを。声も出せずにただ見ているだけ。
ヘリシェファはシニンの声を聞いて、男の身体を抱きかかえようとしたが、諦めると鍵を取り出した。そしてシニン達の牢屋の扉を開けに行った。鍵が開くと、追捕師を吹っ飛ばさんばかりの勢いでモイルが飛び出してくる。そして男のそばに座ると、じっと顔を見つめる。
「……セラン」
その一言だけ。しかし、それを聞いたシニンが叫んだ。
「本当か、モイル。間違いないのか、セランなのか、それはセランなのか!」
「ああ、セランだ。……あたしたちの息子」
モイルはしっかりと物言わぬセランを抱いた。その頬には涙がいく筋も流れ落ちていく。
「おおおおおおおお!」
その絶叫はシニンだった。その声を聞きながら、純子は呆然としていた。
セランの顔には白い布がかけられ、そして遺体は布袋の中に収められる。
「我々は開放される予定だったよな。セランを墓に入れてやりたいんだ。家に帰ってもかまわないだろう? それから墓地へ行って弔ってやる」
「ああ、かまわない。……その、なんて言ったらいいのか」
「……何も言わなくていい。その気持ちだけでいい」
追捕師とシニンの静かな会話だった。純子はぼんやりとそれを聞いていた。セランの遺体はモイルが抱えて出て行った。あの蒸気自動車に積み込むと聞いていた。床の血の跡はサンチュがふき取った。汚れた衣服はまとめて片付けられる。あの惨劇は跡形もなくなった。しかし、心の傷はそんなに簡単には誰にも消せない。
(あたし、……あたし……)考えが混乱してまとまらない。
『ジュンコ、しっかりしなよ。あれは仕方なかったんだよ。ジュンコのせいじゃない』
タンヌが励ましてくれている。しかし、純子の頭の中はぼやけたまま。
「セランは車にのったよ」
モイルが牢屋に戻ってきた。その瞳を見て、純子はビクッと身体を震わせた。
「ああ、そろそろ行こうか」
「あ、あの、……あたし……」
純子が言いかけたときだった。その胸倉をモイルが掴む。
「あ? え……あの……」
「お前さえいなければ――」
モイルが呟いた。その目が純子をにらみつける。そこにあるのは、怒りか、絶望か。
「お前が来なかったら、現れなかったら、セランは死ななかったかもしれない。お前が――」
「やめろ、モイル。それ以上言うな」
シニンの制止をモイルは無視する。
「なぜお前になんか殺されなければならなかったんだ。セランを返してくれ。セランの代わりにお前が死ねばよかったんだ。お前なんかのために、なぜセランが!」
その瞳で純子を刺し殺さんばかりににらみつける。
「やめてください、モイルさん。お姉ちゃんを放してください!」
サンチュの懇願にようやく純子は開放された。床にへたり込む純子。
「わかっているだろう。タンヌだって殺したかったわけじゃない……」
「わかってるよ。だけど、やっぱり悔しいよ。畜生……」
天井を仰いだモイルは、もう一度純子をにらみつけた。その瞳に純子は怯えあがる。
「あたしが殺してやる。絶対にあたしの手で、お前を殺してやる」
そういい残すと、モイルはシニンと牢屋を出ようとした。そのモイルの耳元でシニンは何かささやく。モイルはちょっと考え込んだ。そして頷くとシニンを残して、モイルは出て行った。
「あの……シニンさんは一緒に行かないんですか?」
サンチュがそっと訊いた。シニンは頷く。
「ああ、今モイルは頭に血が上っているのさ。どっかでゆっくりと冷やせば、道理のわからん女じゃない。時間が必要なだけなんだ。その時間を与えてやろうと思ってな。タンヌ、許してやってくれ。ああでも言わないと、モイルの方がまいってしまうだろう。感情を吐き出したいだけなんだ。
タンヌ?……おい、どうした? タンヌ」
純子は返事しなかった。そのうつろな瞳は何も映し出していない。
「お姉ちゃん、どうしたの? また頭が痛いの?」
サンチュの声も純子の耳には入ってこなかった。小さく、小さく、誰に言うでもなく呟いている。
「いないほうがいい……。あたしなんか、死んだほうが……」
「おい、タンヌ。いや、ジュンコか。どっちでもいい。返事しろ。おい」
「お姉ちゃん、返事して、お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
シニンに話しかけられても、サンチュに身体をゆすぶられても純子は何も反応しなかった。
セランさん、結構いい男のはずなのに、あっさりと消えちゃいましたねえ。純子の心、壊れやすかったんですね。
では。




