偽りの一〇五〇〇
とある夏の昼下がり。俺はいつものように、輪廻の家でのんびりと余暇を過ごしていた。本来、余暇というのは仕事を離れて自由に使える時間のことを指すので、働いていない俺が余暇を過ごすという表現を用いるのは誤りである可能性も無きにしもあらずではあるのだが、今この時を怠惰な時間と決め付けてしまうのは、同じ空間で同じ時間を過ごしている輪廻に対して甚だ失礼に当たるのではないだろうか? ただの文字数稼ぎである。
「こんにちは。八九頭漆です」
「いきなり誰に挨拶してるの? 病院に行く? 保険証はある?」
「特に意味はない……酷い言い草だな、君」
ベッドに寝そべった輪廻は、呆れた顔をこちらに向けながら慇懃無礼に俺の頭を心配してくれた。にべもない。
「つうか、急に出なくなったんだけど?」
「ふふ、私がはぐれメタルが出なくなる呪いを貴方にかけたから」
「すげぇな、エンカウント率操作出来るとか。あと何分?」
「あと五分よ。どうやら私の勝ちは揺るがないようね」
そう言って、布団にくるまった輪廻がベッドの上でほくそ笑む。
「舐めるなよ? この五分に、我が魂を込める!」
俺はコントローラーを握る手に力を入れ、十字キーを上下左右に素早く入力し続ける。
「……随分地味な魂の込め方よね」
うるせぇ。
さて、今日も今日とて俺達は不毛な戦いをしていた。今行っているのは『制限時間内にどれだけはぐれメタルを倒せるか』対決。
ルールは簡単。三十分交代制でどちらがより多くのはぐれメタルを倒せるかというもの。どのシリーズのはぐれメタルかはご想像にお任せする。
最初、輪廻はぷょぷょをしようと言ってきたんだが、フルボッコになるのを危惧した(昨日と一昨日しっかりフルボッコにされている)俺は今日は別のゲームで遊ぼうと主張。試行錯誤の末、このはぐれメタル狩りで競うことになった。これなら実力差とかないし。
先攻は輪廻。彼女はメタルぎり、はやぶさぎり、せいすいなどを駆使し確実にダメージを蓄積させるという堅実な戦術で十二匹を仕留めていた。
対する俺はまじんぎり連打の一か八か戦法。ところが上手く奮わず、さらにはぐれメタル遭遇率も悪く、現在十匹。まだ逆転の目は残されているものの、もうかれこれ十分以上はぐれメタルに遭遇していない。本当に呪いをかけられたと錯覚してしまうくらい、画面にあいつが出ない。
「負けたら何をしてもらおうかしら……熱々おでん?」
うっとりと頬に手を当て宙を向く輪廻。なんだそのダチョウ倶楽部的発想は!
「は? 罰ゲームがあるなんて聞いてないぞ!?」
「敗者には何かしらのペナルティがあるのは当然よ。銀色のレインコートを着てコンビニ内を全力疾走してもらおうかしら……ふふ、『俺ははぐれメタルだー!』って」
「普通に捕まるから。ただの変質者だから」
「漆なら逃げ切れるわ。だってはぐれメタルだもの」
「やったー、俺無職じゃなかったんだーってバカ」
自称はぐれメタルの十八歳逮捕とか報道されてみろ。色んな掲示板で叩かれバカにされるに決まってる。俺だってする。
「大丈夫。捕まっても靴を脱いで渡せば警察だって許してくれるはずよ」
「俺の靴を装備しても幸せになれないし経験値だって貰えないぞ」
「要は捕まらなければいいのよ。火炎瓶を持っていれば安心」
「なにその色々間違ったベギラマ!?」
「ふぅ、乗りの悪い。つまらない男ね……」
「悪乗りで犯罪者になってたまるか……あ」
連続でボケ倒す輪廻に気を取られて今まで気付かなかったが、ふとテレビ画面に視線を戻すと、勇者御一行がモンスターに遭遇していた。光沢をもった銀色の流動ボディ。にやりと不敵な笑み口元で作ってはいるが、目は一切笑っていない。はぐれメタルである。横一列に三匹並んでいた。
全て逃がさずに仕留めることが出来れば一匹差で俺の勝ちだ。どくん、と自分の鼓動が速くなるのを感じる。罰ゲームがかかっているとなると、やはり緊張してしまう。いや、やる気ないけどね?
「……あと何分?」
「あと……一分弱というところね」
一分……恐らくこれが最後のチャンスだろう。輪廻の相手をするのに時間を取られた。いや、最初から自分に注意を向けさせることで、俺の時間を浪費させるつもりだったのだろう。見事な陽動作戦と言わざるを得ない。本願寺輪廻、狡猾な女だ。
俺は深い呼吸を二度繰り返して精神を落ち着かせる。
「貴方がせいしんとういつをしても二回行動出来ないわよ?」
底意地悪く笑う彼女の言葉を無視して、俺は画面をじっと見据えた。
ゆっくりとリラックスした状態で十字キーを動かし、画面の勇者に指示を送る。俺の作戦はただ一つ。『めいれいさせろ』でまじんぎり一択。
このセーブデータは輪廻のもので、全ての味方キャラはレベル七十を越え、殆どの職業をマスターしていた。よって四人のパーティーメンバーが皆まじんぎりを使えるのだ。
三人にまじんぎりの指示を与え、最後の一人のまじんぎりにカーソルを合わせて、俺は目をつむり背筋を伸ばす。そして刮目と同時に決定ボタンを押し込んだ。
「届けぇ! 我が魂の一撃!」
トゥルル。
トゥルル。
トゥルル。
トゥルル。
「ぷふ……ふふ、くっ……っ……た、魂……全部、ミスって……くくっ」
「…………」
枕で口元を押さえて必死に笑いを堪える彼女に白い視線を送る。
「……笑いたきゃ笑え。さっきの罰ゲーム乗った」
「えっ?」
俺の返答が予想外だったのだろう。輪廻が間の抜けた声をあげた。
こちらの攻撃は当たらなかったものの、はぐれメタル達はまだ一匹も逃げていない。中々胆のすわったメタル族達だ。逆転の目は残っている。
「そのかわり、俺が勝ったら全裸にレインコートね」
俺は口角を片方だけ吊り上げ、彼女にも罰ゲームを提案した。俺だけ罰ゲームがあるのは理不尽だからね。
「は?……なっ!?」
自分が裸にレインコートを着て街中を歩く姿を想像したのか、透き通るほど白い輪廻の顔にさっと朱が灯る。
「そんなの、ただの露出狂じゃない! 嫌よ!」
「中身見せなきゃ大丈夫だって。さぁラストバトルだ」
「あ、ちょっ、待っ……」
頬を赤く染め、うろたえる輪廻を余所に、再度勇者達に指示を送る。勿論、会心狙いのまじんぎりだ。
「てりゃ」ポチ。
もう一度魂を込める気力はなかった。というか我が魂とか、ちょっと何言ってるかよく分からないですねー。さっきの自分全否定。
意気揚々と勇者達がはぐれメタルに斬り掛かった。そのシーンは画面に映らないので些か迫力にかけるが仕方ない。彼らの活躍は画面下のメッセージに数値化して表示されるのだ。
ズガシャン!
「おっ?」「あぁ……!」
ズガシャン!
「おお?」「嘘っ……」
またしてもはぐれメタルは逃げなかった。立て続けに勇者達のまじんぎりが直撃し、二匹のはぐれメタルは露へと消える。残るは左端の一匹! この時点で引き分け確定。あと二人のどちらかのまじんぎりが当たれば、俺の勝ちが確定する。当たらずとも次のターンにもチャンスがある。裸レインコートが見えてきた! この季節に通気性の悪いレインコートを裸で着用すれば当然中は蒸れるだろう。暑さと羞恥心に、汗を抑えられない彼女に、レインコートはぴたりと吸い付き、しなやかな肢体を浮かび上がらせる……フェティシズムきたこれ。
俺は逸る気持ちを抑え、震える指先でボタンを押し込んだ。さぁどっち!?
トゥルル。
ボスッ!
ドゥーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
「…………………………………」
「…………………………………」
耳障りな電子音が鳴り続ける。画面には無数の横線が走っていた。戦闘が進む気配はない。完全なフリーズである。
逆転を恐れた輪廻が咄嗟に枕をスーファミに投げつけたのだ。おかげで結果は分からない。
「おいこら」
じとりと輪廻を睨むと、彼女は視線を逸らし素知らぬ顔をしながらスーファミのリセットボタンに手を伸ばした。
「引き分けのようね。残念だけど罰ゲームは無し」
「何だよそれえええええええがっ」
呻きながら仰向けに倒れたら勢い余って頭を打ってしまった。痛い。
冷えたフローリングがじんわりと背中の熱を吸い取っていく。畳と比べるとやはり固いが心地好かった。その心地好さが俺をまどろませる。緩やかに瞼を閉じた。
「お休みぃ……」
「……漆、怒ったの?」
上から控えめに輪廻の声が降ってくる。声が近いのでベッドから顔を出して見下ろしているんだろう。俺は目を閉じたまま何の気無しに答えた。
「怒ってないよ、冗談のつもりだったし」
「ほんとに?」
「ほんとに」
どや顔の彼女を少しからかいたくなっただけだ。本気で裸レインコートをさせるつもりなど毛頭ない。毛頭、ない。
「そう……お休みなさい」
「お休み……」
そうして俺の意識は闇へと落ちていった。
「…………ふあっくしぇいよおぉぉおおおおぉぉ!」
闇に沈みかける意識が自分のくしゃみによって引き戻される。
反動で上半身が跳ね起きた。寝ぼけ眼で辺りを見回すと、こちらにドン引きの眼差しを向ける輪廻と目があった。
「ウッス」
「……随分豪快なくしゃみね」
「いやははは、すまんすまん。というか寒くないか?」
ぶるりと身体を震わせて自分の肩を抱く。今更だが、明らかに冷房が効き過ぎている。
「そうかしら? 私にはちょうどいいけど」
「そりゃそうだろ……」
立ち上がって輪廻を半眼で見下ろす。彼女は蓑虫のように布団を身体に巻き付けた状態だった。胸から上を外に出し(中身はいつも通り季節感無視のゴスロリ)、寝そべって漫画を読んでいた。
「布団被るほど寒いならエアコン切ろうよ」
「解ってないわね。冷房が効いた部屋でひんやりと冷えた布団に入る心地好さは格別なのよ?」
「……地球の敵だな」
「だって地球は私の味方じゃないもの」
こともなげに宣う。どんな理論だ。
「風邪引くぞ」
「心配してくれているの?」
「まさか。うつされたら嫌だからね」
俺がとぼけると、彼女は唇を尖らせながら漫画に目を戻した。
嘘は言ってない。多少は彼女の体調を心配しているが、それよりも『冒険の書』が消えていないか心配だ。あのBGMはトラウマものである。俺だったら泣くな。
黒い画面に薄ぼんやりと映る彼女の横顔を眺めながらそんなことを考えた。