究極(笑) VS 至高(笑) 4
「大分買い込んだなぁ」
調理機具や調味料が入った袋を自転車の荷台に括り付けながら、今更のように呟く。自転車は押して帰らなくてはいけないようだ。
「日が暮れるまでに家に帰りつけばいいのだけど……」
心配そうに太陽を見つめる輪廻。
「大袈裟だって。三十分くらいで着くんじゃない?」
スーパーから出た時は、まだ午後五時前だったので余裕だろう。夏の夜の訪れは遅い。
そう言うと、輪廻は首を左右に緩慢に振った。
「解ってないわね、私の桁外れの体力の無さを」
偉そうに言うことじゃないぞ。
「結構頻繁に散歩してるんだろ? これくらいの距離は大丈夫っしょ」
「『夜』ならね。日中外に出ることなんて殆どないし……日焼けは嫌だわ」
吸血鬼か。日傘をさせばいいと言おうと思ったが、今の彼女はスーパーの袋を両手で抱き抱えている。これでは日傘をさして歩くのは難しいだろう。俺は軽くため息を吐いて、輪廻から袋を奪い取る
「あっ!」
「はいはい、中身は見ないですから」
自転車の前カゴの中、食器類の入った袋の上にそっと重ねた。
「はい、これ」
「えっ?」
輪廻が手持ち無沙汰にしていたので、代わりに俺の食材の入った袋を渡した。片手で持てる重さだから、傘をさせるだろう。
「覗くなよ?」
「っ、覗かないわよ!」
「それ、卵入ってるから気をつけてね」
「あ、うん……」
「そいじゃ帰りますか」
自転車を押して帰路を進む。まだまだ熱いが日が傾いた影響か、不快という程ではない。蝉も休憩中らしく鳴き声も聞こえない。からからと音を鳴らしながら、車輪が距離を刻む。
いつものようにたわいもない話をしながら、二人で並んで帰る。好きなFFの召喚獣や、ドラクエの魔王について語りながら歩いた。
「デスタムーアが一番ね。二段階の形態変化、最終形態の両手を分化させた多彩な攻撃パターン……強敵だったわ」
「ベギラゴンで9999くらう奴を、魔王とは呼ばん」
「……あんなのは制作陣のお遊びよ。ドレアムが別格なだけで、決してデスタムーアが弱い訳じゃ、」
「大魔王(笑)」
「く……そういう貴方は誰が好きなのよ?」
「ハーゴン一択だろ常考」
「はっ、あいつは魔王にすら含まれないわよ。神官だもの」
「でもモンスターズじゃ????系に入ってるぞ?」
「それは、あっ……」
「? どした?」
不意に輪廻が言葉を飲み込み、固まった。
不審に思い彼女の視線の先を辿ると、道路の向こう岸を三人組の女の子が楽しげに笑い声をあげながら歩いている。少し垢抜けた感じの、どこにでもいそうなタイプ。年齢も近いと思う。
「知り合い?」
「……知らない」
消え入りそうな声で俯く。明らかに知り合いだろう、多分同級生だ。でもなぁ、俺が口を出すことじゃないし。
輪廻は俺を盾にするように背中に隠れる。Tシャツの裾をギュッと握りしめ、俯いて動こうとしない。
「……どっか行ったよ」
三人組は角の道を曲がって見えなくなったのを伝える。輪廻の家は彼女達が歩いていった方向とは別方向なので、鉢合わせになることはないだろう。
輪廻は怖ず怖ずと視線を反対側に向け、三人組がいないことを確認すると、安堵の息を吐いて再び歩き出した。俺はその後ろを黙ってついて行く。
「………………」
「………………」
お互いに一言も発さない。長い沈黙。からからと車輪の進む音だけが空間を包む。
どれほど沈黙が続いたのだろうか、家にほど近い距離にある公園を横切る時、輪廻がおもむろに口を開いた。
「……私ね、学校辞めたの」
「……そっか」
素っ気ない俺の言葉に、輪廻は不満げな顔で振り返る。いつもと変わらぬ見慣れた表情に少し安心した。
「驚かないのね」
「まぁ、そんな気はしてたから」
だって、学校に行くところ一度も見たことないし。
「そう……」
「週五で通ってるんだぞ? 見くびってもらっちゃ困るぜ」
「ふふふ、そうよね」
囁くように力なく笑う。その笑顔は酷く儚げで、痛々しい。輪廻はそのまま言葉を続けた。
「貴方と、漆と出会ったあの日に退学届を出したの」
思いがけない事実に流石に驚いたが、口には出さない。彼女の言葉を待つ。
「後悔はしてないわ、別に夢があって専門学校に入ったわけじゃないし。私、東京に住んでたの。母親が服飾関係の仕事をしていて……デザイナー。妹もその仕事を手伝ってるわ」
「妹さんいくつ?」
「今年で十六のはずよ」
「その歳で仕事手伝ってるって凄いなぁ」
俺なんかニートなのに。感嘆する俺の顔を見て、輪廻は微かに口角を上げた。
くるりくるりと日傘を回しながら公園の中央にある小さな砂場に黒靴を踏み入れる。橙色に染まる砂地の上に、黒い影花が咲いた。
「ええ、自慢の妹よ。私だけが、何もない……」
ぽつりぽつりと、彼女は囁く。その言葉に俺はどう返していいのか分からない。押し黙るだけだ。
「…………」
「専門学校に入ったのも、母親を見返したかっただけなの。ただの当てつけ。反対を押し切って、一人暮らしまでさせてもらって……結局、何一つ変われなかった」
「………………」
ざく、ざく、と砂を踏み締める音だけが耳に響く。厚底の靴が砂場にぽつぽつと無数の穴を作る。
かける言葉が見当たらない。ただ黙って、彼女から溢れ出る劣等感が砂地へと流れていくのを見ていることしか出来なかった。
「ふふふ、こんなこと貴方に話してもどうしようもないのにね」
そう言って輪廻はまた痛々しく嗤う。その笑顔に胸がちくりと痛む。
多分、ずっと他人に対して劣等感を抱いてきたんだろう。たった独りで。誰に相談することもなく、その感情と向き合ってきたのだろう。その感情の大きさを伺い知ることは出来ない。知ろうとも思わない。
だが、無性に腹が立った。さっきまで彼女にかける言葉を持たなかった俺の中に一つだけ、伝えたいことが芽生えた。言うべきじゃない、言ったところで多分、何も変わらない。それでも、伝えたかった。
そんな風に嗤う輪廻は、ちっとも綺麗じゃない。
「……嗤うなよ」
「……えっ?」
「変わろうとしたんだろ? 母親の反対押し切って一人暮らしまで始めてさ、俺から見れば充分立派だよ。俺こそ何もねえもん! 夢だって、希望だって! 毎日何も考えず寝て起きて繰り返してさ! そんな毎日を変えようともしなかった……」
「う、漆……?」
戸惑ったような顔で輪廻は俺を見つめる。
心のどっかで俺は輪廻を自分と同類と思ってたのかもしれない。無気力で、適当に毎日を送ってると。でも、違った。彼女は彼女なりに、自分の人生と向き合ってたんだ。
「変われなかったとしても変わろうとはしたんだろ!? すげぇ立派だよ! 俺なんかより、何千倍も! だからさ、俺の前では、自分を嗤わないでくれよ……胸張って笑っててくれよ……!」
何言ってんだ俺は。夕暮れ時の公園で。しかも超自分勝手なことをギャーギャー喚き散らして、なんて恥ずかしい。訳が分からん気持ち悪い。穴があったら埋めてくれマジで。
ほら、散歩中のおっさんこっち見て引いてんじゃん。ドン引きじゃん。だから止まれ、止まって下さいさっさと止まれ俺の涙!
「うっ……ぐす、ふぇ……ぅえ」
情けない嗚咽が夕暮れの公園に響く。俺のである。
「……ふふ、あは、あははははははははははーっはははは! あははははははは! はっははははははははは! ひ、ひ、あひひははははははははははははははははははは!」
「り、輪廻さん?」
気が触れたように笑い出す輪廻に鼻をすすりながら目を丸くする。ついに頭のネジがいかれてしまったのだろうか? キ、キチガ、キチガール?
「ひぃ、ひぃぃ、意味が解らないわ、なんで貴方が泣くのよ。普通、私が泣く場面じゃないの?」
「し、知らないし! 泣いてねぇし!」
「は、鼻水まで垂らして、あー可笑しい」
息も絶え絶えに、腹を抱えて彼女は笑う。その吹っ切れたような顔は、さっきの卑屈な笑顔よりも何倍も素敵だった。
「笑い過ぎだっつうの……」
「ふふ、こんなに笑ったのはいつぶりかしら……ふふふ」
そう言って彼女は砂場から出る。俺の隣に並び、目尻に涙を浮かべながらマジマジと顔を見上げてくる。俺の心拍数がどくんと跳ね上がり、視線を逸らしてしまう。
「な、なにかね?」
「別にぃ?」
にやり、と含み笑いを浮かべながら輪廻は前に進む。その足取りは軽い。
「確かに、私は一人暮らしを始めても、何一つ変われなかった。
成長出来なかった……でも、もしかしたら貴方と一緒なら、変われるかも知れないわね」
「なっ!?」
「さ、帰りましょう。漆にお昼ご飯取られたから、お腹空いたわ」
「いや、だからあれはくれるって言ったろっ!?」
くるりくるりと、上機嫌に回る日傘の後を慌てて追いかける。
その俺の後ろ姿を、囃し立てるように蝉達が歌い出した。やかましいわ。
――――――
「漆、これは何かしら?……」
皿の上に盛られた薄黄色い円盤状の物体を睨みながら輪廻は呻く。
「ふふん、それはだね? ホットケーキという代物だよ」
「そのくらい知ってるわ! 私が訪ねてるのは、一体これのどこが至高のメニューなのよ!?」
「まあまあ、仕上げをとくとご覧じろ」
俺が磊落に言うと、彼女は不承不承という表情でホットケーキをフォークで切り分け、口に運んだ。目を閉じて、ゆっくりと咀嚼する。
「どうだい?」
「……ふん、ホットケーキミックスで作れば誰だってそれなりに……あら? 今若干、紅茶の風味が」
予想通りの反応に、俺はノリノリで解説を挟む。
「ふはは、牛乳の代わりにリプトソのミルクティーを使ったんだよ。料理とは食べさせる相手のことを考えて作るもの、好きだろ? リプトソ」
「ふ、ふん……まあまあじゃない。じゃあ次は私の番ね」
「どれほどの腕か見てやろうじゃないか……」
座布団の上で偉そうに踏ん反り返る俺に対抗するように、輪廻は不敵な笑みを浮かべながらエプロンをつける。うん、彼女はこうでなくては。
「首を洗って待ってなさい。会心の一食、お見舞いしたる」
「え、何? 俺殺されんの?」
あとそれ別の漫画だから。
そして待つこと三十分。今、俺の目の前には彼女の作り上げた料理が置かれている。
「ふふ、我が究極の料理の前ではホットケーキなど児戯に等しい……」
何言ってんだこいつ。ちなみに彼女の料理シーンは割愛させていただいた。俺も見ていないからね。ただ台所から聞こえてくる彼女の不安げな呟きを、震えながら聞いていただけだ。
あれだけ『なんか違う』『間違えた』『大丈夫、よね?』とか言ってた癖に、完成すると偉そうに悪態をつけるのはある意味才能と言えるだろう。
「で、何これ? 煮魚風の備長炭?」
黒い。すげぇ黒い。所々焦げた魚の形をした物体が蒲焼きのタレのような液体の中に浸されている。
「失礼ね……《鮎の焼き浸し》よ。焦げてるのは、表面だけのはず……」
焼き浸しって。料理初心者が作るもんじゃないだろう……しかし黒い。コールタールみたいだ。尻込みしてても仕方ない、いざ実食!
「南無三!」
箸でほぐし、不格好な鮎の身の半分を口に突っ込む。それを神妙な面持ちでゆっくりと咀嚼する。
「…………」
輪廻は口の前で握りこぶしをつくり、緊張した声音で俺に問う。
「ど、どうかしら……美味しい?」
感想? 料理の? あー、ちょっと待ってね、うん。飲み込むから。よし、飲み込んだ。さあ、喋るぞー。
「し」
「し?」
「しょっっっぱい! すっげーしょっぱい! なにこれ塩辛過ぎるって!」
「え!? 何故? だってちゃんと……あ、砂糖加える時に間違えて塩を入れたのかも……」
その発想はなかった! 塩のゴリ押し。過剰な塩分の摂取に、俺の胃袋が死海状態。気持ちわうい。だが、ここでダウンする訳にはいかない。
リプトソのストレートティーを胃に流し込み、中和を図る。再度鮎の塩浸し、もとい焼き浸しを完食にかかった。鮎の身を噛む度に、海水味の汁が口内にほとばしる。少しでも体外に塩分を出そうと、眼球が塩水を放出する。
「む、無理して食べることないわよ」
「いや食うよ……輪廻が、せっかく作ったんだし……」
今日の漆は、一味違うぞ。
数分後、なめくじのように横たわる俺の姿があった。
「ふ、ふはは……俺の勝ちだな……」
食べ切ったぞこら。勝利条件が違うような気がするが、気にしないことにした。
「……今回は私の負けよ。次は、こうはいかないから。覚悟しておくことね」
輪廻が腹立たしそうにそっぽを向き、次回の対決を仄めかしてきた。え? 次あんの? 勘弁してください。
「あと、その、これ……口直しに」
「ん?」
打って変わり、しおらしい態度で何かを手渡してきた。林檎のように染まる頬にドギマギしながら、それを受け取る。
「これは……」
昼間、冷蔵庫で見つけた板チョコだ。塩バニラ。俺、塩分過多で死ぬんじゃなかろうか。
渇いた笑みを浮かべながら、包み紙からチョコを出して一口かじった。パキッと小気味よい音を立て口内に飛び込んできたチョコを噛み潰すと、程よい甘さと適度な塩気が融和し口の中に広がった。いや若干、いや大分、塩気の方が強い。
知らなかったなぁ。勝利の味って、しょっっぱいね。
究極(笑)VS至高(笑)、以上をもって、今回は至高のメニューの勝ちとします。