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地金の唄  作者: 河城真名香
地金の唄
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嘆きの紅茶畑

 「 ひ  も 」


 輪廻の艶めいた紫色の唇が横に引き伸ばされ、直後に可愛らしく円を描く。彼女の口から発せられた二つの音の意味を、俺は理解出来なかった。何言ってんだ、こいつ。小さなテーブルを挟んでしばし無言で見つめ合う。


 今日もばっちりと決まったゴシックメイクに、フリルたっぷりの黒いクラシカルドレスを着こなす彼女は、漆黒のアイシャドーと長い睫毛に包まれた紅玉のような瞳を、真っ直ぐに俺に向けてくる。その端正な顔立ちは、高級なビスクドールと言われても納得出来るだろう。


 このまま彼女の唇を注視し続けると、俺のノミレベルの心臓がオーバーヒートしそうなので、途中で中断していたカップ焼きそばを啜る作業へと戻った。


「ちょっと、無視しないでくれる?」


 軽く柳眉をひそませ不満を口にする彼女。わけがわからないよ。


「さっきからどした?」


「女の家に転がり込んで、食料を食い荒らすなんてまるでヒモ野郎ね、と言っているの」


「ちょっと待て。この焼きそば、もう入らないからあげるっつったのはそっちだぞ?」


 散々な言われように慌てて弁解する。しかし彼女の追撃は止まらない。


「その焼きそば『は』、でしょう? なんだかんだで毎回しっかり晩御飯を食べていくじゃない」


「そ、それは~何と言いますか……あ、ほら! 漫画の本とか貸してあげてるじゃない? そう、我々はギブアンドテイクな関係なわけで――」


「私もPCを貸してあげてるけど?」


「……すいませんでした」


 勝ち誇った笑みを浮かべる彼女に俺はなすすべなく平伏した。やべ泣きそう。白いテーブルをぼんやりと眺めながら、ぼそぼそと情けなく言い訳していると、くすくすと笑い声が頭に降り注いだ。


「ふふ、冗談よ。少し意地悪がしたくなっただけ」


「さいですか……」若干ほっ。


「元はと言えば、貴方が『焼きそばのかやくくらい入れなさい』と私に意地悪を言ったのがいけないのよ」


「いや全然意地悪じゃないし、老婆心だし」


 輪廻の主張に俺は素早くツッコミを入れた。


 朝昼晩三食、ほぼ毎日カップ麺やコンビニ弁当で済ますという不摂生な生活を送る彼女に、少しでも栄養を摂って貰おうと思って言ったんだけどなぁ。甚だ心外である。


「あんな味も栄養も抜け落ちた乾燥野菜なんて、わざわざ口にする必要ないわ。野菜活生を飲めばいいじゃない」


 何を馬鹿なことを、と言わんばかりに、したり顔で首をゆっくりと振る彼女に、俺はため息をついてしまう。


 それを横目で見ていた彼女はふふん、と鼻で笑いながら俺の貸した漫画をペラペラと読み始めた。


 本願寺輪廻との二度目の邂逅を果たしたあの夜から一ヶ月が経った。自分で言うのもなんだが、結構打ち解ける事が出来たと思う。こうやって冗談も言い合えるようになったし、いつの間にか敬語も使わなくなっていた。あの後、彼女を家へと送る途中に連絡先を交換して、今では気軽に家へと遊びに行くくらいの間柄だ。というか通っていた。週五のペースで。


 なぜなら、祖母の攻撃が激化して自宅警備すら危ういのである。というのも、未だにバイトが見つからない。


 サンドイッチ製造のバイトや、塩胡椒を箱詰めにするバイトなど、様々な所に電話してみたが、その全てに『すみません、求人の方は終了しておりまして……』と門前払い。面接まで取り付く事さえ出来ない。


 きっと近所のコンビニ店員には毎週月曜に求人フリーペーパーを取ってそそくさと帰るザ・フリーターだと認識されてしまっているだろう。神は言っているのかもしれない、もう働くなと。いやぶっちゃけ俺のせいなんですけどね。


 電話をかけるまでに、俺はそれなりの手順を踏まなければならない。まず求人誌で好条件のアルバイトを探す。賃金額、業務内容、家からの通勤距離などを真剣に吟味する。ここまでは普通のフリーターと大差ないだろう。問題はここからなのだ。気に入ったアルバイトを選別し終えても、俺は電話をかける事が出来ない。なぜならその時点の俺にはまだ働く気が起きていないからだ。バイト先に電話をかけるには、まずこのモラトリアム状態を脱出しなければならないのだ。その為の手段とは則ち、妄想である。


 自分がその職場で働いているというシミュレーションをする事で、そのバイトに対する心構えを育成。社員の横暴、先輩のいじめ、素敵な出会いなどなど、バイト先で起こりうる様々な事象を、事前に想定する事で働く気概を養う。この工程に大体二日近く費やす。初動の遅さが災いして、競争相手に先を越されてしまうんだよなぁ。絶賛淘汰され中だぜ☆


 マラソン大会のスタートラインに立つ以前に、大会参加の申請書類を出せていない感じ。自業自得だ。


 俺の家のトイレのドアに標語カレンダーが掛かっている。今月の標語は『今日やる事を明日に延ばしていると怠け心も積み重なっていく』だった。トイレにすら安息の場所はないらしい。


 そんな重圧からトンズラする為、俺は足しげく彼女の家に通っているという訳なのです。ははは、そんな目で見ないで下さいよと架空のオーディエンスに、心の中で渇いた笑いを贈ってみる。まるで僕がヒモみたいじゃないですか、ハハハ。


 いや、だって冷房が効いてるし、凄く居心地が……駄目だ、語るに堕ちるとはこのことか。


「ご馳走様でした」


 空になった焼きそばの容器に向かって、慇懃に手を合わせる。自分の部屋では一切しない行儀悪だが、頂いたものには流石にね。


 容器を台所のごみ箱に捨てようと立ち上がると、輪廻が漫画から顔を上げ、声をかけてきた。


「容器は水で流してからごみ箱に捨ててね。部屋に匂いが残ると嫌だから」


「うぃ」


 台所で容器と割り箸を、ざーっと水で流し軽く水切りしてからごみ箱へとシュート。


「あ、水貰っていい?」


 喉が渇いたので、家主に水道水を飲む許可を窺う。


「冷蔵庫の飲み物好きなの飲んでいいわ」


「え、なんかすいません……」


「何を今更」


 淡々と返される。やべぇ、超ヒモっぽい。


 男友達の家では普通のやり取りの筈なのに、女性の家ってだけでなんか超ヒモっぽい! 悔しい、でもびk以下自重。


 段々と擦り減っていく自尊心を実感しながら、俺は冷蔵庫の扉に手をかける。


 そういえば彼女の冷蔵庫の中を見るのは初めてである。


 輪廻のことだ、萎びた果物や消費期限切れの牛乳やらが入ってるかも、と軽く心の準備をして扉を開いた。


「……わーお、ファンタスティック」口も開いた。


 想像していたものどころか、一切の食材もなかった。白い冷蔵空間の中を所狭しと埋め尽くすのは、大量の五〇〇ミリ紙パック飲料。その全てがリプトソである。


 ストレートティー、ミルクティー、レモンティー、アップルティーが綺麗に整頓して並べてある。しかも手前から賞味期限が近い順になっている。定期的に補充してるのだろうか? 


 夜な夜なコンビニでリプトソティーを大量に買いあさるゴスロリ少女……おおう、想像するだに恐ろしい。


 念のため、彼女に気付かれないようにこっそりと、一つ下の野菜室の引き出しも覗いてみることにした。


 流石に、ここもリプトソに占領されてるなんて事はないだろう。食材はこっちにまとめてあったり――。


「……ジーザス」


 白一色で塗り固められた野菜室に、これまたぎっしりとリプトソの五〇〇ミリ紙パックが並べられている。しかも、上の扉に入っていたのと品揃えが違う。ピーチティー、グレープティー、パインアップルティー、マンゴーティー、エトセトラ。一体、何が彼女をここまでリプトソにこだわらせるのか。


 そんなに紅茶が好きなら、もう自分で入れようよと思わないでもない。つか、野菜活生ねぇ! さっきあれだけ偉そうに野菜活生推しておきながら、野菜活生ねぇ!


 三つの収納スペースのうち、二つはリプトソの占領下にあるこの冷蔵庫。もはやリプトソ専用機である。


 ここまできたら後には退けない。俺は胸に襲来してきた謎の義務感に突き動かされ、最後の砦である冷蔵庫最下段の引き出し、チルド室へと恐る恐る手を伸ばす。


 みちぃ、とゴムが軋む感触を右手に感じたが、その抵抗を無視して引き出しを開ききった。


 白い立方スペースの中にあったのは、一枚の板チョコだった。塩バニラ。


 シュールという言葉以外に、俺はこの光景を表現出来る語彙を持たない。


 ピーッピーッ、扉の開けっ放しを警告する電子音が冷蔵庫から発せられる。


「漆?」


 訝しむようにリビングから輪廻の声が飛んでくる。ごめん、どれにしようか迷って。と適当な言い訳を返しておいた。非常食? 最後の一枚を取ってんの? 思い出の品かなんか?


 輪廻に聞けば分かることだが、何故だかその選択肢を選ぶことはひどく躊躇われた。彼女には沢山の地雷があるのだ、俺は出逢った日からそれを思い知らされている。


 というか、人ん家の冷蔵庫の中身にケチつけ過ぎだろ、俺。良くも悪くも人生を満喫してるなぁ、ニートだけど。


 俺は野菜室から適当にピーチティーを引き抜き、リビングへと戻った。



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