7話 この幸せが続けばいいのに
梅次さん家に行った1週間後。僕は、パンの配達を終えてから、例のマンホールの所へ向かう。ズレているそれをはめ直し、水道局に連絡して、そこに立って誰も踏まないようにして、修理人が来たらバトンタッチ。万事解決。
しかし、これで終わりではない。
その日の夜、僕は左手薬指を額に当て、眠りにつく。
◆◆◆◆◆
すると、またあの白黒の世界へ。
場所は……知っている。地元の中心街の商店ビルの7階建ての最上階にあるカラオケ店。
今までは路上だった。屋内は初めて。どこも危ない物や壊れそうな物も無い。
天羽さんを見つけた。入口に一番近い部屋で、苺谷さんと涼風さんと楽しそうに歌っている。まさか、この部屋の中に何かある……?
───ジリリリリリッ!
突然、けたたましい音が建物内に響く。
火災だ。火元はどこだ?
階段を降りてみる……しかし、前が真っ黒で見えなかった。もう、黒煙が迫ってきている。あまりの速さに、僕一人ではどうする事も出来ない。一瞬にして絶望に染まった。
「ゴホッゴホッ」
入口に近い部屋にいた天羽さんが、せき込みながら部屋を出てくる。壁に寄りかかりながら、その場で倒れてしまった。
13d 10h 47m 01s
13d 10h 47m 00s
13d 10h 46m 59s
◆◆◆◆◆
目覚める。
13日後、火災で死ぬ。火元は、まだ分からない。……いや、分かったらどうする? 消火するか? またマンホールのように、悪い事が起きる前に対処できる物なのか?
「……ふぅ」
落ち着け。深く深呼吸。火災だから当然だ。規模が全然違う。
課題が複雑だ。一つずつ考えよう。
ひとまず思ったのは、天羽さんを行かせない事。苺谷さん涼風さんと遊びに行くのなら、代わりに他のお店に行くように誘導して……いや、それは難しいだろう。より確実なのは、その日に僕自身と一緒に遊ぶ約束を先にする。天羽さんと遊びに……誘えるかな。最近仲良くなってるけど、街に遊びに行くのは、また違う。天羽さんの、パンを作る時の普段着やポニーテール姿でさえも見蕩れて言葉が出なくなっているのに、天羽さんが私服で街行きのオシャレをしたら…………ああ、昇天してもいい。って、そうじゃなくて。こんな冴えない僕が、天羽さんの完全プライベートの予定をねじ曲げられるような良い感じの誘い方を、果たして出来るだろうか。難しい課題だが、乗り越えるべき壁が明確になった。頑張る以外の選択肢は無い。
◆◆◆◆◆
朝、頑張ると決意してから、5時間経過。
まだ進展は無い。プランを考えては捨てて考えては捨ててを繰り返し、いつも通りにパンを届けて、何気ない幸せな1日だけど、そろそろ変化を加えないといけない。だって明日になれば学校だから、学校でこんな話をするのは一層難易度が高い。そうと分かっているのに、僕は、さりげなく誘うための第一声を、言うための勇気を出すための、準備運動の喉鳴らしをする事しか出来ていない。かっこ悪すぎるぞ僕。
「あーーーっ! 見て見て!」
そんな時。パンを焼き終わって椅子に座って僕と一緒にテレビを見ていた天羽さんが、指を差して僕に呼び掛けてくる。そのニュース番組のレポーターがいるのは……。
「カピバラざえもんフェア! トヨカドでやってるんだって!」
そこは、夢で見たカラオケのある商店ビルの、すぐ近く。大型ショッピングモールの大広場。毎日何かしらイベントをやっている場所だ。そんな所で、焦げ茶色のカピバラのキャラクターのぬいぐるみやらキーホルダーやら、画面いっぱいに埋め尽くされている。
それを見て、天羽さんは満面の笑みで画面に釘付けだ。
「カピバラざえもん?」
「そう! 知ってる?」
「ううん、知らない」
「そっか! あのねあのね、子どもにすごい人気なアニメでね、カピバラにちょんまげが生えて、歩くのがすごーく遅いの! 可愛いんだよ!」
「そ、そうなんだね」
圧がすごい。相当カピバラざえもんが大好きらしい。
というか今思い出したけど、天羽さんが僕のノートに「よく出来ました」と書いてくれた時のキャラが、それだったっけ。
「可愛いなぁ〜! いいなぁ〜!」
その開催期間は……今日から21日後。運命の13日後も、もちろん開催している。
ふと、するりと言葉が出た。
「一緒に、行く?」
「……え、いいの?」
天羽さんが、目を丸くして驚いている。
言った僕自身も、唖然としてしまう。でも、一緒に遊びたい気持ちに、嘘偽りは無い。
「うん。天羽さんと、2人で行きたい」
「っ! …………うん。行こ」
天羽さんが、何度かまばたきをして一瞬固まるが、微笑んで頷いてくれた。
ああ。心臓がバクバクだ。
「じゃあ。再来週の、13日後は、どうかな。丁度、パン屋も休みだし」
「あ……ごめん。その日は、他に予定があるの。だから、そのまた1週間後でいい?」
なん、だと。
「ご、ごめんね! あのね、文実ちゃんと鈴子ちゃんと遊びに行く約束をしててね! 丁度その日なの」
知っている。その日が火災から守るために誘ってみたのだが、13日前から先約があったのか。なら、仕方ない。
「もし良かったら、僕も一緒に行っていいかな?」
「えええっ!? あ……えっと〜……」
僕のとんでもない発言に、天羽さんは大層驚いて返事に困っている。それもそうだ。仲の良い女子3人でカラオケに行く約束に、大して仲良くない男子が混ざろうとしているのだ。本当に、おかしな事を頼んでいるのは分かっている。
でも、こうしないと、天羽さん達が危ないんだ。頼む……。
「ごめんね。女子だけで行きたい所があるの」
女子だけで……そのキーワードを聞いたら、それ以上深く聞く事は不可能。
終わった。
詰んだ。
◆◆◆◆◆
翌日になっても、頭の中はぐしゃぐしゃだ。学校に来て早々、力が入らず教室の自席で突っ伏せしてしまう。
あの時の、天羽さんの視線の下がりようは……どう断れば僕が傷付かずに済むかの言葉選びに本当に困っているのを寒気と共に感じてしまったああああ。
「石上。どうしたんだ。朝飯は?」
「食べたああああああ片桐聞いてくれよおおお」
「聞こうじゃないか。俺の頭脳をナメんなよ?」
「ありがとおおお実はな……」
僕は話した。天羽さんを遊びに誘ったけど、その日は女子3人で遊ぶ約束があり、そこに僕も入れて欲しいと言って断られた、と。
「バカか。断られて当然だ」
「ぐふっ!」
「どんな約束かは知らんが、そんなに前々から決めてるってのは、天羽にとっちゃ楽しみで仕方ない事なんだろ。そんな大切な予定を変えるなんて、よっぽどの事じゃねぇと出来ねぇよ」
その、よっぽどの事が起こるんだけどね。
「まぁ。お前にしては、めっちゃ勇気出したと俺は思うぜ」
「……ありがとう」
「しかし、折角話してくれたのに、すまねぇな。さすがに男の俺には、どうにもな」
片桐も、何とか僕を応援しようとしてくれているけど、これは難題すぎた。
「石上くん」
「っ!?」
「おま、苺谷! いつから?」
「最初から。でも私は口が固いから安心して」
苺谷さんが、音も気配も無く、そこにいた。片桐も気付いてなかった。忍者かな?
「苺谷さんも、トヨカド行くんでしょ」
「うん」
「どうにか、それを延期するのは」
「無理」
「だ、だよね。ハハ、ごめんね。何言ってんだろね」
「石上くんは、花恵ちゃんと、どうしてもその日に遊びたいの?」
「どうしても」
「…………」
苺谷さんが、じっと僕の目を見てくる。
女子3人の楽しみを奪う変な男であるのだが、しかしその目的は純粋にその3人を守るためだ。全部は言えないけど、せめて僕の誠意を込めた目だけは、信じてほしい。
「……ふん」
何やら一息ついた苺谷さんが、ペンとメモ帳を出し、書き込む。それを破り、僕に渡してきた。
そこには、その日の待ち合わせ場所と時間が書いてある。
そして、その下に……。
10時に井上駅
バレないようにこっそり来れたら
花恵ちゃんが断った理由が分かるよ
と、書かれてあった。
「苺谷さん……」
「私は口が固いの。誰にも言わない。でも、応援もしてるから」
親指をサムズアップして、苺谷さんは去っていった。
「なぁ石上。本当に行くのかよ」
「片桐。そんな事、聞くまでも無いよ」
◆◆◆◆◆
それから何事もなく、いつも通りの日々を過ごして。
当日。時刻は午前9時40分ちょい過ぎ。
例の場所で火災が起きる、その6時間前の今、僕は最寄り駅の井上駅の物陰にいる。広場には、苺谷さんと涼風さんが私服姿で、2人とも学校では結んでいる髪を解いている。間違いなく、あの場所に天羽さんは来る。苺谷さんがくれたメモの通りだ。
今日の僕はこの距離を保ち、マスクと伊達メガネで変装しているから、遠ければバレない。はず。
「お待たせ!」
声の方を見ると。
青いキャップに、シュシュでゆるめに纏めたポニーテール。目元に化粧、上は白色のフリル付きブラウスに、下は紺色のストレートデニムと、桃色のスニーカー。女子同士で遊びに行く事に合わせた、動きやすそうな格好だ。歩く度に揺れるポニーテールに、いつもと違う活発な雰囲気に、見蕩れてしまった。まずいぞ、この距離を保って追跡するはずが、見蕩れて悶えて動けないとは。しっかりしろ僕!
◆◆◆◆◆
週末という事もあり、それなりに人の多い電車の中。天羽さんと苺谷さんと涼風さんは、3人で並んで座って会話に花を咲かせている。僕は、背を向ける形でその車両の隅で気配を消す。
あと6時間後にカラオケ店にいる事は知っているが、その途中に行く場所までは分からない。唯一の手がかりは、苺谷さんの教えてくれた、僕に知られたくない何かを天羽さんがやる事。もう、何でもいい。カラオケ店に入られる前に、行き先を変えられるチャンスがあるなら、そこで食い止めてみせる。
「今日は、ありがとうね! 私の為に早起きしてくれて」
「いいよ、これくらい」
「そーそーお互い様! あたしこそありがとうだわ! 月末にシフト出すからさ!」
聞き耳を立てると、天羽さん、苺谷さん、涼風さんの順に話した。どうやら、今日は先月から遊ぶ約束をしていて、そこから天羽さんの予定を付け加えたようだ。
「良いって事よ! 友達だもん!」
「右に同じく」
「……うん。ありがとう」
「花恵ちゃん。どこが良いって思ったの?」
「え? も、もう話したでしょ?」
「もう一回、最初から聞きたい」
「私も! 聞きたいなぁ〜」
「もう……2人とも」
と。苺谷さんが天羽さんに問い掛けると、会話の雰囲気が何やら変わった。 何を話すのだろう?
「……最初は、倒れてきた信号機から助けてくれて、落ち着くまで頭を撫でてくれたの。本当に嬉して、お礼にアップルパイをあげたら、カピバラざえもんみたいに詰め込んでて可愛いなぁ、って思えたの。まだ、その時は、そこまでなの。でね、相合傘を誘われて、私の歩く速さに合わせてエスコートしてくれて、胸がトクントクンってなった。で、パンの配達を協力してくれてね。バイト代がいくらなのか知らないのに働きたいって。私の笑顔の為に。それだけだったのも嬉しくて。一緒にいる時間が増えて、トクントクンがもっと大きくなった。…… にぶい私でも、これが初恋なんだって自覚したのは、ママに感謝の気持ちを伝えたくなったら代わりに聞いてくれるって言ってもらえた時だった。傍に居てほしい人がずっと居てくれるのってこんなに嬉しい事なんだって。そしたらもう本当にトクントクンが止まらなくて。ありがとうを何度でも言いたいし、もっと長く居たい、もっと見てほしい、出来たら手を繋ぎたいって考えるようになったの。……はい、おしまい。ちゃんと聞こえた?」
はい、聞こえました。
聞いてしまいました。
誰の、という主語は一言も言っていないけど、まぎれもなく僕だ。天羽さんの本音を聞いてしまった。やばい。心臓の音が大きすぎる。聞こえてしまわないか心配になる。僕の事をそんなふうに想ってくれていたなんて。知れて嬉しいのと盗み聞きして申し訳ないのとが混ざって、身を潜めるのが息苦しい。
「はぁ〜。青春だね。純愛だね。いいぞいいぞ! そんな花恵の為に、今日はめいっぱい協力するよ!」
「う、うん。ありがとう」
「可愛い服を買って、来週のデートを成功させようね」
「ちょ、文実ちゃん! そんな大きな声で!」
「今更どうしたのよ? デート誘われてるんでしょ。あんまり待たせちゃ他の子に行っちゃうかもよ?」
「それは! ……やだ」
「ん〜! 可愛いなぁもう!」
……何……だと。
今日は、僕に可愛く見てもらうために、服を買いに行くのか。やばい。やばいやばい。耳から熱々の蒸気が出ているのが触らなくても分かる。こんな幸せな事があっていいのか。一生懸命にお洒落をした天羽さんと、僕が、カピバラざえもんフェアを楽しむ……ああ、想像するだけでも最高なのに。それが想像で終わらず、現実になろうというのか。
落ち着け僕。落ち着かないと、来週のその楽しみが夢で終わる。僕が今日すべき事をもう一度確認しろ。僕のやるべき事は、天羽さん達がカラオケ店に行く事を偶然を装って行き先を変えて阻止して火災から守る事。この尾行を見つかってはいけないし、不自然にカラオケ店を遠ざけるのもしてはいけない。難しいミッション。しかし成功すれば最高の褒美が待っている。落ち着け僕。耐えろ心臓。
───プルルルル
止まっていた電車が鳴り、扉が閉まる。そして、動き出す。人が多くなる。これでは聞き耳を立てても……いや、この人混みなら多少チラ見しても見つからないだろう。
「……え?」
いない。先程まで3人が座っていた座席に、他の人がもう既に座っていた。
まさかと思い外を見る。トヨカドのある挙母市駅。真顔の苺谷さんと、目が合う。何で降りてないの? と言っているようなその冷えた表情に、僕は開いた口が塞がらなかった。
僕のバカ野郎ぉぉぉぉぉ!
◆◆◆◆◆
───プシュウウウウ
電車が止まり扉が開く。僕は、挙母市駅の次の駅で反対に行く電車に乗り換え、ホームで待つ。走るよりも電車に乗って向かう方が早いと頭では分かっているが、足が落ち着かない。
───ブブッ
すると、ポケットに入れていた携帯電話が揺れる。見ると、苺谷さんからメールが来ていた。『トヨカド2階なう』と。服屋さんの写真付きで。
トヨカドは大型ショッピングモール。おそらく天羽さん達はそこの服屋のどこかに居る。
苺谷さんには助けられっぱなしだ。また今度お礼をしないと。
「……」
そうして走って、トヨカドに到着。
週末という事もあり、人が多い。カピバラざえもんのグッズを持っている人もあちこちに視界に入る。
さぁ、この人混みを縫うように駆け抜けて、2階へ。
「……いた」
2階に上がってすぐ、話し声で気付けた。天羽さんは、涼風さんとお話し中。こんなに早いとは嬉しい誤算だ。携帯電話を見ても、まだ4時間。余裕がある。服を買い終わってカラオケ店に行くまでに、きっとフードコートで昼食を取るだろう。そこが狙い目だ。僕もよく片桐と飯を食べに来るから、違和感は無い。完璧な作戦だ。いけるぞ、僕!
「気に入ってくれるかな」
ふと。服を持って鏡を見る天羽さんが、独り言を言う。誰に言うでもない、独り言の声量。絶対に聞いてはいけない乙女の繊細な本音を聞いてしまった。
より良く可愛く仕上げて、僕に見てもらいたくて、恥ずかしさを堪えて健気に頑張ってくれている。
やばいやばい。嬉しすぎて顔のニヤニヤが止まらない。こんな顔、誰かに見られたら変質者だと思われてしまう。
「何て顔してるの」
苺谷さんが、隣でドン引きしていた。
◆◆◆◆◆
「確かに私はね、君をここまで誘導した。花恵ちゃんがお誘いを断った理由を分かってもらうために。でもね、流石に近すぎ。長く見すぎ。鼻が伸びすぎ。息遣いがハアハアしてて気味悪すぎ。私に最初に見つかって運が良かったと思いなさい」
「自重します」
誰もいない非常階段の場所で、伊達メガネとマスクを外した僕は、苺谷さんにお説教を受けていた。身長の低い苺谷さんが5段ほど上の段で見下ろしている形で。
「もう分かったでしょ。見つかる前に、もう帰って」
「……」
苺谷さん。それは絶対に譲れない。僕は、今日の3時間後に天羽さんを……君たちを守る使命があるから。
「何か、理由があるみたいだね」
「うん」
目と目で、誠意を語り合う。
しかし一瞬で終わり、苺谷さんは携帯電話を見て、ため息を1つ。
「分かった。お好きにどうぞ」
「うん。色々と、ありがとうね」
「どういたしまして」
階段を降り、お店へ向かう……が、苺谷さんは一番下の段で止まり、座った。
「疲れちゃった。オレンジジュース飲みたい」
「えっ?」
「1階の、オレンジ搾るお店あるでしょ。そこのSサイズで。精神的に疲れた私を労って」
「うん、分かった、ちょっと待っててね」
僕は急いで階段を降り、苺谷さんに手を振る。
確かに苺谷さんに何らかのお礼をしたいと思ってたけど、オレンジジュースも好きだったらしい。いちごミルクだけじゃなかった。
なんて色々考えている間に、オレンジジュース屋に到着。長い順番待ちの最後尾に並び、ぼんやりとオレンジが搾られるのを眺める。
「石上くん?」
ふと、呼ばれる。後ろから天羽さんの声が。
見つかった。切り替えろ。愛想笑いをして振り向いて……
「っ!?」
時が。
止まった。
「偶然……だね」
桃色の花柄マーメイドスカート、黒いシャツに、白いカーディガンを肩にかけている。ウエストがキュッと絞られていて、天羽さんのスタイルの良さがより分かりやすくなっている。
そして、朝付けていたシュシュを外し、ストレートロングの髪型にしている。いつも見るはずの栗色の髪だが、ショッピングモールの照明に照らされて、明るい茶髪に見えもする。
そしてそして、髪先やカーディガン、マーメイドスカートなど、どの部分もひらりひらりと揺れ動く。人が近くを歩いて起きる風でさえ、ふわりふわりと遊んでいるようだ。
「どう、かな」
天羽さんが、目を合わせずに小さく問う。
それもそうだ。今日このタイミングで僕と会う約束はしていない。僕に魅せるための服を買ったとはいえ、心の準備は出来ていないはず。
でも、堂々と服装を見せてくれているこの雰囲気から、何となく、もっと見てほしい、会えて嬉しい、と思っているようにも見えて、言葉が、出てしまう。
「似合ってる。可愛い」
「っ! あ……ありがと」
いつもの僕のように噛み噛みで言っている。相当に恥ずかしいのだろう。あまりジロジロと見ない方が賢明か。
「あ。天羽さんも並ぶ?」
「……うん」
天羽さんが、静かに僕の隣へ。
やはり。距離感の近さから、オレンジジュースを買いに来たのは分かっていた。
「石上くんも来てたんだね。びっくりしたよ」
「僕もびっくりした。天羽さんの声がすると思ったら、違う人に見えてさ。大人な感じで雰囲気が違うね」
「えへへ。そんなにびっくりしてもらえて良かったよ」
なんて言って、天羽さんはいつもと変わらない笑顔になる。
「あ。そうだ、石上くん。他に誰かと来てる?」
「え? ううん」
「そっか……私、今日は文実ちゃんと鈴子ちゃんと来てるの。この後、お昼ご飯とか、ゲームセンターに遊びに行くとか、カラオケに行くんだけど、良かったら一緒に来る?」
「ええっ……?」
「あの、その、急だったよね、ごめんね! この前は断っちゃったけど、もうその用事は済んだから……この後どうかなって」
チャンス到来。ここで僕が付いていけば天羽さん達をカラオケに行かせないように誘導できる。天羽さんから提案してくれるなんて、運が良い。
「ありがとう。僕も一緒に遊びたい」
「うん、分かったよ。じゃあ、あとは2人にも聞いてみ……ごめんね、鈴子ちゃんからだ。もしもーし」
そう言って、天羽さんは携帯で電話をする。
その時、同じタイミングで、僕の携帯電話も振動する。苺谷さんからの電話だ。
「もしもし」
「ごめん、ジュースいらない」
「え? あ、分かった」
「あと。私と鈴子ちゃんは帰るから。……くふふ。じゃあね」
「えっ? ちょ、何笑ってんの! ……切れちゃった」
苺谷さんと涼風さんが、帰る。このタイミングで。
天羽さんを見てみる。ポカンとした表情をしている。
「鈴子ちゃんがね、急用が出来て帰るんだって。文実ちゃんも、塾があるみたいで」
ああ。これは、間違いない。
「ど、どうする?」
「どうするって……僕は全然、大丈夫」
「そっか……わ、私も……だよ」
顔が見れない。目線を上げられない。
でも、オレンジジュースを買う必要が無くなった。
「ジュースは、買う?」
「あ、ううん。鈴子ちゃんがいらないって」
「そっか……僕も、また今度かなって思った所」
ならば、この列を出ないといけない。
しかし、週末の人混みを、目を合わせないで足並みを揃えて歩くなんてのは困難を極める。
という事は、解決策は1つだけ。
「行こっか」
「っ……うん」
隣に並ぶ天羽さんの右手を、僕は左手で握る。一瞬驚いた天羽さんだけど、ゆっくりと軽く握り返してくれた。
「あの、あのさ」
「うん」
「一緒に、カピバラざえもん、見に行こ」
「…………ん。行こ」
天羽さんの手を引き、人混みをかき分けていく。
ここが人混みで良かった。心臓の音がバレなくて済む。
◆◆◆◆◆
さて。程なくして僕たちはカピバラざえもんフェアの会場に到着。
どこもかしこも、ちょんまげが生えてる焦げ茶色の毛並みのキャラクターでいっぱいだ。大小さまざまなグッズに、小さい子どもや若い大人が見て触れている。
人。人。人。
前にも後ろにも進みづらいほどに人が多い。
「見て見て! 可愛い〜!」
しかし、天羽さんは、僕と繋いだ手を引いて、様々なカピバラざえもんを見ては手に取ってみたり撫でてみたり、僕にも笑顔を見せてくれる。
ああ、良き。楽しさのあまりに普段はしないような強めの力で僕を引っ張る天羽さんが新鮮で見てて楽しい。
カピバラざえもんは好きでも嫌いでもないけど、この楽しさを記念に保存できるなら、何かグッズを買うのも良さそうだなと考える。
「ん?」
「どしたの?」
「あ、これ。このマグカップ」
ふと、マグカップが目に留まり、今度は僕から天羽さんを引いて見せる。
そのマグカップは、全体が焦げ茶色で、カピバラざえもんの顔のイラストが大きく描かれている。
「これ、使い勝手が良さそうだなって」
「いいね! 大きいし丈夫そう!」
「そう。それもあるし、それに……」
「それに?」
「いつも一緒に、パンの配達の合間にさ、ココア飲むじゃん。ココアの色合いと合うし、せっかくなら、お揃いのマグカップで一緒に飲みたいな、なんて思ったけど、どうかな」
「……」
あれ? 返事が無い。
見ると、片手で口元を隠していた。でも、その大きな笑顔は隠しきれていなかった。
「本当に、石上くんは、そういう所だよ」
「え、何が?」
「何でもない! 良いと思うよ!」
という訳で、2つのマグカップを持って、レジに並ぶ。
その間、繋いだ手をお互いに握り返すだけの、2人にしか分からない秘密の会話が尊くて。
この幸せが続けばいいのに。
「……………………」
そう願っても。
あと2時間後に迫る死の運命が、この幸せを許してくれない。




