12.何か美味しいものを食べた夢を見て
うっすらと何か美味しいものを食べた夢を見て目が覚める。昨日俊宇さんに作って貰ったご飯を夢の中でも食べたのだろうか。また今日も食べられるので、夢に見るほどではないと思うんだけど。それとも前の場所で食べた何かだろうか。
それが何かはさっぱり思い出せないんだけれど、何か、美味しいものを、食べたような、そんな夢。悪い夢じゃないと思う。
そんな夢の残滓を振り払いながら、伸びをして。今日箪笥から出したのは、濃いピンク色だったんだろうなと思われる、薄めのピンク色のワンピース。色落ちが綺麗。こんなに綺麗に色って抜けるんだなって思える色合いで、これは確かにお気に入りとして残してしまいたくなる。首元まである前開きで、裾までずらりと白い貝殻のボタンがついていてとてもかわいい。肘くらいの長さの袖もとても動きやすそう。ひらひらしすぎていないから、お店のお手伝いにも向いていると思う。
箪笥に残されていたワンピースはどれもこれも綺麗だから、毎日がちょっとだけ楽しい。今度美恵さんにそう言おう。できれば、一回全部袖を通した後に。
「おはようございます」
「おはよう」
「おはようさん」
毎朝起きるのは私が一番遅い。寝るのは多分、私の方が早いんだけれど。目覚まし時計もないし、そこは許して欲しい。窓から入る陽花里に、起こされるしか今のところ方法がないので。
ちなみにおふたりにそう言ったら、美恵はもっと遅かったとか、弟の家郎はそもそも昼まで起きてこなかったとか笑い話を教わった。その時ふたりがいくつだったのかは聞いていない。今の私と比べて、もっと子供の頃の話かもしれない。
今日の朝ご飯は、昨日と同じように豆乳のスープ。豆乳が温まって固まって、おぼろ豆腐みたいになっているのがとても美味しい。それから昨日は揚げパンだったけれど、今日はもちっとしたクレープみたいなパン。
美恵さんとか、家郎さんのお話を聞きながら、朝ご飯は終わった。
私がどうやら自分のことをよく覚えていないようだ、というのはふたりに昨日ちょっと話してあるので、その辺りを深く聞かれたりはしない。なんとなく話を振られて、私も思い出せる範囲で緩く答える感じ。
あっちからこっちに来たら、一時的に記憶喪失になるのは、ままあることであるらしい。
まあ私自身は体験していない気がするとはいえ、竜巻で空から降ってきたようだし。それなら一時的に記憶が混乱することだってあるだろう、と、なんか変に納得してしまったのだ。何納得してるの、と言われれば、それはそうなんだけれど。
ちなみに今私のいるここが地下なのか、というとそうでもないらしい。けれど最初の頃に来訪した方がいた場所を地上、と呼称したことから、私の来た方にある場所を地上、と呼んでいるだけにすぎないらしい。元々いた地名は皆さんバラバラなので、思い出すまでは変な知識を与えないように、という配慮なのだろう。
確かに、私が元居た場所について、なんか言われたら信じてしまいそうである。そして信じてしまったら、そこから記憶は戻ってこないかもしれない。だって、知らない地名で、行ったこともなかったら、まつわる記憶とか、ないわけだし。
「ねえ聞いた?」
朝ご飯を終えたらゆっくりと開店準備をして、開店。昼と夜しか開店しないとしても、仕込みの量はそれなりにある。ただ、それが一般的な飲食店と比較するとどうなのか、っていうのは、知らないけれど。私はどうやら、飲食店の厨房でバイトしたことはないらしい。
本日一番に来店されて、そして噂をもたらしたのは、昨日の昼も夜もいらした博さんだ。奥さんの分もご飯を調達する必要があるし、博さんが台所で何かをするのを奥さんは好まれないらしい。お茶を淹れたりする程度は許されてるんだけど、とぼやいていた。何をやらかしたんだろうね。絶対何かやらかしてるよね。薬缶を焦がした程度ならいいんだけれど。
今日は焼いた餃子に白ご飯のオーダーだった。水餃子も好きだけれど、やっぱり餃子は焼いた方が私は美味しいと思う。今日は少々、私も包んだ。お店に出せるレベルではまだないので、本日の賄い用。必要なのは慣れよ、って|梓晴≪ヂーチン≫さんも言っていたし!
俊宇さんが準備をしている間に、博さんがワクワクしたように、わくわくした気持ちを隠し切れないように、私と梓晴さんとそれから俊宇さんに話を切り出した。
何の話だろう。
「今日会うのは博さんが初めてよ」
私が起きる前に、誰か来ていたら分からない。食材の搬入のひととか、いそうじゃない? たとえそうだとしても、客商売であるからして。そもそもそっちとは違う噂が入る可能性もあるわけで。だから、梓晴さんのお返事は接客業としては妥当な返答だと思う。店内に他に誰かがいたら通じないけれど、今は私たちしかいないし。
「そう? なんとこの街にも、妖精様がいらしたそうだよ」
「へえそうかい」
「妖精様の噂を聞くのは、すごく久し振りな気がしますねえ」
「妖精様?」
何か意外な信仰を見た気がする。
偏見で申し訳ないんだけれど、妖精よりは精霊信仰のイメージがあった。どう違うのかと聞かれると、確かにうまく説明できないんだけれど。多分、仙人って言葉とか、天帝って言葉とか、あとは、空にランタン飛ばすお祭りとかからのイメージだと思う。
「そうね、茜ちゃんは知らないわね」
「そうだねえ。あっちの方にね」
博さんが指さすのは、堪さんの働く寺院の方だ。多分、口ぶりからするにもっと先だろう。
「森があるんだよ。街からは見えないんだけれど、あるんだってさ」
堪さんも言っていたけれど、ほとんどのひとは街から街へと移動しない。なんか気持ちが悪くなるから、らしい。移動しても気持ち悪くならないひとたちは街の外へ出て荷物を運搬したりといった仕事をしているらしい。
博さんがそんなことを軽く説明してくれた。なるほど。
ちなみに博さんも外に出ない類の仕事をしていたそうで、それらの街の外の知識は学校で昔習ったことだという。だから、古くなってるかもしれないけどね、と笑っておられた。
「で、その森をぐるっと囲むように街がいくつだったかな、あるって話で」
確かに街が全部でいくつあるのかといったそういう、地理的な話は今、必要ないだろう。考えるそぶりすら見せず、博さんは話を先へと進めた。後できっと必要になったら、なるのかどうか分からないけれどなったら、堪さんが教えてくれるだろう。多分、そういうのも堪さんの仕事の内の気がする。
「その森から、妖精様が街へやってくるんだよ」




