第2話:記録石の力
護衛依頼から戻って一週間が経った。
悠は相変わらずFランクの冒険者として、地道に依頼をこなしていた。
記録石を手に入れてから、明らかに変化があった。見た情報が完璧に記憶されるのだ。一度見たモンスターの特徴、人々の顔と名前、街の地図、全てが頭の中に蓄積されていく。
【人間:パン屋・ボブ・43歳・腰痛持ち】
【人間:酒場の客・商人・二日酔い】
【ゴブリン:雄・弓手・左目に傷】
情報が詳しくなっただけでなく、一度見た情報を忘れなくなった。まるで頭の中に巨大な図書館ができたような感覚だ。
今日の依頼は、東の森での薬草採取。もう何度もこなした依頼だが、報酬は確実にもらえる。
森に入ると、いつもの場所にヒールグラスが生えていた。
【薬草:ヒールグラス・3日前に採取済みの株から再生】
情報が細かい。そして、悠は気づいた。
薬草が生える場所は、いつも同じだ。採取しても、3日後には同じ場所に生えている。まるで、決められたルールに従って再生しているかのように。
「植物の生態として、ありえなくはないか」
悠は自分を納得させた。ヒールグラスは生命力が強い薬草だ。地下茎から何度でも再生するのかもしれない。
10本の薬草を集め終わると、予定通りビッグスライムが現れた。
【スライム:大型個体・縄張り防衛本能】
もう驚かない。これがこの森のルールなのだ。薬草を10本取ると、必ず現れる。
悠は慣れた手つきでビッグスライムを倒し、ギルドへ戻った。
「お疲れ様です、悠さん」
受付嬢のミーナが笑顔で迎えてくれる。
【獣人:受付嬢・ミーナ・21歳・猫族】
「今日も薬草採取ですか?」
「ええ、地道に稼いでます」
「そういえば、新しい依頼が入ってますよ。Fランクでも受けられる護衛依頼です」
ミーナが依頼書を見せてくれた。
『商隊護衛:期間5日、報酬銀貨30枚』
「商隊護衛ですか」
「はい。大手商会の定期便なので、それほど危険はないと思います。他にも護衛が付きますし」
悠は考えた。5日間拘束されるが、銀貨30枚は魅力的だ。
「他にはどんな人が?」
「Eランクの冒険者が3人、Fランクが2人参加予定です。悠さんが入れば、計6人の護衛になりますね」
十分な人数だ。これなら、自分一人で戦う必要もない。
「受けます」
「ありがとうございます。明後日の朝、南門に集合です」
悠は依頼を受理し、宿に戻った。
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夜、悠は宿屋の食堂で夕食を取っていた。
安い定食だが、温かい食事はありがたい。パンとスープ、それに少しの肉。冒険者になってから、この質素な食事にも感謝するようになった。
隣のテーブルで、冒険者たちが騒いでいる。
「聞いたか? 北の鉱山で、でかい魔晶石が見つかったらしいぜ」
「ああ、拳ぐらいの大きさだって?」
「それで一攫千金狙いの冒険者が殺到してるとか」
「危険だろうな。鉱山にはモンスターも多いし」
悠は聞き流していた。一攫千金など、自分には縁のない話だ。
【人間:冒険者・剣士・Dランク・酔っている】
【人間:冒険者・槍使い・Dランク・少し酔っている】
酔っ払いの話は大げさなことが多い。
でも、この世界にはとんでもない実力者がいることも事実だ。自分のような最弱もいれば、規格外の強者もいる。
「ま、俺には関係ないか」
悠は食事を終えて、部屋に戻った。
ベッドに横になり、今日一日の情報を整理する。これが日課になっていた。
東の森で見た薬草の配置、モンスターの出現パターン、ギルドでの会話、酒場で聞いた噂話。全ての情報が、記録石のおかげで鮮明に残っている。
そして、悠は気づき始めていた。
パターンがある。
モンスターの出現には法則性がある。薬草の再生にも周期がある。商人たちの移動ルートも固定されている。
まるで、この世界全体が、見えないルールに従って動いているような……。
「いや、それは当然か」
悠は首を振った。
自然界には法則がある。生態系にはバランスがある。人間社会にも慣習がある。パターンがあるのは当たり前だ。
それに、自分はまだこの世界のことをほとんど知らない。もっと情報を集めなければ。
悠は記録石を握りしめた。
この石のおかげで、情報収集が格段に効率的になった。いずれ、この蓄積された情報が役に立つ時が来るはずだ。
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二日後の朝、悠は南門に向かった。
すでに他の護衛たちが集まっていた。
【人間:冒険者・戦士・Eランク】
【人間:冒険者・弓手・Eランク】
【エルフ:冒険者・魔法使い・Eランク】
【人間:冒険者・槍使い・Fランク】
【ドワーフ:冒険者・盾戦士・Fランク】
「お前が最後か」
Eランクの戦士が悠を見て言った。がっしりとした体格の中年男性だ。
【人間:冒険者・戦士・Eランク・ブラッド・35歳・リーダー気質】
「すみません、黒川悠です。よろしくお願いします」
「俺はブラッド。今回の護衛隊長を務める」
ブラッドが他のメンバーを紹介してくれた。
Eランクの弓手はカレン、エルフの魔法使いはセラ。Fランクの槍使いはジンで、ドワーフはドゥリンという名前だった。
「商隊はもうすぐ来る。配置を説明するぞ」
ブラッドが作戦を説明する。
商隊は馬車10台の大規模なもの。護衛は前衛2人、中衛2人、後衛2人に分かれる。悠は後衛で、周囲の警戒を担当することになった。
「お前、索敵が得意だって聞いたぞ」
ジンが話しかけてきた。
【人間:冒険者・槍使い・Fランク・ジン・19歳・お調子者】
「まあ、人より目がいいくらいです」
「謙遜すんなよ。ガルドから聞いたぜ。ゴブリンの巣で活躍したって」
ガルドの名前が出て、悠は少し嬉しくなった。仲間として認めてもらえているのだ。
やがて、商隊が到着した。
大きな馬車が10台、護衛の傭兵が5人、そして商人たちが20人ほど。総勢40人近い大所帯だ。
「皆さん、よろしくお願いします」
商隊長が挨拶に来た。
【人間:商人・商隊長・レオン・42歳・計算高い】
「この定期便は月に2回、必ず運行しています。皆さんのおかげで、安全に商売ができます」
レオンは愛想よく話したが、目は笑っていなかった。商人らしい、計算づくの笑顔だ。
商隊が動き始めた。
悠は最後尾で周囲を警戒する。記録石のおかげで、一度見た景色は完璧に覚えている。少しでも変化があれば、すぐに気づける。
最初の1時間は何事もなく進んだ。
街道は整備されており、商隊は順調に進む。定期便ということもあって、馬車の御者たちも慣れた様子だ。
2時間目、森に入った。
「警戒しろ」
ブラッドが声をかける。
悠は周囲に目を配った。
【植物:オーク】
【植物:ブナ】
【鳥:カラス】
【鳥:スズメ】
特に異常はない。
しかし、30分ほど進んだところで、悠は違和感を覚えた。
「止まってください」
悠が声を上げると、商隊が停止した。
「どうした?」
ブラッドが聞いてくる。
「鳥がいません。さっきまでいたカラスやスズメが、全くいなくなりました」
確かに、森が静かすぎる。鳥の鳴き声が聞こえない。
「野盗か?」
ブラッドが剣に手をかける。
その時、茂みから矢が飛んできた。
「伏せろ!」
ブラッドの号令で、全員が身を低くする。
矢は馬車に突き刺さった。続いて、森から野盗たちが現れた。
【人間:野盗・剣士】
【人間:野盗・弓手】
【人間:野盗・斧使い】
数は15人ほど。商隊の護衛と同じくらいだ。
「金を置いていけ! 命は取らねえ!」
野盗のリーダーが叫ぶ。
【人間:野盗・リーダー・元傭兵・左手に古傷】
「断る」
ブラッドが剣を抜いた。
戦闘が始まった。
護衛と野盗がぶつかり合う。剣と剣が火花を散らし、矢が飛び交う。
悠は後方から弓手を狙った。相手の動きを観察し、隙を見て石を投げる。
【人間:野盗・弓手・右利き・左足を引きずっている】
左足が弱点だ。悠は左足を狙って石を投げた。
「ぐあっ!」
野盗がよろめいた隙に、カレンの矢が胸を貫いた。
「ナイス!」
カレンが親指を立てる。
戦闘は護衛側の優勢で進んだ。Eランクの冒険者たちは、野盗より明らかに強い。
特にセラの魔法が効果的だった。火球が野盗たちを散らし、氷の矢が足を封じる。
「撤退だ! 撤退!」
野盗のリーダーが撤退を指示した。
野盗たちは散り散りに森へ逃げていった。
「追うな」
ブラッドが制止する。
「深追いは危険だ。罠があるかもしれない」
賢明な判断だった。
商隊長のレオンが礼を言いに来た。
「ありがとうございます。さすが冒険者の皆さんだ」
「仕事ですから」
ブラッドは淡々と答えた。
商隊は再び動き始めた。
悠は改めて周囲を警戒する。一度襲撃があったということは、また狙われる可能性がある。
しかし、その後は何事もなく、夕方には宿場町に到着した。
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宿場町の酒場で、護衛たちは夕食を共にした。
「悠、お前のおかげで助かったぜ」
ジンが酒を注いでくれる。
「鳥がいないことに気づくなんて、大したもんだ」
「たまたまです」
「謙遜すんなって」
ドゥリンも頷いた。
【ドワーフ:冒険者・盾戦士・Fランク・ドゥリン・45歳・酒好き】
「儂も長いこと冒険者やっとるが、ああいう細かいことに気づく奴は珍しい」
褒められて、悠は照れた。
でも、本当は記録石のおかげだ。全ての情報を記憶しているから、変化にすぐ気づける。
「ところで」
セラが口を開いた。
【エルフ:冒険者・魔法使い・Eランク・セラ・87歳(見た目20代)・知的】
「あの野盗たち、動きが統率されていたわね」
「確かに」
ブラッドも同意する。
「普通の野盗にしては、撤退の判断が早すぎた。まるで、最初から長期戦を避けていたような」
悠も同じことを感じていた。
野盗のリーダーは元傭兵。戦い慣れている。それなのに、あっさり撤退した。
「まあ、撃退できたんだから、いいじゃないか」
ジンが場を和ませる。
「そうだな。明日も長い。早めに休もう」
ブラッドの言葉で、その日は解散となった。
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翌日も、商隊は順調に進んだ。
襲撃もなく、天気も良好。このまま何事もなく終わりそうだった。
しかし、3日目の昼過ぎ、奇妙なことが起きた。
街道沿いの茶屋で休憩を取っていた時のことだ。
「あれ? また会いましたね」
茶屋の主人が、別の客に話しかけていた。
「昨日もこの時間に来られたでしょう?」
「え? いや、俺は初めてだが」
客は困惑している。
【人間:旅人・商人見習い・迷っている】
悠は興味深く聞いていた。
茶屋の主人は、昨日も同じ時間に、同じような格好の客が来たと言う。でも、その客は初めてだと言う。
「人違いじゃないですか?」
「そうかもしれんが……うーん、よく似てたんだがなあ」
主人は首を傾げた。
悠は記録石の記憶を確認した。
昨日の同じ時間、確かにここを通った。その時にいた客は……。
【人間:旅人・商人・帰路】
別人だ。でも、確かに服装や雰囲気は似ている。
「偶然かな」
悠は小さく呟いた。
でも、心のどこかで引っかかりを感じた。
同じような人が、同じ時間に、同じ場所に現れる。
まるで、決められた配役が、決められた場所に配置されているような……。
「おい、悠。出発だぞ」
ジンに呼ばれて、悠は思考を中断した。
考えすぎだ。似た格好の旅人なんて、いくらでもいる。
商隊は再び動き始めた。
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4日目の朝、悠は奇妙な夢を見て目が覚めた。
列車事故の夢だ。また見た。
金色の光の中で、誰かが叫んでいる。今回は、声が少しだけ聞こえた。
「なぜ、俺たちが……」
若い男の声。聞き覚えがあるような、ないような。
「起きろ、悠」
ドゥリンに起こされた。
「もう出発の時間だ」
「すみません」
悠は慌てて支度を整えた。
4日目も順調に進み、夕方には目的地まであと半日の地点に到着した。
「明日の昼には着くな」
ブラッドが地図を見ながら言う。
「ここまで来れば、もう大丈夫だろう」
確かに、目的地に近づくにつれて、街道の警備も厳しくなっている。野盗が出る心配もない。
その夜、悠は野営地で星を見上げていた。
満天の星空。都会では見られない光景だ。
「きれいですね」
セラが隣に座った。
「エルフは星読みができるんですよ」
「星読み?」
「星の配置から、運命を読み取るんです」
セラは星空を指差した。
「あそこに見える7つの星。古い言い伝えでは『王の星座』と呼ばれています」
確かに、7つの明るい星が、冠のような形に並んでいる。
「7つの王が世界を統べる、という予言があるんです」
「7つの王……」
悠は古文書の内容を思い出した。『七つの光が同時に輝く時』という一節。
関係があるのだろうか。
「ただの言い伝えですけどね」
セラは微笑んだ。
「でも、今夜は8つ目の星が見えます。ほら、あそこ」
セラが指差す先に、確かに小さな星が輝いていた。7つの星の外側に、ぽつんと光っている。
「8つ目の星は『観測者』と呼ばれています。全てを見守る者、という意味です」
観測者。
その言葉が、なぜか悠の心に引っかかった。
「面白い話ですね」
「エルフの長い歴史の中で語り継がれてきた話です。真実かどうかは分かりませんが」
セラは立ち上がった。
「お休みなさい」
「お休みなさい」
一人になった悠は、もう一度星空を見上げた。
7つの星と、その外側の小さな星。
8つ目の光。
古文書にあった『八つ目の光こそが、真実を照らす鍵となる』という言葉。
偶然だろうか。
「考えすぎか」
悠は首を振った。
自分はただのFランク冒険者だ。予言とか、運命とか、そんな大それたものとは無縁の存在だ。
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5日目の昼、商隊は無事に目的地の街に到着した。
「お疲れ様でした」
商隊長のレオンが護衛たちに報酬を渡す。
「また次回もよろしくお願いします」
「機会があれば」
ブラッドが答えた。
護衛たちは、それぞれの道を行くことになった。
「悠、お前いい目してるな」
別れ際、ブラッドが言った。
「また一緒に仕事したい」
「ありがとうございます」
ジンも手を振った。
「今度、酒でも飲もうぜ」
「ええ、ぜひ」
セラは静かに微笑み、ドゥリンは豪快に笑った。
カレンは「また会えるといいね」と言って去っていった。
悠は一人でアクアポリスへの帰路についた。
帰り道、悠は5日間の出来事を振り返った。
野盗の襲撃、茶屋での人違い、セラの星の話。
どれも些細なことだが、記録石のおかげで鮮明に記憶している。
そして、悠は気づいた。
情報が増えれば増えるほど、この世界の「パターン」が見えてくる。
商人の移動ルート、野盗の出現場所、茶屋の客の傾向。
全てに法則性がある。
「データが集まれば、予測ができる」
悠は呟いた。
これが、自分の武器になる。
派手な剣技も、強力な魔法も使えない。でも、情報を集め、分析し、予測する。それなら、自分にもできる。
アクアポリスの門が見えてきた。
「ただいま」
悠は小さく呟いて、街に入った。
ギルドに報告に行くと、ミーナが笑顔で迎えてくれた。
「お帰りなさい、悠さん。無事で何よりです」
「ただいま。大した問題もなく終わりました」
「それは良かった。あ、そうそう。悠さん宛てに手紙が来てますよ」
「手紙?」
悠に手紙を送る人などいない。家族は文字が書けないし、友人もいない。
ミーナが差し出した封筒には、差出人の名前がなかった。
「誰からでしょう?」
「分かりません。昨日、黒いローブの女性が置いていったんです」
黒いローブ。
護衛依頼の依頼主か。
悠は封筒を開けた。中には短い文章が書かれていた。
『君の能力は興味深い。情報を集め続けなさい。いずれ、全ての点が線になる時が来る』
それだけだった。署名もない。
「変な手紙ですね」
ミーナが覗き込む。
「ええ、まあ」
悠は手紙をしまった。
全ての点が線になる。
どういう意味だろう。
でも、一つだけ分かることがある。あの女性は、悠の能力を知っている。そして、何か知っているのだ。
この世界の、何かを。
悠は記録石を握りしめた。
とにかく、情報を集め続けよう。いつか、答えが見つかるはずだ。
その夜、悠は宿屋で記録石を眺めていた。
蓄積された情報は、すでに1000を超えている。人、モンスター、場所、出来事。
全てが整理され、記憶されている。
ふと、窓の外を見る。
今夜も7つの星が輝いている。そして、その外側に小さな8つ目の星。
観測者。
「俺が、観測者……?」
悠は首を振った。
考えすぎだ。自分はただの情報収集が得意な冒険者。それ以上でも、それ以下でもない。
明日も依頼を受けよう。情報を集めよう。
少しずつ、着実に。