3 花嫁
秋葉原の空は、超超高層巨大建造物と高層のプレートにはばまれてほとんどみえなかったが、わずかな隙間から真っ赤に染まった空がのぞいていた。
夕暮れ時の秋葉原駅前は人いきれが立ちこめていた。花袋は、人と人の合間を縫うように、車椅子を操作しなければならなかった。
1号の位置情報はちかい。しかし、なかなか姿をみつけられず、花袋は気ばかり焦っていた。
──花袋にとって1号がはじめてのガールフレンドだった。
本来なら十八歳にならなければ受けられない電脳化手術を十六歳で違法におこなった花袋は、はやくから電脳後遺症に悩まされていた。花袋の場合、〈衝動障害〉を発症していた。食欲と性欲のリミッターが外れた状態になっており制御することが困難だった。すこしでも欲望を感じればそれを我慢することができず、また、満足してもそれは一瞬のあいだだけで、落ち着く間もなくすぐに渇いてくるのだった。
満足することのない食欲のせいで自分の体重を自分の脚で支えられなくなり、尽きない性欲のせいで娼婦からも出禁を喰らうほどだった。
はじめてセクサロイドを購入したのは二十四歳のときだ。自宅に届いたセクサロイドに電源をいれ、はじめて1号が目を覚ましたとき、花袋は恋に堕ちた。1号は恋人のように接してくれた。花袋も1号を恋人だとおもっていた。花袋と1号は、二人の生活をたのしみ、愛し合った──
そんな記憶が花袋の頭のなかに思い起こされていて泣きたい気分になった。
(僕は馬鹿だ。大馬鹿者だ。なんでこんな大切な思い出をわすれてた。1号は僕にとってかけがえのない子なのに。そんなこともわすれて、1号のことをなおざりにしてた。1号はどう感じてたんだろう。さみしい思いをさせてしまったかもしれない。1号に会いたい。すぐにでも1号に!)
「先生!」
とおくから聞き慣れた声がきこえてきた。ふり向くと1号が手を振りながらこちらに駆けよってくる姿がみえた。
「1号!」
花袋は1号を、人目も憚らず、抱きしめた。
「せ、先生。どうしたんですか」
「ごめん。ごめんよ、1号。ウウ……」
「先生……泣いてるんですか」
花袋は1号と二人きりの時間がほしかったので、遠回りだが秋葉原の喧騒からすこし離れた場所を歩くことにした。ここは〈電気街〉とよばれているエリアで、かつては秋葉原の代名詞的な場所だったが、いまではシャッターが下ろされた廃ビルばかりで、人通りもほとんどない、ゴーストタウンのような地区になっていた。
花袋と1号は夕闇のなかを並んですすんだ。
「どうしたんですか、先生。びっくりしました、私を迎えにきてくれるなんて」
「いや、なんというか……」花袋はしばらくモジモジしていたが、決心して告白することにした。「あとでバレるだろうから正直にいうけど、1号がメンテナンスにいってることを忘れてたんだ。それで僕、大騒ぎしちゃって。1号が行方不明だあ、ってね」
1号はきょとんとしていた。
「ごめん、1号。僕はほんとにダメな奴だ。君の話をちゃんときいてないし、君ばかりに家事や面倒臭いことを押しつけてた。馴れ合いがすぎてたよ。ごめん」
「ンフ……フフフ、アハハハ」
1号は唐突に笑いだした。
「な、なんだよ。どうしたんだ」
花袋は困惑していた。
「はは、ごめんなさい。でもなんか可笑しくて」1号がまっすぐ花袋をみた。「ありがとう、先生。そんなに私のこと心配してくれたんですね。うれしいです」
「あ、ああ」花袋は照れた。
「でも、他の子たちは私のメンテナンスのこと知ってましたよね」
「いや、みんな知らなかったよ」
1号は頭に人差し指をつきたてて、首をかしげた。
「あれ? おかしいです。やっぱりあのころの私は電脳の調子がよくなかったみたいですね。私、あの子たちにつたえたつもりでいました」
「いいや、それも僕がわるかったんだ。ちゃんとメンテナンスをさせなかったんだから。シュリちゃんにも怒られたよ」
そのときだった。ふたつの人影があらわれ花袋と1号の前をふさいだ。みると、浮浪者風の中年男二人組だった。花袋が避けようとするも中年男らは横にうごいて、ふたたび花袋の前に立った。
あからさまな悪意に、緊張が走る。
「1号、こっち」
花袋は道を引き返そうと後ろをふり向くと、そこにも二人の男が立っていた。
──まずい。囲まれた。
「おい。お前のとなりにいるのは、アンドロイドだろ」
不審な男の一人がいった。
「……」
花袋がこたえずにいると、別の男が苛立ち、怒鳴った。
「お前にきいてんだよ、豚! 舐めてんのか!」
「先生……」1号が不安そうに花袋の肩をつかんだ。
また別の男が、「俺たちはなあ、ロボットのせいで解雇されたんだよ。おかげで、いまじゃゴミを漁って食いつないでるご身分になっちまったぜ」とニヤニヤしながらいった。
「俺は知ってるぜ。こいつらは『アンドロイドの楽園』なんてもんをつくって俺ら人間様を支配しようとしてんだ。機械の分際で許せねえよな」
男らはおそらく、ロボットや人工知能の普及により労働市場からはじき出された失業者たちだ。さらにたちが悪いのは、陰謀論を信じこみ、被害妄想にとらわれている点だ。こういう輩は、自分を正当化してけっして省みず、暴力に陶酔している連中が多い。
つまり、とても危険だということだ。
助けを呼ぼうにもまわりに人はいない。
「おい、豚。アンドロイドを飼ってるお前も同罪だ。天誅を喰らわしてやる」
男たちは、じりじりと距離をつめて、包囲網を狭めてきた。いつのまにか男たちの手には木製バットや鉄パイプがにぎられていた。
反撃手段をもたない花袋と1号はからだをよせ合って震えることしかできなかった。
「うらあああ!」
男たちが一斉に襲いかかった──が奇妙なことに、ふりおろしたバットや鉄パイプに手応えはなく、むなしく空を切っただけだった。
「いねえぞ!」
殴打したとおもった瞬間、車椅子の男とアンドロイドの姿が消えたのだ。暴漢らは戸惑い焦った。
「なんでだ?」
「ど、どこだ! どこ行きやがった!」
「どういうこった?」
「おい、あれ! あそこをみろ!」
男は、建物と建物のあいだにある細い路地を、指差していた。そしてそこに、いままさに車椅子の男とアンドロイドが路地の角を曲がろうとしている姿がみえた。
「いつのまに……」
「いいから追うぞ!」
(あいつらが電脳持ちでよかった……)
花袋は電動車椅子の限界速度で走りながらおもった。
暴漢らに襲われる直前、花袋は男らの電脳をハッキングして視覚野を乗っ取り、花袋と1号がその場にいるような幻影を見させたのだった。
その隙に花袋と1号は路地ににげこんだが、限界速度といってもこの車椅子は時速十キロしか出ないのだ。このままではいずれ追いつかれてしまう。
遠くで、「お前はあっちに先まわりしろ!」という声がきこえてきた。
二手にわかれられたらまずい。
暴漢たちの位置がわかれば裏をかける、とおもった花袋は最初に街の監視カメラをハッキングして自分の目にしようとしたが、〈電気街〉のカメラは全部死んでいることがわかり、断念した。
人の気配がする。もうまわりこまれたか。
花袋と1号は、たまたま扉が開いていた店舗のなかにはいって息を殺した。
「こっちにはいないぞ! どこだ!」
「お前らはあっちをさがせ! 絶対みつけろ!」
暴漢たちの足音が遠のいていった。
ほっとひと息ついた花袋だったが、「先生、これ……」と1号にうながされて見た光景に心臓が止まりそうになった。
そこには、頭や手足をもがれ、バラバラにされたアンドロイドの、数体分の残骸が山積みにされていた。頭部が必要以上に破壊されているのは緊急信号を出させないためだろうか。
「これも、奴らの仕業なのか」
だとしたら奴らは常習的にこんなことをやっていることになる。花袋は戦慄した。
後ずさりした花袋は、ちかくにあったテーブルの置かれていたガラス瓶をあやまって床に落としてしまった。ガラス瓶は大きな音をたてて割れた。
「あっちだ! あっちからきこえたぞ!」
場所がバレた。
「1号! あそこの裏口からにげよう!」
二人はいそいで店舗のそとに脱出した。
「1号。ハッキングに集中したい。移動をまかせていいかい」
「はい」といって、1号は花袋の車椅子を押した。
「人工衛星をハッキングして衛星カメラから男たちの位置を把握する。視界を共有するからうまくにげてくれ」
「あいつらいったいどこに行きやがった」
暴漢たちは二人ずつにわかれて花袋たちを捜索していた。
「おい、さっきのアンドロイドはもしかしてセクサロイドってやつか?」暴漢の一人、ニット帽をかぶった男が別の男に訊いた。
「さあな。だとしたらなんだってんだよ」
「俺はよ、まだセクサロイドとヤッたことねえんだよ。一回味わってみてえんだよ」
「はあ? お前なにいってんだ。アンドロイドは俺らの敵だぞ」
「だから、いいんじゃねえか。アンドロイドも犯されて絶望した顔すんのか、見てみてえんだよ」
ニット帽の男は唇を舐めた。
「ハッ、お前も趣味わりいな。……まあでも、それもわるくねえかもな」
二人は下衆な笑い声をあげた。
「ぐわあああ!」
とおくで悲鳴が響いた。
「なんだ、いまのは? 亀田の声じゃねえか」
「な、なにいってやがる。さっきの車椅子の男をやったん──」
「ぎゃあああ!」
別の悲鳴だ。
「おい、お前みてこいよ」とニット帽の男が後ろをふりかえると一緒にいたもう一人の男の姿がなくなっていた。「おい、金子! どこ行った! ふざけてんじゃんねえぞ!」
視界の端に影が横切ったようにみえた。しかしそちらに視線をむけてもだれもいない。
「おーい、どこだ……クソッ、こ、殺してやる……殺す」
ニット帽の男はすでに恐怖で声が震えていた。
次の瞬間、ニット帽の男の頭のなかから声がきこえてきた。
『君の仲間はみんな死んだよ』
「だ、だれだ! さっきの豚野郎か!」
花袋は、男にあびせられた侮辱を無視して、つづけた。
『君の仲間たちの電脳をハッキングして、電脳の温度を二百度以上の過熱状態にしてあげた。そうするとどうなるとおもう? やわらかい脳味噌は凝固して〝ゆで卵〟みたいになるんだ。相当苦しいみたいだね。みんな、のたうち回ってたよ』
「ひ、ひ……やめろ、やめてくれ……」
ニット帽の男は失禁していた。
『襲った相手がわるかったね。僕はすでに君の電脳をハッキングしている。そして、いまから君の脳味噌をボイルする』
後頭部が熱くなった。電脳が埋め込まれている場所だ。
「あああああ!」
頭蓋骨の中身が膨張しているのがわかる。頭が破裂する恐怖に男は取り憑かれた。視界が暗くなる。もう自分の叫び声しかきこえない。しかしそれもすぐにきこえなく──
「ふう……」
建物の陰から花袋と1号がでてきた。
ニット帽の男が、口から泡をふいて、道端にたおれていた。死んではいない。花袋は、暴漢たちの電脳をハッキングはしたが、ゆで卵にはせず、『脳が焼かれる』体感イメージを脳内に流しこんだだけだった。
花袋は1号の手をとった。
「さあ、帰ろうか」
「はい」
二人は、家族の待つ自宅へと、歩きはじめた。
× × ×
二日後。
本多とシュリは、花袋宅で開かれた1号の復帰祝いパーティーに、招かれた。
キッチンでは4号が中心となってセクサロイドたちが料理をしていた。
本多とシュリと花袋と1号は、食卓の席に腰かけて、料理ができるのを待っていた。
1号はそわそわと落ち着かないようだ。
「料理が気になるのか」本多は1号に訊いた。
「はい。私も手伝うっていったんですけど、『今日は1号のためのパーティーだから』って、キッチンから追い出されました」と、1号は口を尖らせて訴えた。
「でも無事に帰ってこられてなによりでしたね、1号さん」とシュリ。
「はい。先生が守ってくれたので」
本多が花袋たちが襲撃された事件の経過を説明する。
「あのあとの捜査で判明したんだが、複数の廃ビルから破壊されたアンドロイドの残骸が多数発見されたそうだ。そのほとんどが捜索願いが出されていた個体だったよ」
「つまり巷で噂されてるアンドロイド失踪事件はあの連中の犯行だったってこと?」と花袋。
「いや、さすがにそれじゃ数が合わねえよ。行方不明のアンドロイドはもっと多いからな。でも、アンドロイドに恨みをもってるのはアイツらだけじゃないだろう。アンドロイドを襲ってる奴はほかにも大勢いるかもしれん」
「そんなのただの逆恨みだ」花袋は憤った。
「そうですね」シュリが同意した。「『アンドロイドの楽園』の真相がアンドロイド襲撃事件だとしたら、ちょっとかなしいです」
「ああ、そうだな。……それはそうと、花袋。四人の暴漢を撃退するなんて、すごいじゃないか」
「いやいやいや、ミッチーにいっしょ来てもらえばよかったって後悔したよ。僕は肉体労働担当じゃないんでね。いま思い出しても体が震えるよ」
「でも、あのときの先生はとてもカッコよかったです。私を守ってくれましたし」
「そ、そうかい。エヘヘ」
花袋のにやけた顔がだらしなさすぎて、本多はすこし引いていた。
「ミッチー、きいてくれるかい」花袋はにやけ顔のまましゃべりかけてきた。
「なんだ?」
「あの日から僕と1号の関係はより深いものになったんだ。やっぱり1号が僕の一番の嫁なんだなって」
「はいはい。そりゃよかったな」本多は面倒臭そうにこたえた。
「ああ。それにじつをいうと、いまは1号とばかりシテるんだ。出会ったころのようにアツアツなんだよ、僕たち。ねえ、1号」
「ええと、そういうことは、あまり人前では……」アンドロイドでさえ憚っていた。
「1号の言う通りだ! そんな報告いらねえよ!」我慢の限界にきた本多は、不快感を露わにして、抗議した。