背中を押してくれた母
ぼくが遠くに行きたいのに出られないと悩んでいたときに母親は、色々と海外旅行に誘ってくれた。
「イタリア行くけど、一緒に行かない?」と、イタリアの他にも韓国やタイなど、いろいろな所に旅をしていた母は、ぼくのことも誘ってくれた。ちなみに母は小学校で非正規の職員として働いている。給料は高くないけれど休みを取りやすく、夏休みなどを利用して海外へ出かけていた。今思えば、ぼくが中国学科に入ったのも、中学一年生のときに母親に上海と北京、そして台北に連れていってもらったことが大きなきっかけだと思う。しかしぼくは、
「ヨーロッパは遠すぎるから行きたくない」と何かと理由をつけて断っていた。しかしその一方で、
「関東から離れたい。遠くに行きたい。でも外国は怖い」とぶつぶつ言い訳した。今振り返れば素直に行けば良かったと何回か後悔することがある。当時のぼくは両親にとってかなり面倒くさい息子だったと思う。口では遠くに行きたいと言いながら、ほとんど家から出なかったのだから。それでも母はめげずに何度も誘ってくれたが、ぼくはそのたびに断った。引きこもってから1年が過ぎた頃、全く動かないぼくをみかねた母親が、
「関人は、関東から離れて遠くに行きたいの?」と、ふいに質問した。それを聞いたぼくは、
「誰も自分のことを知らない所に一人で行きたい」と答えた。すると母は、
「だったら、国内でいいから行きなさい」と引きこもった息子をどうにか説得してお金とクレジットカード(親のすすめで自分名義のカードを発行した)を持たせてくれた。それがきっかけで、引きこもりから脱することになった。母親は一緒に中国に行ってもいいと言ったけれど、いきなり外国に行って現地を歩くのはハードルが高いと、ぼくはおもった。それに、沖縄は気候が良いし、割と中国や台湾に近いから、中国語を話す観光客が多い。だから、外国の雰囲気を感じられると考えた。なら沖縄でもいいと、母も認めた。やっと、遠くに行ける。とはいえ、本当に飛行機と宿の予約も済んで一人で旅行に行くことが決まったぼくは、
「あーあ」とため息をついた。心配ばかりしても仕方ないので、荷造りをして持ち物を確認した。スマホと充電器。飛行機のeチケット控え。書類を入れるファイル。ファイルには他に何も書いていない履歴書と証明写真が入っている。本来必要ない物だが、まあいいかと思い一緒のファイルに入れた。他にはボールペンとほぼ自由帳と化したマイノート。着替えの服と下着を4日分。洗濯は泊まり先のゲストハウスにランドリーがあるから現地でできる。そして旅先で読む文学とエッセイとライトノベル。荷物が重くなっても、本は数冊持って行きたいと決めていた。これらを黒いサムソナイトの大きめのリュックに詰め込んで、旅行の準備をしていた。
自分の過去を振り返っていたら、思ったより早く電車が目的地に着いた。二人は品川駅で電車を乗り換え、羽田行きの京急線の改札でSuicaをタッチした。Suicaは現金をあらかじめチャージすれば関東はもちろん那覇のゆいレールでも使えるようだからありがたい。那覇に着いても、空港からモノレールに乗らなくてはいけないからだ。改札を通ってホームに行くと、ちょうど電車が来たところだった。これに乗れば、羽田まで40分くらいで行ける。車内は空いていて、二人がけのシートに母さんと座った。車内には欧米人観光客やアジア人とみられる、おそらく中国、韓国、他にはネパールかあるいはベトナムから来たと推測できる外国人が多く乗っていた。おそらく、彼らは日本に観光しに来たのだろう。これから祖国へ帰るのだろうか。色々考えていううちに、モノレールは羽田空港第一ターミナルに到着した。