引きこもり
結局、退学ではなく休学することになった。通う場所がなくなってから家に引きこもっていた。それからは、昼夜逆転の生活が始まり、深夜にゲームにのめり込んで早朝に寝て午後に起きるという日々を送っていた。週6日のペースで深夜に酒を飲んでいた。なぜアルコールに頼るかというと、惨めな気分や「自分には何の価値も無い」という頭に浮かんでくる言葉を和らげることができたからだ。だが、それで体調が良くなるはずがない。そんなぼくを見かねた両親が、ぼくを心療内科へ連れていった。医者の先生は高齢の男性でひげをはやし、60歳を過ぎていた。両親はぼくが昼夜逆転の生活を送っていることを医者に伝えると、彼はまずアルコールについて質問した。
「お酒はどのくらい飲みますか?休肝日はもうけられますか?」など。ぼくは休肝日は週1日程度でほぼ毎日飲んでいることを伝えた。父親は呆れていた。他には、大学でいじめにあっていたかどうかをきかれたので、率直に同級生に暴力を振るわれたことを打ち明けた。それが原因で通学できなくなったということを。結局、20分にわたる話し合いの末に、安定剤を処方された。名前はフルニトラゼバムとリスペリドンとリボリトールという舌をかみそうな名前の薬を毎晩寝る前に合計5錠のむように言い渡された。薬の作用を強めるのでアルコールは控えてくださいと言われた。「はい」とは答えたけれど、多分守れそうにない。
薬を飲んでからは、どうにか夜は寝て午後には起きられるようにはなった。起きてからは親にもらった小遣いでコンビニで嗜好品を買い、案の定、医者の忠告を破って夜が来る前から父の酒を勝手に飲んで怒られるという日々を送った。ちなみに父は酒が好きで、家にはビールとワイン、日本酒など多くの酒があった。しかし父は同時にタバコ嫌いで、タバコをやめるよう、何度もぼくに忠告した。医者から控えるように言われているのだから、酒も勝手に飲むなともたしなめられた。しかし、ぼくが聞く耳を持たず、口論の末に父は今後一切ぼくが部屋の中で一服することを禁じ、ぼくは喫煙するたびには家の外に出なければならなかった。相変わらず酒もやめなかった。外に出るのは、タバコを吸うときとコンビニにアルコールとスナックとタバコを買いに行くときくらいだった。酒とタバコの他には、もうマンガとライトノベルとゲームしか生きがいがなかった。毎日同じ事を繰り返していた。中国語と中国文化の勉強はほとんどやめてしまっていた。全ての人間関係が面倒くさくなっていた。人として生きるのが辛くなってしまうほどだった。時間はいくらでもあるし、好きなときに起きて好きなことができるのに、「普通のことができない」ということだけで、自分は「負け組」だと思い込む悪循環に陥っていた。どうしてこうなってしまったのだろう。引きこもりになりたくて大学に受かったわけじゃないのに。父親のように学校の教員になれるかどうかはわからない。けれど、なんでもやってみようと思って教職をとり、無事に教員免許を取得して大学を卒業する。それならぼくにもできるーそう信じていた。それなのに、父親が普通にできたことが、どうしてぼくは普通にできないんだ。焦りといらだちが、毎日自分に襲いかかってくる。そんな気分だった。このまま引きこもったままではいけないと分かってはいる。けれども、大学には行きたくない。けれども、毎日同じ事の繰り返しにも飽きた。どうせ外に出るなら誰も自分のことを知らない場所へ行きたい。けれども、外国はなんとなく怖い。一人旅がしたいけれど行動力がない。どうしたらよいのか。そんな面倒くさい思いが心の中を支配した。