通えなくなったきっかけ
それでも、同じクラスの奴と揉めて殴られた時までは、大学をやめたいとまでは思っていなかった。きっかけはある中国語入門の講義中、同じクラスの柄悪い奴がぼくの中国語の発音が下手で聞き苦しいと言ってきたことだった。ぼくはそいつに対して悪口を言われるようなことは何もやってなかった。唐突に言われたことに、さすがのぼくも腹が立った。
「なんでそんなふうに言うんだよ、おかしいよ!」そう言うと相手は逆ギレして
「殺すぞてめえ!」と怒鳴ってぼくの肩を殴ってきた。教室にいた先生と他の同級生全員が唖然として一部始終を見ていた。でも先生は加害者に対して何も言わなかった。毅然として、
「いじめを辞めなさい!」と言ってくれる人ではなかった。ぼくは講義が終わるとさっさと教室を出て電車に乗って下宿先のアパートに戻った。
その大学にいること自体が苦痛になるほどの最悪の経験をした後は、両親のどんな説得にも応じようとはしなかった。高校で教師をしている父は、とにかく大学は卒業しろと力説した。それでも通学する気力が起きず、家出さえ考えた。関東ではなくどこか遠くの場所へ行きたかった。しかし、ぼくにそんな行動力と経済力はなかった。
「もう、大学やめたい」電話越しに何度も、父親に愚痴を言う自分がいた。大学に通えなくなった日は、翌朝唐突に訪れた。殴られた次の日の朝、眠りから目覚めたぼくは、恐怖で体が動かなくなっていた。大学に行かなきゃいけない。それなのに、体が思うように動かないのだ。ぼくは中国語圏以外の外国の文学も読む。その時のぼくは例えるなら、大学の図書館で読んだカフカの「変身」の主人公のようだった。巨大な虫に化けるよりはましだったけれど、体がままならなかった。体が思い通りに動かないというところは主人公のグレゴール・ザムザと似ていると勝手に思い込んだ。今思えば、それはストレスが極限にまで達したせいだろう。しかし当時のぼくと息子の変貌を見た両親は部屋から出て外を歩くという極めて普通のことができなくなったことを嘆いた。