入学は出来たけど
紹介が遅くなった。ぼくの名前は小柴守。東京の大学を休学して引きこもったり外に出たりを繰り返してそろそろ一年になる21歳の男子だ。去年の今頃のぼくは東京の中堅私立大学で中国語・中国文化を専攻する普通の学生だった。なぜ中国学科に入ったかといえば、英語以外の語学に興味があり、外国語とアジアの歴史が好きだったからだ。外国語が好きなのは、高校で英語を教えている父の影響が大きい。アジアが好きなのは、昔母親と一緒に行った上海がきっかけだと思う。他の大学の中国語学科には落ちたけれど、ここの大学だけ合格をもらえてどうにか入学できた。大学で中国語を習得して、将来は学んだことを活かせる仕事に就く。そう夢を見て頑張ってきた。引きこもるまでは。去年の7月、大学のクラスで暴力を振るわれたことをきっかけに大学に行くことが辛くなり、家から出られなくなった。不登校のきっかけは暴力沙汰だが、その前から大学に行くことをどこか億劫に感じていた。どうして週に5日も同じ「学校」にかよって、ほぼ同じようなクラスメイトと同じ授業を受けなくてはいけないのか。教師をしている父親は「大学は自由で大らか」だと言っていた。しかしぼくの目には、思っていた自由とは違う、毎日同じような建物で同じような友だちと授業を受け、昼食も同じようなランチメイトととる。そして空き時間は同じメンツからLINEが来てスマホが鳴る。ぼくはスマホは持っていたけど、クラスメイトとSNSでのやりとりは好きではなかった。ぼくの目には、他のみんなが「安定してるけどつまらない毎日」に甘んじているように見えた。これじゃ高校時代とあまり変わらないように見えた。自由よりも安定。場の空気を読んでひとりだけ出過ぎたような言動はせず、みんな周りに合わせてうまくやっていくべきーそんな中学/高校の頃と変わらないようなライフスタイルに、ぼくはうんざりしてしまっていた。どちらかといえばぼくはSNSで人とやりとりするのは好きじゃなかった。それよりも、一人で下を向いて文庫本を読んでいたり、詰め将棋を解いているほうが好きで、友だちと会話するよりも大学の図書館で読書している時間の方が長かった。昼食もほとんど毎日一人で食べている。酒は好きだけれど、いくつかのサークルの新歓コンパに少し出てビールをあおっただけだった。クラスの飲み会には出なかった。そんなぼくを見たクラスの連中から、
「一人でさみしくないの?」ときかれたことがある。けれど、あまり気にしていない。ぼくはいわゆる、「コミュ障」だと思う。コミュニケーションを重視する仕事をこなしている両親とちがって、ぼくのコミュ力はさっぱりだった。そんな自分を変えたくて、大学に入ってから癖を直そうとした。少しはましになったけれど、相手が話しているときに下を向く癖は完全には直らないし、人の話が頭に入ってこない。おまけに猫背がちで姿勢が悪いので、まずまず印象が悪く見えてしまう。そんなぼくだからコミュニケーションには苦労している。大抵一人で行動し、決まった友だちはいなかった。おまけに彼女もいなかったし、サークルにも入らなかった。けれど、誰かに話しかけられたら相手を傷つけないように最低限のあいさつや対応はできる。しかし、それでも積極的に人と向き合うことができなかった。それに、ぼくはどうしても中国語を専攻したくて中国学科に入ったけれど、この学科の大抵の学生は、第一志望の学科には入れずに仕方なく入ってきた連中だった。それなので、授業中もやる気があまり感じられず、モチベーションも低い者が多かった。ぼくのように発音が下手なくせに懸命に北京語の音節の違いを、休み時間にまで声を上げて練習する学生はほとんどいなかった。ぼくも次第にそんな雰囲気が嫌になり、早く帰って中国語の本を読みながらビールを飲みたいと望むようになった。