夫がおかしくなりました2
「ああ、ホンジェラ家のハデス様ですわね」
にっこりと笑って答えた。侯爵夫人にぐいぐいと迫る夫にリリーチェは冷たい目を向ける。
よその人妻を相手に何をやっているんだ。
相手を見ても張り付いたような笑みを浮かべたまま夫に受け答えしていた。
そしてリリーチェは夫に完全無視された状態でパーティを終えた。
リリーチェのエスコートをすることも忘れて夫の足元が雲を踏むようなふわふわとしたものになっているのを後ろで冷たく見ていた。
リリーチェはこの一晩で夫に対して認識を改めてしまった。
それなりに仲良くしていたと思っていた夫婦間に隙間風が吹いた瞬間だった。
しかし、それからしばらくの間はそれなりに普段の生活を続けていた。
領地経営の書類仕事と子供の世話と使用人の管理などの雑務に追われる日々を過ごしていた。
夫もまたそうして仕事に追われていたと思っていた。
「これからの関係を見直したい」
夕食後の晩酌の時間いきなりそう言われた。
「何のことかしら、何か問題になりそうなことがあったかしら」
リリーチェはナチュラルチーズとリンゴのおつまみを手にして聞いた。チーズにはさんだリンゴが歯ごたえの違いを楽しめる一品だ。
リンゴもチーズも領地の特産品で品質を確かめるためでもある。
夫はブランディグラスをテーブルに置いた。
「いや、君はよくやってくれている。君がいろいろと気遣いをしてくれて本当にありがたいと思っているんだ」
それから言葉を止めて何度かためらってから口を開いた。
「私は本当に愛する人だけを見つめているんだ、彼女だけを愛していると分かったんだ」
リリーチェの中でおつまみがつぶれた。
つまんでいた指先に瞬間的に力が入りつぶれたチーズとリンゴがテーブルに落ちた。
「まさか離婚するつもりなの?」
大きく息を吐きつつそう聞いた。
二人は政略結婚だ、つまり双方の家の利害が絡んでいる。離婚となったら被害者は百人を超えると断言できる。
「まさか、そんなことはできないそれはわかっているだろう」
そう言い切った後笑顔で言い切った。
「僕たちは政略結婚だ、愛情は関係ない、だから本当に愛する人を愛するだけだ。だから君もそのつもりでいてほしいんだ」
リリーチェのこめかみに青筋が浮かんだ。
「つまり愛人を作って囲うからよろしくってこと?」
つぶれたチーズをナプキンで拭いつつ適当な凶器を探す。チーズを刻んだナイフと酒瓶が見えた。
「違うんだ、運命に引き裂かれた恋人と再会してしまったんだ、彼女だけなんだ、もうほかの女は」
苦悩するかのように頭を抱える。
「まさか、あのアリエル夫人じゃないでしょうね」
元婚約者の名前を出す。
「僕のせいなんだ、あの時彼女の手を離してしまったから」
陶酔しきった夫の目を見てリリーチェは制裁の手を止めた
「何考えてるわけ」
「わかってる、子供さえ作らなければ君も好きにしていい、お互いに本当に好きな相手と愛し合えばいい」
ああ、一つだけ正しいことを言っている。リリーチェは心中で呟いた。
もう愛してない。