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伯爵家家令と公爵が対峙する場面に、リリエは息を呑んでいたが、このまま黙ってはいられない。
「わ、私です。リリエ・オルランド……伯爵家から追放された妾です」
おずおずと名乗り出るリリエに、家令は嘲りの目を向ける。
「ほう、お前が……久しぶりだな。男児を産めず、しかも髪の色がおかしい子を産んで追放された女か。今さら戻る気があるのかないのか知らないが、娘だけは引き渡してもらう」
その冷酷な言葉に、リリエは震える声で反論する。
「……今さら戻る気なんて、まったくありません。私はあの家から追い出されたの。いったい、どの面下げて“返せ”なんて言うのよ……!」
家令は鼻で笑う。
「お前に選択肢はない。伯爵家にとって“強い魔力の血”は資産だからな。――お前はもう用済みだが、その娘には価値がある。黙って従え」
リリエは激昂するが、公爵が肩をそっと支えてくれた。
「落ち着いて。リリエさん、あなたの意思が大事だ。僕はあなたたちを守るよ。……家令殿、これは正式に“私の保護下”にある母娘だ。伯爵家が勝手に連れ去ることは許さない」
その断言に、家令はさも面倒そうにため息をつく。
「公爵様、そこまで言われるのなら、最悪は領主間の訴訟に持ち込むほかありませんな。よろしい、しかしそれには時間がかかる。――当家の主君がじきにこちらへ来るとのこと。彼が来れば、もっと直接的な交渉になるでしょう」
“当家の主君”――つまり現ハイルバード伯爵が自ら来る、と?
リリエは思わず青ざめる。かつての“夫”とも言えない歪な相手だが、その圧力は相当なものになるだろう。
家令が去ったあとも、村の緊張は解けない。火の玉事件の犯人がルナではないかという噂が一部で飛び交い始めたのだ。
「まさかルナちゃんが、あんな炎を……」「いや、でもあの子は優しいし、風の魔法なら分かるけど火は……」
「伯爵家がわざわざ言うんだから、何かあるのかも……?」
不安と疑心が広がる中、リリエは娘の側に付き添っている。足の痛みは少し引いてきたようだが、ルナの表情は沈んでいる。
「……わたしが疑われてるんだね。あんな火の玉、知らないのに……」
「大丈夫よ、ルナ。私たちは絶対に嘘ついてない。公爵様が必ず守ってくれるわ」
とは言え、リリエ自身も公爵への負担を思うと胸が痛い。こんな大問題に発展すれば、貴族社会との軋轢はさらに深刻になるだろう。
「ママ、わたし……公爵様に迷惑かけるなら、遠くへ逃げたほうがいいのかな……」
「逃げるなんてしちゃだめ。あなたは何も悪くない」
リリエはそう言いながら、心の中で揺れていた。
(もし伯爵が本当に来たら、ルナを取り戻そうとするだろう。争いになれば、村や公爵様にも被害が及ぶかもしれない……どうしたらいいの?)
そんな折、ゲルハルト騎士がリリエを呼び止める。
「あの火の玉、あなた方母娘の仕業じゃないのは分かっています。――ただし、伯爵家が疑念を吹聴すれば状況は不利になる一方だ」
リリエはうんざり顔で答える。
「分かってます。でも、どうしようもないでしょう? 私たちに身を引けって言うの?」
「……もし公爵様を守るつもりなら、あなたが自主的に身を引くのも一案です。彼は優しいから、あなたたちのために命を賭ける覚悟をしている。それが逆に危険を招くことになるかもしれない」
騎士の低い声に、リリエは嫌な気分を抱えつつも、真剣さを感じ取る。
「……あなたは、公爵様のことが大事なんですね」
「当然です。私の主君ですから。貴女やルナちゃんを排除したいわけではないが……最悪の事態になれば、手段を選ばない可能性もある」
彼の瞳は冷ややかだが、一方で迷いも含まれているように見える。
「火の玉事件の犯人が誰かはまだ分からない。だが伯爵家が煽れば、村は母娘を“危険分子”として見るかもしれない。何が言いたいか分かるか?」
「…………」
リリエは口をつぐむ。騎士が言う通り、“母娘は公爵の足を引っ張る存在”になりかねない現実がそこにあった。
ゲルハルトはそれを確認するように言葉を継ぐ。
「公爵様への想いがあるなら、自分たちの行動を考えたほうがいい。――それが私の忠告です」
その夕刻。
リリエが村はずれの空き家でルナを休ませているところへ、カイル公爵が訪ねてきた。
「大丈夫かい? 今日ずっと顔を見なかったから心配で……」
リリエは申し訳なさそうに目を伏せる。
「すみません、公爵様まで気遣わせて……。伯爵家の使者が来たせいで、大変ですよね」
公爵は首を振り、優しい微笑みを浮かべる。
「いいや、僕はむしろ気が引き締まった。あの者たちが何を言おうと、リリエさんとルナちゃんを守ると決めているから」
「でも……あなたが危険になるかもしれない。それに村全体にも迷惑が……」
公爵はリリエの両肩にそっと手を置いた。
「僕は領主だ。領地の人々を守るのは当然で、君たちは僕にとって“領民”以上に大切な存在なんだ。――どうか、離れたりしないでほしい。君が去れば、僕はきっと後悔するから」
その言葉に、リリエは胸が熱くなる。伯爵家という大きな脅威があるのに、なおもこうして抱きとめてくれるなんて。
「……公爵様、ありがとうございます。でも、本当に大丈夫なんですか……?」
「君の不安も分かる。けど、僕にも考えがある。ゲルハルトには余計な心配をかけているが、いざとなれば力を合わせられる。伯爵家相手にだって引き下がりはしない」
まっすぐな瞳に、リリエの心はぐらりと揺れる。
(私だって、公爵様と離れたくない……)
ハッと気づくと、リリエの唇から「わたしも……あなたを失いたくないです」という小さな声がこぼれた。公爵はそれを聞きとめ、微笑を深める。
二人の間にぬくもりが生まれ、ほんのり頬を染める。――ルナがちょうど眠っているせいか、まるで恋人同士の静かな時間が流れるようだった。




