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「ただいまー!」
村へ到着したのは、すっかり午後も遅くなった時刻。
ルナが勢いよく声を上げると、馴染みの村人たちが「おかえりなさい!」と出迎えてくれる。少しの間離れただけなのに、なんだかずっと留守にしていたような気持ちだ。
「聞いたわよ、北の集落の子どもたちを救ったんだって? リリエさん、大変だったでしょう」
「まあ、いろいろ……」
マーサや村長がねぎらいの言葉をかけてくれる一方、村の若者たちが公爵の馬車を見てザワザワしている。
「また公爵様がいらっしゃったのか!」「うわー、本当だ!」「すごいねぇ」
カイル公爵は余裕の笑みで「皆さん、ただいま。少しの間だけ滞在させてもらいますね」と手を振る。すると村人たちは嬉しそうに拍手したり、見とれたりしている。
(完全に人気者ね……こんな領主がいるなんて珍しいわ)
一方、ゲルハルト騎士と兵士たちは警戒を解かず、村の周囲を見回っている。辺境とはいえ、一応“公爵の護衛”としての役目を果たしているのだろう。
そんな光景を横目に、私は再び借り家の扉を開く。
「はあ……やっと我が家に帰ってきた。汚くても落ち着くわ」
ルナは「ほんとだね! お風呂入りたい!」と上機嫌。
しばらく部屋の掃除をしたあと、二人で簡単な夕食をとる。それから湯を沸かして体を洗い、とにかく早めに寝る準備をした。
――外が暗くなるころには、疲れがドッと押し寄せてきた。
「ルナ、明日はゆっくりしていいからね。しばらくお仕事もしなくて大丈夫よ」
「うん、ありがとうママ。……あ、そうだ、明日は公爵様とまた会えるかな?」
「え? えーと……まあ、村には滞在するって言ってたけど、そんなに気になるの?」
「だって、お話が楽しいんだもん。今度はどんなこと聞かせてくれるかなー」
うっとりした顔をする娘を見て、私は少しだけ胸が痛む。
(公爵は確かに優しい。でも……ルナがこんなに懐いてしまって、もし何かあったらどうするの?)
心配はつきない。でも今は寝よう。
「じゃあ、おやすみなさい……」
「うん……ママ、おやすみ……」
こたつ布団のような寝床に身を沈めると、すぐにまぶたが重くなる。――しかし、意識が途切れる寸前、“何かの気配”を感じてハッと目を開けた。
(……気のせい? 外で誰かが立ち止まっているような……)
少しだけ起き上がって窓を覗いたが、暗がりのなかに人影は見えない。でも確かに足音がかすかに聞こえたような気がした。
「気のせいか……」
疲れが勝り、私は再び眠りの中へ落ちていった。しかし、その夜、ゲルハルト騎士が村のどこかで“ある情報”を手に入れつつあることを、私はまだ知らなかった。
翌朝。
村の市場へ買い出しに行った私は、気が抜けたように雑談をしている人々の中で、ある噂を耳にする。
「さっき騎士様が来てさ、“リリエさんって普段どんな人?”とか聞かれちゃったよ」
「へえ、なんでリリエさんのことを調べるのかしら。まさか問題でもあったの?」
「さあね。でも、ほら、北の集落で子どもを治したって話があるでしょう? それで興味を持ってるんじゃないかな」
私は「えっ……!」と背筋が伸びる。ゲルハルトが、とうとう村の人々に直接リリエの素性を探り始めたらしい。
「い、今どこにいるの?」
「あっちのパン屋を出たところを見たけど、どこに向かったのかはわからないわ。なんだか真剣な顔をしてたよ」
急いでマーサにも確認すると、「うちにも来たわ。“リリエさんは元貴族だと聞いていますが、詳しくは?”とかね」と言われる。
(まずい……こんな辺境まで来て過去を洗われたら、伯爵家の追放話にも近づいてしまうかも。 どうにか止めないと……)
私は市場を抜け、村の裏道をキョロキョロ探し回った。ゲルハルトはいるか――と思いながら、心臓がドキドキする。
すると、路地裏の曲がり角に見覚えのある鎧姿が見えた。どうやら古い家の扉を叩いて、住人と話しているようだ。
「ちょっと、ゲルハルトさん」
思わず名前を呼ぶと、騎士はゆっくり振り返り、私を見据える。
「やあ、リリエさん。奇遇ですね、こんなところで」
せっかく冷静に対応しようと思ったのに、その笑みを見た瞬間、私は声を荒げてしまう。
「何をしているんです? 私のことを根掘り葉掘り調べるなんて……失礼じゃありませんか」
「おや、そう思いますか? 私はただ、公爵様のお役に立てるよう、この村の有力者の話を聞いているだけですよ。あなたはすでに村の英雄扱いですからね」
その言いぐさが妙に嫌味だ。まるで探りを入れているのを認めつつ、否定もせず……。
「そんな調査をしなくても、公爵様は私を信用してくださっていると思いますが」
「公爵様は優しい方です。しかし、ここは辺境。何が起こるかわかりません。公爵様の安全を確保するためにも、周囲の人物を知ることは当然でしょう?」
にこりと笑う騎士。
「それに、あなたは元貴族筋だとか。こうして辺境にいる理由がとても気になるのですが……そこはあまり聞かせてもらえていませんよね?」
「…………」
喉がからからになる。伯爵家の過去を暴かれれば、「男子を産めなかった妾」「本当に伯爵の子か疑われ追放された女」という、聞くだけで嫌気のさす話が広まる恐れがある。
ゲルハルト騎士は、その核心に近づこうとしているのだろう。
「でも、あまり気に病むことはありません。――もしあなたに“言えない秘密”があるのだとしても、それをどう扱うかは公爵様が判断されることです」
「つまり、私は疑われている、ということですか?」
「さあ? 僕の立場では何とも……。ただ、公爵様に余計な負担をかけたくはありませんのでね」
騎士は静かに一礼すると、背を向けて去っていく。私は思わず拳を強く握りしめた。
(絶対に、ルナの魔法のことにも辿り着くつもりだわ……どうしよう)
後ろ姿が角を曲がるのを見届けてから、私はその場にへたり込みそうになる。
(このままじゃ、いつかすべてがバレる……)




