6.これからの動向
玄関で、ユークリット様の言った通り、レムが私を待っていてくれた。
「お疲れ様でした、セイフィーラ様」
「レムこそお疲れ様。わざわざここまで来てくれてありがとうね」
「滅相もございません」
レムは菫色の瞳を私に向けると、表情を動かさずに言った。
彼女の表情筋は、基本動かない。無表情のままだ。
それは敵に簡単に心を読ませない為だと、以前訊いた時にレムが言っていた。
私達は馬車に乗り込むと、ベラトリクス侯爵家に向かう。
「レム、私これから考え事をするから、うんうん唸っても気にしないでね」
「いつもの事なので問題無しです」
えっ、私ってば常日頃からうんうん唸ってたの?
訊きたかったけど、レムが瞳を閉じて瞑想状態に入ったので諦めることにした。
――さて……。
ヒロインのリルカが[王子ルート]を選択した以上、“悪役令嬢”になる私の『婚約破棄』は免れない。
その前に、出来ることをしておかないと。
まず、リルカを絶対に虐めない。
ゲームの中のセイフィーラは、理性よりも嫉妬が上回って、リルカの教科書をズタズタに切り裂いたり、わざと肩をぶつからせて怒ったり、階段から突き落としていたけど、そんなことは絶対にしない。
その所為でセイフィーラは、周りから孤立してしまったのだから。
相手も嫌な思いをするし、自分もただ苦しくなるだけの、良いことなんて何一つない行動だ。
よって、リルカには極力近付かない。寧ろこちらから避けるわ。
もう一つ……ゲームの中で、ヒロインとユークリット様にいくつか危機的状況が訪れる。
それのどれもが、ユークリット様を苦しめるものだ。
その苦しみ具合は、ゲームでもスチルでも見ていて辛かった……。
だから、それらを事前回避させたい。
バッドエンドにも勿論させないわ。ユークリット様のあんな結末は絶対に見たくない!!
“強制力”が働くかもしれないけれど、指を咥えて黙ってユークリット様の苦しむ姿を見ていることなんて出来ない。
私にやれるだけのことをして、愛する彼をなるべく苦しませず、無事に彼の愛する人と結ばせてやりたい。
それは、ゲームの内容を知っている私にしか出来ないことなのだ。
それによって二人を監視することになるから、仲睦まじい彼らの姿を否応なく目にすることになるけれど……。
私がそう決めたのだから、ちゃんと乗り越えないと……。
……あぁ……。こういう時、私にも好きな人が現れてくれたら良かったのに……。
《前世》でも、私は好きな人がいた。
その人は私の幼馴染で、小さい頃からよく一緒にいて、近場の山まで冒険に行ったり、テレビで見た刑事ごっこをしたり、その人と一緒にいるとすごく楽しかった。
正義感がとても強くて、こうと決めたら、周りを見ずに誰の意見も聞かずに真っ直ぐに突っ走っていく、ちょっと困った人でもあったけれど。
彼は私を頼ってくれ、私も彼を頼って。
私が甘えたくなった時は、「しょうがないな」と口では言いながらも笑って、私がもういいと言うまで抱きしめてくれて。
その居心地の良い関係性を壊したくなくて、最後まで告白出来ずにいたのよね……。
今となっては、それが《前世》の私の、唯一の心残りかしら。
――あっ、もう一つ、私の家族へ別れの挨拶が出来なかったことも。
大好きだったお兄ちゃんが亡くなってから五年後に私もああなってしまって、きっと悲しませてしまっただろうな……。
お兄ちゃんに続いて、先に旅立ってしまって本当にごめんなさい、お父さん、お母さん……。
……あ……。家族といえば……。
今回私が『婚約破棄』をされると、やっぱり“強制力”で両親から勘当されて修道院行きになっちゃうのかな……。
勘当は仕方ないとしても、修道院じゃなくて、どこか遠くの地で家を借りて自分の力で生活していきたいな。
そこからはゲームの物語が終わってのことだから、“強制力”は働かないでしょう?
迷惑を掛けなければ、両親だって許してくれる筈よ。
普通に仕事をして、お金を稼いで。借りた小さな家で料理や掃除や洗濯をして。
《前世》の記憶を持ち、仕事経験者の私なら何とかなるわ。
その中できっと、楽しいことや嬉しいことを見い出せる筈……。
もしかしたら好きな人だって出来ちゃうかも?
そしていつの日か、ユークリット様を完全に心から失くせる日が来るに違いないわ。
ヒロインと彼のことを祝福出来る日も……きっと――
そう思ったら、何だか俄然希望が湧いてきた……!
「――ねぇ、レム」
「はい。何でしょう、セイフィーラ様」
眠っているかと思ったけど、レムからすぐに返事が来た。
「もし私が両親から勘当されたら、無一文だけど一緒に付いてきてくれる?」
私の質問に、レムは微かに眉尻を動かしただけだった。
馬鹿な質問しちゃったと、私は慌てて誤魔化すように両手を左右に振る。
「あっ……えっと……。ごめんね、変な質問を――」
「セイフィーラ様の御両親が貴女を勘当するとは思えませんが、無一文でも着る服が無くても食べるものが無くても、私は貴女にどこまでも付いていきますよ」
取り消そうと言葉を出した私の耳に、そんなレムの声が入ってきた。
見上げると、レムの表情は微かに微笑んでいるように見えた。
「……レムぅーーっ!! 大好きっ!!」
「止めて下さい暑苦しいです速やかに離れて下さい」
私が思わずレムに抱きつくと、スッと無表情に戻った彼女から辛辣な言葉が飛ぶ。
それでも『独りじゃない』という事実がとても嬉しく、私は嫌がるレムをギュウギュウと抱きしめたのだった。