1.思い出した、遠い“記憶”
「ユークリット様、突拍子もないお話をこれからするのだけれど、冷静に聞いて欲しいの」
「あぁ、どうした? セイフィ。――その前に、二人きりの時は愛称で、と言っただろう?」
「え、えぇ……。でも、二人きりでは――」
私の隣で椅子に座り、すぐ目の前で誰しも見惚れる綺麗な微笑みを見せているのは、ユークリット・レグルス・ライオロック。私達が住むこの国、ライオロック王国の第一王子だ。
王子様らしく、腰まで伸びたサラサラの黄金色の髪を首の辺りで結び、澄んだ瑠璃色の瞳をキラキラとさせて、机の上で頬杖をつき私を見つめている。
まさに絵本に出てくる煌びやかな王子様の風貌だ。
そんな彼に熱い眼差しを向けられている私は、セイフィーラ・ベラトリクス。ベラトリクス侯爵家の一人娘であり、杏色の背中まで伸びた長い髪と同じ色の瞳の、見た目はとても美人な娘だ。
そして、彼の婚約者でもある。
婚約を決めた当時、この国の公爵家には娘が誰もいなかったので、その下位の侯爵家で、同い年の娘である私に白羽の矢が立ったというわけだ。
幼少の頃に決められた婚約だったけれど、私達はとても気が合い、よく会っては一緒に遊んだり勉強をしていた。
それは私が十七歳になっても変わらず続いて。
お互いの都合が合えば常に一緒にいて、周囲から仲睦まじ過ぎる二人として周知されていた。
「あぁ、あそこで眠たそうに大欠伸をしているウルスンのことか? いつもの如く全く気にしなくていいぞ」
ユークリット様の専属護衛であるウルスン・ハーダル様は、子爵の爵位を持っている貴族だ。
ユークリット様の身を守る為に常に彼の傍にいて、警戒し意識を張り巡らせている……らしいのだけれど。
あの大きく開いた口を見ると、少し疑ってしまうのは仕方のないことだろう……。
ウルスン様は欠伸の所為で涙目になっている青鈍色の瞳を私の方に向けると、同じ色の跳ねた髪をガシガシと掻き、クルリと背を向けた。
「はいはい、オレのことはただの壁だと思って、いつものようにどーぞ」
「……だ、そうだ。――セイフィ?」
「分かったわ……。――ユーク」
私は観念していつものように愛称を呼ぶと、ユークリット様は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「セイフィ。――俺の……俺だけの可愛いセイフィ。愛してる。どうしようもないほど君を愛してるんだ」
「私もよ、ユーク。貴方のこと、心から愛してるわ」
「セイフィ……」
「ユーク……」
暫し視線を絡ませ合い、ユークリット様の顔が近付き、そっと交わされる口付け。
ちなみに私達がいる場所は、私達が通っているシスリヴァ学園の生徒会室だ。
早朝なので、この部屋には私達三人しかいない。
ユークリット様は三学年の十八歳で、この学園の生徒会長でもあるので、生徒会室には自由に出入りが出来るのだ。
彼は口元を緩ませながら、私に啄むような口付けを何度もしている。
ユークリット様と二人きりで話していると、(傍にはいつもウルスン様がいるけれど)十分に一度はこのように唐突に愛を囁き始め、吐息を重ねてくる。
彼は周りに人がいても、平気で私を抱きしめ頬や額に唇を落としてくるから、学園の中でも私達の仲は知れ渡っていた。
「あぁ、可愛い……。この世界中で一番可愛いな、セイフィは」
私の頬に手を添えて恍惚な笑みを浮かべ、チュ、と音を立てながら顔中に唇を降らすユークリット様。
これが始まるととても長いのだ。大事な話があって朝早くここで待ち合わせたのに、このままだと朝礼が始まってしまう。
下手すれば一日中しそうな勢いだ。それが冗談ではないから恐ろしい。
「ゆ、ユーク……。嬉しいけれど、私の話を聞いてくれるかしら?」
「ん? ――あぁ、そうだったな。君が可愛過ぎて我を忘れてしまっていた……。一体どうした?」
そう言いつつも、ユークリット様は唇の追撃を止めない。私は諦めて、そのままで話し始めた。
「今日、私達の学級に転入生が来ると思うの。とても可愛い少女なんだけど、その彼女に貴方は一瞬で一目惚れしてしまうの。そして、私を放ったらかして散々その彼女と仲睦まじい姿を見せた挙げ句、【卒業前記念パーティー】で、貴方は私に人差し指を突きつけて『婚約破棄』を堂々と宣言するの。彼女の肩をしっかりと抱きながら」
「………………は??」
口付け攻撃を止め、目と口を真ん丸くさせて素っ頓狂な声を出したユークリット様。
うん、そうよね……やっぱりそんな反応になるわよね……。
ほら、ウルスン様も思わず振り返って「はあぁ??」って表情を浮かべてる。
私だってこんなの信じたくないわ……。本当にユークリット様のことを愛しているんだもの。
でも、二年前の落馬で頭を打って、その瞬間に思い出したのよ……。《前世》の自分を。
そしてここは、私が《前世》でプレイしていたゲーム、【煌めく大空の彼方を見上げて】の世界――
私はその中で、主人公を嫉妬に狂って虐める、“悪役令嬢”の『セイフィーラ・ベラトリクス』だということを――