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「君を愛することはない」宣言に震えた令嬢の婚約

作者:

 

 人は最初に顔を合わせた際の印象で全てが決まる。


 継ぐべき爵位のない三男ではあるものの、彼は代々宰相を輩出してきた侯爵家の人間である。決して侮られることのないよう、最初のうちに上下関係を植え付けておかねばならない。


 父宰相の知り合いである伯爵が連れてきた娘は、見目は悪くないがそれだけだ。これと言って特徴がない。尊大な態度でゆったりと脚を組み替えると、僅かに椅子の軋む音がしんと静まり返った侯爵家の庭に響く。


 ゴホンとわざとらしく咳払いをしてから、テオドールはようやく目の前の令嬢へと目を合わせる。婚約の顔合わせのために精一杯着飾ったのであろう少女に向けて、彼は言い聞かせるように口を開いた。


「僕は君を愛することはない。この婚約は君の家から持ちかけられた契約だ」


 テオドールの発した言葉に理解が追いついていないのか、伯爵令嬢はパチパチと瞬きを繰り返すだけだ。その様子にテオドールは内心ため息をつく。特徴がないなんて思っていたが、訂正だ。ぼんやりとした頭の悪そうな娘じゃないか。

 頭の中に大きなバッテン印を描いたところで、ようやく令嬢は小さくプルプルと震えだした。


「いっ、今の言葉は、そのっ……」


 消え入りそうなほどの、か細い声だ。一気に青褪めた令嬢の、淡い青の瞳が力なく揺れる。

 どうやらこの発言が、この娘の精一杯の抵抗なのか。その反発を見下すかのように、テオドールは虫けらを見るような眼差しで顎を突き出した。


「なんだ、言いたいことがあるなら言え」

「ひいっ! い、いえっ。と、とんでもございませんわ……」


 すっかり縮こまってしまった令嬢の様子に、一方のテオドールはどこか満足感を覚えていた。

 愚鈍な伯爵令嬢の元へ婿入りだなんて、役不足かと思っていたが、まぁ良いだろう。むしろ婿入りならば、怯えているだけで口を出してこない娘を嫁に貰う方が良い。優秀な自分であれば、伯爵家の掌握など容易いことだろう。爵位を手掛かりに宰相補佐の地位を手に入れた暁には、ヘラヘラとした長兄だって、婚約者の尻に敷かれた次兄だっていずれは……。


 己の人生設計図を描きながらほくそ笑むテオドールは、ゆっくりとティーカップを持ち上げる。侯爵家の者が準備した紅茶の香りを堪能しながら、『格下』に墜ちた婚約者候補の令嬢の方になんとなく目を遣る。



 瞬間、得体の知れない寒気のようなものが、テオドールの背筋を駆け巡った。


(な、なんだ?!)


 好意も嫌悪も感じられない、令嬢の眼差し。

 少し浅い呼吸を繰り返す令嬢は怯えているようで、しかし、注意深くテオドールの方を観察している。何も言葉を発しようとしないのが、いっとう気味が悪い。

 真意を探るようなその目は、自分の選択を咎めているような気がして……。


 テオドールは僅かに違和感を感じたが、それを飲み込むように紅茶を啜る。

 優劣を示したはずの令嬢にも、自らの動揺と共に揺れる紅茶の水面にも目を反らし、テオドールはそのまま口を閉ざすことを選んだ。



 □


 結果として、『性格の不一致』を理由に婚約の話はなかったこととなった。テオドールはその事実に形の整った眉を少しだけ歪めたものの、「伯爵家側に自分を受け入れるまでの器量がなかっただけだ」と己に言い聞かせた。


 数年後、テオドールには緊張関係にあった他国の貴族令嬢との縁談が持ち上がる。彼は「侯爵家の人間として自分に与えられた使命」と捉え、嬉々としてその婚約を受け入れた。

 文官として出仕することとなったテオドールは、財務の監査に携わることとなる。自らの知識や能力が活かされる業務内容自体には満足していたものの、淡々と書類に向き合うだけの仕事や他人行儀な妻と過ごす私生活に、テオドールはどこか味気なさを覚えていた。





 ◯ ● ○


 侯爵令息と見合いをしてきたばかりの一人娘が「話がある」と主張しているらしい。

 侍従から伝えられた内容に、伯爵は鬱陶しそうにため息を吐いた。


 家族か仕事か、と問われれば伯爵は迷わずに後者を選ぶ。妻や娘のことは伯爵家の一員として大切に想ってはいる。ただ、妻の父であった先代伯爵の恩義に報いるため、仕事最優先で生きているだけなのだ。

 娘と令息の様子を離れた位置から見守っていた侍女からは、良い報告は聞かされていない。しかし、娘の見合い相手に宰相家の三男を選んだのは、伯爵家の繁栄のため。どうやら娘には、貴族令嬢としての婚姻の在り方を説いてやらなければいけないらしい。



 そう己にしっかりと言い聞かせながら入室の許可を出した伯爵は、間もなく娘の発言に呆気に取られることとなる。


「お父様。今日お会いした侯爵家のご令息ですが、舞台俳優を目指している可能性がありますわ。突如出奔なんかして、市井に身を落とされるような可能性がある方はちょっと……」

「…………は?」



 舞台俳優? 出奔??


 頬に手を当てながら眉尻を下げたままの娘に、父伯爵は目を見開く。娘は嫌味をぶつけているのか、はたまた本気で言っているのか。おっとりとした口ぶりの、血が繋がっているはずの娘の真意が全く分からない。

 聞き間違いの可能性を信じ「もう一度言ってくれ」と娘に要求したものの、同じような内容が繰り返されただけで。

 書類片手に娘の話を聞くつもりが、文字が滑って頭に入ってこない。突如目眩のようなものを覚えた伯爵は、執務室のソファに身を沈め、こめかみをぎゅっと押さえた。


「あのお方、席について開口一番、なんて仰ったと思います? 『僕は君を愛することはない』ですのよ?」


 うわぁ。その台詞を聞くのは10代の頃以来だな。

 思春期男子特有の過ちに、伯爵はつい遠い目をしてしまう。


「いきなり『君を愛することはない』だなんて、最近流行りの演劇とまるで一緒でしょう?  しかも、その言い回しが本当にお上手で! 本物の劇団員の方顔負けの迫真の演技に、私つい驚いてしまって……。間違いなく、日頃から演劇の練習をされているのだと見受けられましたわ。きっと舞台俳優を志していらっしゃるのだわ!」

「……はぁ」

「会話の糸口として、今話題の演目を選んだということは理解できるのですが……。ただ、初対面の子女に対していきなり愛の話を持ち出したことは理解に苦しみますわ。それに、台詞というものは舞台上の演出も相まって映えるものですが、面と向かって仰られると少し恥ずかしいというか……。失礼ながら寒気のようなものを覚えてしまい、何一つ申し上げることもできず、身震いすることしかできませんでしたわ」


 自身の腕をかき抱きながら小さく震えだす娘に、伯爵は「そ、そうか……」と声をかけてやることしかできない。

 唐突な『君を愛することはない』宣言を上手過ぎる演技と思い込んだ娘は、その道(舞台俳優)を目指しているのでは、と誤解をし。ついでに演目の選択のナンセンスっぷりと寒々しい台詞に、恥ずかしさで震えてしまった、といったところだろうか。


 娘は自分の推測が正しいものだと思い込んでいるようだが、伯爵は違う。婚約者と上手く関係を構築できなかった思春期の頃の知人達数名を思い出す。

 親に強いられた婚約への反発か、はたまた照れ隠し故の発言か。おそらく『君を愛することはない』宣言の本当の理由はこの辺りだろう。


 ピクピクと瞼を引きつらせながら、「彼は演技で言った訳ではないんじゃあ……」と伯爵が述べた瞬間、娘は垂れ目がちの眼を、それはもう、力強く見開いた。


「まぁっ! お父様ったら、お相手は侯爵家のご令息ですわよ? 宰相閣下のご子息が演技でもなく、初対面の子女に向かって小っ恥ずかしいことを仰るなんてありえませんわ!」

「えっ、あっ、いや……」

「もしも本気で仰られていたと言うのならば、侯爵家の教育方針を疑ってしまいます。いくら成人前の子どもとはいえ、貴族の婚姻とは何かを理解していない発言ではありませんか!」

「あぁ、うん。ソ、ソウダナ……」


(あれ? 娘に説教するはずが、何故私が娘に説教されているんだ?!)


 力無く項垂れた伯爵は、考えることを放棄した。



 □


「旦那様、見てくださいな。本日も美しい花でしょう? 愛されているわねぇ」


 つかの間の休憩と題して執務室を出た伯爵は、花束を抱えた妻を目にした途端、眉間に深いシワを作った。


「なんだ、またアイツが来ているのか」

「まぁ、旦那様ったら。アイツなんて呼び方、オスカー君が悲しんでしまいますわよ」


 いたずらにクスクスと笑みをこぼす夫人に、伯爵は「アイツがそんなタチな訳あるか」と鼻を鳴らす。妻が抱えている花束をすぐさまひったくり、本来の受取人であろう娘の部屋に飾っておけ、とメイドに押しつけてやった。



 1度目の見合い話が流れてから、早くも5年。


 もしかして自分の娘って変わり者なのでは、と気付いた伯爵はようやく家庭を蔑ろにすることを止めた。当の娘は真面目で貴族令嬢としての常識を理解しているらしいので、多少の天然具合には目を瞑ることにした。(半ば諦めたとも言える。)

 その後妻の懐妊が発覚し、まさかの長男が誕生。突如降って湧いてきた跡継ぎ問題を終結させたのは、野心溢れる青年(オスカー)だった。


 オスカーの実家である伯爵家は、彼の父・祖父・曽祖父と3代続けて領主としての才覚に劣っていた。その結果当の伯爵家は、緩やかではあるが着実に経済状況が悪化の一途を辿っていた。しかし現在ではオスカーの堅実かつ冷淡な手腕により、家は持ち直しているらしい。


 そんな仕事人間の匂いをプンプンと漂わせたオスカーは、目ざとくも婿取りの座を追われるであろう伯爵令嬢に狙いを定めた。しかし「あなたに一目惚れをしました」とそれなりの理由を述べたオスカーは、早速出鼻を挫かれることとなる。


「まあ……。それではオスカー様が『一目惚れ』だと判断された根拠を教えてくださいませ」

「……は?」


 てっきり愛の言葉を囁いておけば、年頃の娘なんてコロッと落ちるだろうと考えていたオスカー。そんな思惑など知らない娘は、ただの好奇心による質問でぬるっとその場の主導権を握る。その後、オスカーは「実際に話が合わなかった場合は、気持ちはどう動くのか」「一目惚れとお相手の身分には、どちらに優位性があるのか」「愛は脳と心臓、どちらの器官が司っているのか」等々、怒涛の質問責めに目を白黒させることとなる。


 調子に乗っていたはずの青年(オスカー)が娘にやり込められ、伯爵はほくそ笑む。

 しかし、おっとりとしているようで一筋縄ではいかない娘にオスカーが執着し、スマートぶっている割にどこか必死な様子のオスカーに娘が興味を示したせいで、何故か婚約が結ばれることとなってしまった。


 今ではすっかり娘に骨抜きにされてしまったオスカーは娘に貢ぐだけでは事足りず、3歳になったばかりの息子のご機嫌取りにまで精を出しているようだ。お陰で息子の口からは「とうさま」より「おすかぁにぃたま」が発せられる回数が多いような気さえしてしまう。

 娘の婚約者が、我が家の者を尊重する姿勢は大変喜ばしいことである。そのことは頭では理解しているのだが、子ども達が奪われたような気がして面白くはない。


「やはり、侯爵家との縁談を進めるべきだったか……」


 ポツリと漏らした伯爵の愚痴のようなものに、夫人は一瞬目を見開く。全てを見透かすかのようにじっくりと夫を見つめてから、夫人は「ふふふ」と満足そうに微笑んだ。


「私は娘の相手には、オスカー君以外には務まらないと思っておりますわよ?」


 歳を重ねる毎に増していく夫人の色香に、伯爵はゴクリと唾を飲み込む。


「それに私は、面白い殿方の方が好みですもの」


 そういえば、昔から自分は妻の淡い青の瞳には弱かったなぁ、なんてことを彼はざわめく胸の奥底でぼんやりと思い出していた。





誤字脱字報告ありがとうございます。

後日反映させていただきます。

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