朝なんてなければいいのに
心に問題を抱えた筆者が、今までの自分の生き様をありありと描いて、自分の中での葛藤をさらけ出すことで楽になって前に進みたかったというのが始まりです。
人と人の関りが人生で一番面白いことでありながら、一番の悩みの種になるというのが一番明確に表れる学生時代のお話が中心です。
こちらを見つめる大きく美しい瞳に目が合うと、何ごともなかったかのように目をそらす。
こちらには目が合ったことを悟られまいとするように、少し照れ隠ししながらそらす姿に少しだけこちらの胸の鼓動が高鳴る。
他の生徒が教師の問題に答えているとき、教師でもなく、当てられた生徒でもなく、ただ一人の少女の方に目を向けていた。
なぜ今になってこんなことが思い起こされるのだろうか。
昔のことが鮮明に思い起こされ、少しイライラしていた。
今の自分の日々に重ね合わせ、様々なことが思い浮かぶ。
成長した同級生たちは今何をして、どのような日々を送っているのだろうか。
今の彼らが自分を見て何を思うのだろう。
今あの子はどうしているんだろう。
2月も過ぎ、未だ寒さの残る三月中旬のお昼に差し掛かろうという時、いつものように目が覚めた。
物音で起こされたわけでも、寒さに震えて起きたわけでもないが、目覚めはいつものように悪く、ミイラのように体は動かず、ゾンビのように意識は朦朧とし頭は重かった。
とりあえず目を閉じたままベッドの上のどこかにあるスマホを探し当て、半目のまま意味もなく時間を確認し、枕もとに置いたはずのリモコンを手探りで探し当て、少し大きめのボタンの感触を頼りにして、そのボタンをおした。
ピッ!という音とともにガサゴソ音を立てながら、まだ暖かくない風が出てくるのを感じ、憂鬱な気分と体のダルさを我慢するように体を丸め、そのままベッドの中でじっとしていた。
このまま眠りにつくのも時間に急かされているようで嫌なので、15分ほどたってやっとのことでスマホを手に取った。
動画アプリで上の方から動画を探し、昨日あった生放送の切り抜きや深夜に行われた海外リーグのスポーツのハイライトに目を通していく。
動画を見ながらもまだどこか時間に急かされ、起きなければという強迫観念に押され、1時間半ほどしてから切りのいいところでスマホの画面を閉じ、重くなった体を起こす。
小中学生が来ていそうなジップアップの明るい黄緑のフリースを羽織り、厚手の靴下をはいて廊下にあるトイレに向かおうとする。
あまり音を立てないよう部屋の引き戸を開けリビングに出る。そこには当然誰の姿もないのだが少し神経質になりながら左手の廊下に歩みを進めた。
廊下の最奥にはあの部屋が、その途中にはトイレがあり、朝起きてからずっと我慢していた用を足す。
我慢していた割には勢いはそれほどではなく、ずっとこんな寝起きを送っていたせいか膀胱や尿道の括約筋などになにか軽い問題があるのだろうなと思いながら長めの時間座っていた。
現に大学の時の尿検査では引っかかって再検査も何年か連続であったが、特に問題はなかったのでおそらくある程度見過ごしてもいい範疇かもしれない。
トイレをしている時もあまり落ち着いて座っていることもできず、はやく立ち上がりたい、はやく部屋に戻りたいという気分がどうしても先行し、トイレとのしたくもない我慢比べをしていた。
やっとのことでトイレを後にし、すり足のようにしてなるべく音を立てず、自室の方向へ向かい途中の洗面所で手を流し、そのまま自室に逃げ帰った。
いつからだろうか。いつも心の中には灯のようなものが消えず炊き続けたままで、自分の体を、そして心まで疲弊させていくような感覚があった。
心身ともに落ち着かず、常に見えない何かと、そしてその自分と戦っていた…。
できれば毎日投稿。
自分のメンタル次第。
心のお薬たち頑張ってくれ。