1 平和な世界のために
1 平和な世界のために
「別れてください」
彼はそう言って頭を下げて謝罪してきた。
私たちはたった今、恋人同士ではなくなったのだ。
ぼーっとしている私をよそに、太陽はステージを照らすスポットライトみたいに私たちを光り輝かせる。こんな時くらいは雨でいてくれと思ったが、涙が出そうにも太陽の熱のせいかすぐ乾いて目がからっからだ。逆にしょぼしょぼして、目が痛い。コンタクトにしなきゃよかった。コンタクトが落ちそうだ。嫌なことばかり続くなぁ。ああ、そういえば、彼から呼び出されて朝からてんやわんやしていたなぁ。この時からコンタクトがなかなか目に入らなかったり、寝癖がなかなか直らなかったり、集合時間の五分前に到着したんだった。
「じゃあね、元気でね」
彼の言葉にハッとして顔を上げる。待ってと言おうとしたが、目の前には彼の姿はなかった。
「そんなぁ…」
私はその場にしゃがみこんだ。心が痛い。彼の優しい笑顔が好きだった。彼を守ってあげたかった。これからたくさん楽しいことが待っていると思っていた。彼と幸せを分かち合うつもりでいた。こんなこと考えていたら、目頭が熱くなった。でも切り替えよう。いろいろ想像しても彼はもういないのだから。
「…帰ろ」
私は鉛のように重い腰を上げ立ち上がった。少しフラフラするが歩ける。どんなに疲れていても輝いていた街だった。しかし今はブラックアウトした街だ。
「あー、暗いなぁ」
足元は見えないが、この気分にはぴったりだ。空がいつもよりきれいだ。星たちが万華鏡のように輝いている。この空に消えられたらいいのに。
「きゃっ」
何かにつまずき、ふかふかした生暖かいものに手をついた。やけに気持ちが悪い。
「……何だろう…」
妙に気になり、スマートフォンのライトでかざすと私の下には人の腕のようなものが何本かあり、気づいた途端、血のような生臭い匂いがした。
「うわっっ……うぇぇぇぇぇ…」
人の腕の上に吐いてしまった。でもそんなことは気にしていられない。恐る恐る周りを見渡すと、いつものように街を行きかう人たちがドミノ倒しのように倒れていた。私は血生臭い匂いに耐え切れず、私はライトを頼りに手を鼻に押し当てながら、壁と人間のスペースが開いているところに逃げ込んだ。そして一度、冷静になりこれはいったい?と頭をフル回転させたが何もわからなかった。何でこんなことになった?こんなの悪夢だ。誰でもいい。誰かいてほしい。そんなことを願いながら人の上を歩いた。しばらく歩いて何分たっただろうか。ふと見覚えのある顔が目に入った。元カレだった。元カレの顔は無残にも原型をとどめていなかった。死んでいるのが目に見てわかる。私は彼の目の前に行き手を合わせた。
「ありがとう」
私はそう言うと、その場を離れた。
「じりりりりりりりりりり」
静寂に包まれた空間に誰かの携帯が鳴っている。元カレの携帯の黒電話の音だ。まだ彼はスマートフォンを持っていない。まだガラケーなのだ。そんなところも愛おしく可愛かった。って、そんなことを思い出している場合ではない。これは誰かが生きていて電話をかけているっていうことだ。私は彼の携帯をズボンのポケットから無造作に出して通話ボタンを押した。
「もしもし…」
「やぁ、やぁ…初めまして。お嬢さん」
「はい…?」
「私はカイオス王。彼が世話になったようだね。まず礼を言おう。ありがとう。」
「はぁ…」
「さて、本題といこう。君にはこの毒の耐性があるようだ。非常に稀な存在だ。そこで君を希少生物として迎え入れようと思う。生物という名は失礼か…。じゃあ彼が言っていた名前は何と言っていたかな…。三觜紗季…だからサーちゃんか。私もそう呼ぼう。ふふふ」
カイオス王の言葉はまるで泥酔したおじさんみたく心底気持ち悪かった。
「私に耐性があるとかどうでもいいんですけど、彼はなんのために…」
「彼はただの駒さ。この薬のおかげで、いろんな国を平和にしてきた。周りを見てみろ。争いがなくなったじゃないか。平和になるためには争いはなくすものだ。もちろん嘘もだめだ。この薬は人の気持ちがわかる者、絶対に争わない人、うそをつかない者たちだけ生き残るのだ。私は優しいからな。はっはっはっ」
何故だか私は怒りが沸々とわいてきた。
「さぁ、私のもとへ来るがよ…」
私は堪え切れず電話を切ってしまった。私なんかのどこが優しんだろうか。何処が他の人と違うんだろうか。平和のため…?どこが平和なのだろうか。むしゃくしゃして携帯をぶん投げてしまった。
「よし。決めた。私は、この世界をより良くするために—」
私は、いばらの道へと大きな一歩を踏み出した。
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