6話 ヴァルターの質問
「カスミ、貴様にこの屋敷の者を傷つける事を禁ずる」
ヴァルダーに禁止事項を命令され、奴隷の首輪がハメられた。
首が熱くなり、私の中に何かが入ってくるのが分かる。
これが奴隷の首輪という魔道具をつけられるということか。
前にも味わったような感覚な気がする。
ヴァルダーがパステルに聞く。
「これでいいのか?」
「はい。奴隷の首輪の起動を確認しました。これでもう安全でしょう」
「枷を外してやれ」
「はい」
騎士が私に近寄ってきて、腕についた枷を外す。
彼はそのままヴァルダーの後ろに立った。
私は外れて軽くなった腕を試すことなく大人しくする。
ここで暴れて警戒させる様な真似はするべきではないから。
だから私は枷を外されてもそのままに何もしない。
今日は、少なくとも昼の間は何もしないと決めた。
「座れ」
「はい」
私はヴァルターの命じるままに床に躊躇いなく座る。
「そこではない。そちらだ」
「え?」
私は思わずヴァルターの顔を見つめてしまった。
そこには私を真っすぐに見つめる彼がそこにいた。
彼の顔は昔から大分大人っぽくなっていて、しかし、そこにはどことなく面影が残っている。
顔は以前も整っていたけれど、それに加えて精悍さが加えられたように感じる。
普通に道を歩いていれば、10人中10人が振り返ったとしてもおかしない。
近くで見ると強く思う。
そんな彼の金色の瞳に見つめられた。
「そっちだ」
「……よろしいのですか?」
「ああ」
彼は目の前のソファ指さしている。
私は不審に思いながらも、主の命令は聞かねばならない。
そろりそろりといつ命令が撤回されてもいいように動く。
けれど、ソファに座っても命令が撤回される事が無かった。
「あ」
ソファは今まで座ったことがないくらいに座り心地のいいものだった。
体を優しく受けてめてくれる上に、座っている所が仄かに温かい。
これは高級な素材を使っているに違いない。
「久しぶりだな。カスミ。元気だったか?」
聞いてくるヴァルターは無表情で、先ほどからピクリとも動く様子が無かった。
端正な顔つきの中で、口だけが奇妙に動いていた。
「それなりに……」
「そうか。それにしても久しぶりだな。今まではどうしていたのだ?」
「特に……学園に通っていました」
「学園か、俺も通って見たかった。いい所か?」
「……いい所かと」
すっと言葉が出てこなかったのはレティシアのことが思い浮かんだから。
他の者にとってはいい場所だった気がする。
周囲の人は楽しそうだったし。
「楽しい所か?」
「……ええ」
「……そうか。それで、どうして俺を暗殺しようとしたんだ?」
「!?」
サラリと無表情で言い放つ彼の瞳には怒りが、消えることのない程の圧倒的な怒りの炎が宿っているように感じた。
唐突に放り込まれた言葉に私は彼の目を思い切り見てしまった。
そして、あまりの迫力に気圧されてしまう。
思わず体を彼から離そうと下がる。
「どうした? どうしてそんな事をしているのだ?」
「い、いえ、何でも……」
「何でもはないだろう。どうして下がる。やましいことがないなら普通にしていられると思うが?」
「いえ……殿下の圧力が恐ろしく……」
「ほう。恐ろしいか。その相手に暗殺者を仕向けていたのは貴様らだぞ? それに、過去の暗殺も貴様らが……」
「……」
ヴァルダーは本気で怒っている。
表情こそ動いていないけれど、その瞳には確実に私を殺すつもりであるように思えた。
でも、それはそれでいいかもしれない。
屋敷の皆には申し訳ないけれど、それでも、私ももう生きることに疲れた。
ここに来たと言うだけで許して欲しい。
私が出来る限りの事はしたのだから。
「それで、どうして俺を暗殺しようとした。理由くらい話してもいいと思うが?」
「……申し訳ございません」
私は俯いてそう言うのでで精一杯だった。
「どうしてか。という事を聞いているのだがな? 昔の様にロンメルの背中に隠れるつもりか?」
「……そんな事は」
「では早く答えろ。どうして狙ったのか。それを言うだけの事だろう?」
「……私は知りませんでした」
色々と考えた。適当に理由をでっち上げても良かった。
でも、ここで嘘をついて、それを使ってしまったらもしもバレた際に取り返しがつかない。
万が一にでも、彼に見抜かれるような事をするべきではないからだ。
「……では、お前の所が、一族が勝手に俺を暗殺しようとしただけで、そこに貴様の意志は関係ないというのだな?」
「……その通りです」
「……」
私が彼の言うことを認めると、じっと重たい空気が流れ出す。
間違っていない。
家族がヴァルダーを暗殺するとは思わない。
思わないけれど、だからといって私も全てを知っている訳ではない。
もしかしたら何か彼を殺さなければいけない大事な事があるのかもしれない。
「それではカスミ。何が出来る?」
「え?」
「仕事だ。奴隷となり、この屋敷で働くのだろう? 何が出来る」
「……生徒会で事務仕事をしていました。ですので、それでしたら。家事は……あまり得意ではありません」
「書類仕事を任せると?」
「……はい」
「貴様には働いて貰う。そうだな。俺の元で働いてもらうか」
「ヴァルダー……様の元で?」
「そうだ。俺に付き従い、書類整理や、スケジュールを管理しろ。それがお前の仕事だ」
「……」
私はきょとんとした目で彼を見つめる。
彼は何と言った? 私が彼に付き従って仕事をする? 嘘でしょう? 私は暗殺者の家系。
確かに私は今まで人を殺した事がないけれど、それでも、何が起きるか分からない。
それに、ヴァルダーからしたら私が彼に敵対的な行動を起こすかもしれない。
考えれば考える程分からなくなる。
どうしてだろうか。
そして、そう考えたのは彼の側にいる騎士も同様だった。
「ヴァルダー様。危険すぎます。ご自身の立場をお考え下さい」
「問題ない。そうだろう? カスミよ」
「……はい。私は決してヴァルダー様に危害を加えるような事は致しません」
「暗殺者の手助けをするかもしれないだろうが」
騎士は憎悪の籠った目で私を睨みつけてくる。
「パステル。問題ない。カスミは敵ではない。そうだろう?」
「はい。勿論でございます」
私はそう言って頭を下げる。
今は従う時だ。彼の側で仕事をさせられる理由は分からないけれど、そうした仕事をしている時に彼の側にいることが出来る。
ということは、彼のことをより観察する事が出来る。
「そうか、ではその姿では仕事もしにくいだろう」
チリリン
彼は机の上に置いてあった鈴を鳴らすと、数秒後には扉がノックされていた。
「何か御用でしょうか」
そう言って入って来たのは年配のメイドで、その所作は洗練されている。
「この娘に仕事着をくれてやれ」
「畏まりました。こちらへ」
「……はい」
私は言われるがままにソファから立ち上がり、そのメイドの元に向かう。
そして、警戒の目を向けてくるメイドと騎士の視線を受けながら、私は部屋の外に出た。
何もしゃべらないメイドの後を追いかけていく。
彼女に従うままに服を着替えた。
そして、何も言わずに元の部屋に案内される。
「これでいいでしょうか?」
「ああ、構わない」
「それでは失礼致します」
メイドはそのまま私を一度も見ることは無く部屋から出て行ってしまった。
分かってはいたことだけれど、相当に嫌われてしまっているらしい。
「中々似合っているじゃないか」
ヴァルダーは執務机に座っていて、書類の山から覗き見るようにこちらを見ていた。
「……そう……でしょうか」
私は青いジャケットに同じ色のタイトなスカート。ここまで仕立ての良い服を来たのはどれくらいぶりだろうか。
しかも、わざわざ奴隷に着せるには確実に裏があるように思う。
「ああ、それでは早速働いて貰う。これを処理しておけ」
「畏まりました」
私はヴァルダーの側に行き、彼から書類を受け取る。
彼はそのままガリガリと仕事に戻り出した。
私がどうしようか迷っていると、騎士に怒られる。
「何をしている。早く下がれ」
「あ、はい……」
私はとりあえず彼から離れて、騎士に聞くことにした。
「あの、私はどこで仕事を行なえばいいのでしょうか?」
流石に立ったままで出来る訳はない。
それにペンもここにはない。
どこかに作業用の机を用意して貰うか、それかどこか違った場所に行かなければならないだろう。
「そうだな。そのソファに座ってやれ。明日以降には机を準備する」
「え?」
「ヴァルダー様!? いくらなんでもそれは……」
「パステル。文句があるのか?」
「文句は……ありませんが……」
「ならば手配しておけ」
「……畏まりました」
私は2人の表情を交互に見るけど、本当にそれでいいようだった。
「あの……本当にいいのでしょうか?」
「構わない。いいから仕事ぶりを見せてみろ」
「……畏まりました」
私がソファに座ると、騎士が嫌々そうにペンを持ってきてくれる。
頭を下げてそれを受け取り、書類に目を通し始めた。