1話 婚約破棄
「これもやっておきなさい! じゃないと舞踏会に来ることなんて許しませんから!」
「はい……」
「もしやっていなかったら……アルナルド監獄でも送ってしまおうかしら?」
「……畏まりました」
誰もが行きたくないと言われる監獄の名前を出して公爵家令嬢であるレティシアは生徒会室を出て行った。
彼女は綺麗な金髪をロールさせ、透き通るような蒼い瞳は美しい。
17歳だというのにスタイルも抜群で学園の生徒に週に1度は告白されるほどだった。
性格に少し難があるけれど、他の人の前では決して見せないのでそれは分からない。
彼女は私が通う貴族の学園の生徒会長をしているのだ。
品行方正、才色兼備。彼女のことを褒めたたえる言葉はこれでもかと出てくる。
他の生徒会メンバーの副会長や書記、会計も彼女の言いなりで、全ての仕事を庶務である私に押し付けて来る。
それも今に始まった事ではないのでいいのだけれど。
「でも……舞踏会の準備もほとんど出来ないだろうなぁ……」
私はくりくりの黒髪を弄る。
動くのに邪魔だからと肩口で切っているけれど、それもレティシア達には言いがかりをつけたくなる理由らしい。
緑色の瞳も何かにつけて罵倒されるのだ。
珍しくもない緑色の瞳がそんなにもいけないのだろうか。
「いけない。とにかくやらないと」
私はロウソクの灯りを頼りに書類仕事をやり続ける。
毎日毎日全ての仕事を押し付けられているので、ある程度は分かっている。
最初の頃は日付が変わるくらいまでかかっていたけれど、今は8時くらいには終わらせられる。
しかし、舞踏会の開始は7時から。
これから制服をドレスに着替えたりしていたら時間がもう足りなくなってしまう。
それでも、私は将来の伴侶が待つためいかなければならない。
「忙しいのに……」
この舞踏会が終わったら収穫祭だし、やることが多すぎる。
実家にも帰れていない。
「ダメ……。そんなことを考えるより、終わらせないと」
仕事を8時前には終わらせ廊下を走る。
「待っていて下さい。ロンメル王太子殿下」
私は将来の伴侶。
第2王太子であるロンメル殿下の事を考えて廊下を走る。
人に見つかったらはしたないと言われるけれど、この時間には人もほとんどいない。
家の事情でかなり鍛えられた脚力はそこら辺の騎士よりも高い。
「お嬢様! 早くしてください! もう終盤ですよ!」
「ごめんなさい! 仕事が押していて!」
私は控室で待っている私付きのメイド、アキに謝罪しながら控室に駆け込む。
彼女は明るい茶髪を背中の中ほどにたらしている女性で年齢は19私の2つ上だ。
「早く服を脱いで! 誰もいませんから!」
「分かったわ!」
私はアキの言われるままに服を脱ぎながら控室に飛び込む。
アキは昔から、それこそ物心着く時から一緒に居て、私の為に尽くしくれている。
私に姉はいないけれど、もしいたらこんな感じなのか。と思った事は何度もある。
彼女も私には物怖じせずにハッキリと言ってくるので、本当に感謝していた。
「全く……。お嬢様はもっとちゃんと言うべきです! レティシア様も公爵令嬢だからって。子爵のお嬢様にいい様にやりすぎなんですよ!」
彼女は私がレティシアに言われている所に、良く割って入って来てくれたのだ。
私の為にとはいえ公爵令嬢に物申すとは信じられない。
でも、そんなことをしてくれる彼女が嬉しくて仕方なかった。
「アキ……。でも仕方ないのよ。私がロンメル殿下と婚約をしているからその事が許せないんでしょう」
「それは国王陛下が決めた事だから仕方ないでしょう!? それには従わなければいけないのに、どうしてお嬢様に当たる必要があるのか!」
「ありがとうアキ。でも、いいの。爵位の違いはどうしてもあるから……」
レティシアの貴族位は公爵、貴族の中で最も高い。
それに比べて私は子爵。
貴族の中では上から4番目。
下から3番目といった方がいいかもしれない。
「だからって!」
「分かったから。もう出来てるんでしょう?」
「……はい。ばっちり決まっています」
アキは口をすぼめながらもやることはしっかりとやってくれる。
「それじゃあ行ってくるわね」
「……はい。行ってらっしゃいませ」
「あ、そのドレスはカエデ様が毎日少しづつ作って下さった物です。汚さないで下さいね」
「そんなことしません! それにしてもお母様が……」
私はアキの言葉を背に廊下に出る。
母は体が弱く、あまり動くことが出来ない。
だから代わりに、ということで縫物をして私や兄にプレゼントしてくれるのだ。
どれも丁寧に作られていて、素晴らしい物ばかりだった。
私は紅色のドレスを身にまとい舞踏会の会場へ急ぐ。
今日は学園が主催の舞踏会ということで、学園の中に真っ赤な絨毯が敷かれ、舞踏会への道が分かりやすくなっている。
会場へは早く行かなければと思うけれど、人もそれなりにいるようで我慢して歩く。
その際に、父の言いつけを思いだす。
『いいかい? 我が家系は代々王家を護る剣の役割を果たして来た。でも、その役割を忘れて、力に走った者達は誰も幸せになれなかった。だから、力を使う時はよく考えなさい。それが正しいのか。本当に力を使わなければいけないのかを』
普段はとても優しく、虫すら殺そうとしない優しい父。
その父が、私に言ってくれた事を今も心の中で大事にしている。
力は使う場所を選ばなければならない。
そして、本当に力でしか解決出来ないのか。
そのことを考えていると、直ぐに会場に到着した。
力を使わなくても大丈夫、私は普通の生徒、一女学生でしかないのだ。
会場に到着すると、警備の騎士が扉を開けてくれる。
両開きの扉が開き、中からは荘厳な音楽に合わせて踊る人々や、談笑する貴族のお方々が目に入ってくる。
時間もそれなり経っているからか、男女でどこかに抜け出して行く人々もいた。
私は中に入り、伴侶になる予定のロンメル殿下を探す。
彼のスケジュール調整は私に任されている事だったりするので、何とか彼の為に時間を見つけて調整をやっていた。
それによれば、彼はもう来ているはずだ。
「どこにいるのかしら……」
私は会場を探し回ったけれど、どこにいるのかが分からない。
こんな時に兄ならと思わなくもない。
『人を探す時は気配をしっかりと覚えておくんだよ。でもまぁ……。お前はそんなことしなくていい。どうしてかって? お前は優しすぎるから。家業の仕事は出来ないだろう? そういう事はお兄ちゃんに任せておけばいい。裏の仕事は、家系の仕事は俺達がやるから。だから、お前はお前で幸せになって、表の方から俺達を助けてくれ』
父と似た兄の言葉を思いだす。
厳しい訓練をしていた時も、泣きそうな時にはいつも優しく声をかけてくれた。
兄がいたから厳しい訓練を私は耐えられたのだと今になってハッキリと思う。
だから、父の言っていたように、力の使い方を間違えてはいけない。
レティシアがやっていることも、嫌がらせにはなると思うけれど、それを私の力で反撃してはいけない。
それは絶対に違うと思うから。
そんなことを思いだしながら探していると、遂に目的の人物を発見する。
「ロンメル殿下!」
私は彼を見つけて駆け寄ろうとする。
しかし、その足は止まってしまった。
なぜなら、彼の隣にはあのレティシアがいたからだ。
薄紫色のスタイルがハッキリと映るドレスを綺麗に着こなしていたけれど、大事なのはそこではない。
彼女が、ロンメルとそれも腕を絡めるように、恋人であるかのように横にいたのだ。
「ロンメル殿下……?」
私はゆっくりと彼に近付いて聞く。
彼は私の声が届いたのか振り向いた。
「ああ、君か」
「……?」
彼の顔には面倒そうな。
それとも笑うのを我慢しているのだろうか。
複雑な顔をしているのが分かる。
「ちょっとロンメル様。早くこんな無表情のつまらない女に言ってやってくださいな」
「え……? 何……を?」
レティシアが何か意味深なことを言ってくる。
ロンメル殿下はそれもそうだ。
と同意するように頷いて言ってくる。
「まぁあれだ、カスミ。君との婚約は今日限り、いや、たった今破棄させて貰うよ」
「え……?」