アライグマと狸の恋愛事情
よろしくお願いします。
──進化の過程で人と混ざり、獣の性質を残しながらも知的レベルは人間と何ら遜色ない。それが私たち獣人だ。
だけど、獣の性質を残しているところに問題がある。そう思うのは私の目の前で顔を引きつらせている男のせいだ。
「……っ、だから言ってるだろ⁈ 俺はアライグマの獣人だから、一夫多妻なんだ。同時に複数の女を好きになって何が悪い⁈」
「ほう……。言いたいのはそれだけか」
何が悪い? 悪いことしかないでしょう。私はあらかじめ言っておいたはず。付き合うからにはよそ見は許さないと。その条件を飲んだ上で付き合おうと言ったのはあんたじゃないの。
そちらが獣の性質を主張するのなら私にだって言い分はある。
「それなら言わせてもらうけど、私も同じアライグマの獣人。だったらわかるわよね? アライグマは可愛らしい容姿から想像できないほど気性が荒いって。さあ、どうしてくれようか……」
ポキポキと指を鳴らすと、私の元彼氏は後ずさりをする。もう名前を呼ぶことすら嫌悪感しかない。こんな奴、元彼氏で十分だ。
「もうお前には付き合ってらんねえよ! 顔は可愛いと思ったのに。じゃあな、ルナ!」
最低浮気男はそれだけ言うとすたこらさっさと去っていった。去り方までカッコ悪い。何より──。
「……私の名前はルナじゃなくて、ノアなんだけど。名前まで間違えるなんて、どこまで最低なのよ、あの男。一文字もかすってないし」
呟きながら足元の石ころを蹴飛ばす。すっかり日がくれて薄暗い路地裏を石ころは転がって──誰かの足元にぶつかった。
人がいるとは思わず、私は焦って駆け寄り、その相手に頭を下げる。
「あ、ごめんなさい……!」
「い、いや。僕こそ盗み聞きしてしまって……すみません」
「そんなの。盗み聞きしてたって言わなければわからないのに……」
そう言いながら顔を上げると、彼の頭に付いた耳に釘付けになった。先程逃げていった男と同じ。つまり、アライグマだ。
この彼に悪いところはないとわかっていても、先程までのムカムカが蘇る。どうせアライグマの男は同種を擁護するだけだろう。つい喧嘩腰になってしまった。
「それで? 盗み聞きして私を笑ってた? アライグマのくせにアライグマの男をわかってないって」
だけど彼は、おどおどと私から目を逸らしつつ答える。
「そんなつもりは……! それに僕は、アライグマではなくて……」
「聞こえないんだけど。もっとはっきり話してくれない?」
だんだん尻すぼみになる言葉に苛立って、私は更に彼に詰め寄った。すると、彼は生唾を飲んで大きく深呼吸をする。
「ぼ、僕は狸です……!」
思い切り声を張ったのだろう。狸です、です、です、と声が反響している。それにしても狸だと言うだけでそこまで緊張しなくても。
まあ、狸なら仕方がないのか。
狸という動物は生来臆病だという。死んだ振り戦法で逃げ延びたと聞いたことがあるけど、実はそれもただ驚いて失神していただけらしい。
改めて彼をじっくりと上から下まで見てしまう。先程は元彼と同じ耳だと思い込んでそれしか見てなかったけど、よく見ると違った。灰褐色の毛色で尻尾には黒い縞模様がない。それにこの、人が良さそうな顔。狸らしいと言ったら失礼かもしれないけれど狸らしい。
本当に私ってやつは……。喧嘩っ早いのが玉に傷だ。きっと彼は、出るに出られず盗み聞きをする羽目になったのだろうと予想がつく。
「ごめんなさい。言いがかりをつけた上に怖がらせて。だけどこんな路地裏を通ってちゃ危ないわよ。早く帰った方がいいわ。じゃあね」
私も踵を返して明るい方へと一歩踏み出した。だけどそれ以上進めなかった。何故か彼に腕を掴まれたからだ。
「……えーと、まだ何か?」
振り向くと、彼は通りの明かりに、その真剣な表情を赤くしているところを照らし出されていた。思い込みで詰ったのが気に入らなかったのだろうか。
「ぼ、僕だったら浮気なんてしません!」
「は?」
「狸は一夫一妻制なんです! 僕だったらあなたを悲しませるようなことはしません! だから……僕と付き合ってください……!」
思いがけない言葉に頭が真っ白になった。えっと、私は確か別れ話をしたばかりで、たまたま盗み聞きをしていたこの彼と出会って……。それで何故こういう流れになった?
「……えっと、ナンパだったらお断りだから。今はそういう気分になれないの」
だけど彼は真剣な表情を崩さずに勢いよく首を振る。いやいや、そんなに首を振ったら目が回りそうだけど。案の定彼は頭をふらつかせる。それでも私の腕をしっかりと掴んだままだ。
「……っナンパなんかじゃないです。僕は、以前あなたに助けられてからずっとあなたが好きでした」
助けた? そんなことあったっけ。上を見て下を見て記憶を捻り出そうとしてもまったく覚えがない。そんな私の様子で彼は察してくれたようだ。苦笑しながら今度は控えめに首を振る。
「覚えてないならいいんです。それほどあなたが特別なことをしたわけじゃないんだって、余計に好きになりました。だから、僕と付き合ってください!」
……これ、どうしたらいいの? 頷くまで解放してくれそうにないけど。
確かに狸は一夫一妻制で、男も子育てに参加するって聞く。彼が嘘をつく理由が思い当たらないし、気の強いアライグマ相手にそんなことをしたら後が怖いと彼だってわかっているだろう。
それによく見ると、目の前の彼は可愛い。これまで付き合ったタイプとは違うけど、これはこれでアリかも。
「……私は浮気は許さないわよ。それでもいいの?」
「はい! 僕も浮気は嫌いです……それであの、ノアさんも浮気はしません、よね……?」
「それはしないけど……わかった。じゃあ、付き合ってみましょうか」
彼の顔がみるみるうちに笑顔になった。これほど喜んでくれるなんて思わなかった。それだけ好きだと思ってもらえているのはやっぱり嬉しい。
だけど、彼のためにもこれは言っておいた方がいいのかもしれない。
「だけど、お試しってことでどう? 付き合ってみないと相性がわからないから」
「はい、それでもいいです!」
「じゃあ、これからよろしくね。えっと……」
「ケントです。ノアさん、これからよろしくお願いします……!」
満面の笑みに、ぶんぶん振られる尻尾。全身で好意を伝えられるのも気恥ずかしい。
こうして名前すら知らなかった私たちは付き合い始めた。
そして予想外にもこの後、彼──ケントに私も同じくらい、ううん、それ以上に夢中になることになるのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。