8 神官との出会いと乙女の初恋
スカイラとの初めての出会いは、わたしが十五歳の時――高学院の入学式の時だった。
入学式のパーティーで、わたしは壁の花ならぬ、壁にとり憑いた亡霊となっていた。
社交好きの貴族たちによって、大盛り上がりをみせる会場の隅っこで、わたしは存在感をこれでもかと消して身を縮めていたのだった。
誰の目にも留まらないように。声をかけられないように。極力他人と関わらないように。
それというのも、わたしのこの亡霊じみた振る舞いは、小学院に通っていた幼い頃にいじめられていたことに起因する。
同じ年頃の子たちと、同じようにじゃれ合って遊びたかっただけなのに、グループのリーダー格の男の子をぶっ飛ばしてしまったことが発端である。
それ以来、怪力女やら暴力女やら、散々なあだ名をつけられて、すっかりのけ者にされてしまったのだった。
わたしが男の子だったなら、新しい強いリーダーとしてチヤホヤされていたかもしれないけれど、あいにくわたしは小柄な女子だ。
男子は小さな女の子に負けた屈辱感からか、わたしを酷く馬鹿にして、蔑んだ。
女子は男子たちの様子から空気を読んで、わたしをカーストの最低部に配置して、影で嘲った。
少女時代にそういうことがあったので、わたしはもう、人と関わることがすっかり怖くなってしまったのだった。
小学院の中ごろから、いじめられないよう存在感を消すようになり、中学院に入ってからは、亡霊としての過ごし方を極めた。
戦神の加護が作用したのかはわからないが、わたしの気配の消し方は完璧であった。戦争の多かった昔であれば、アサシンとして大いに活躍できたことだろう。
そうやって亡霊のような存在感の薄さで中学院をなんとか修了し、高学院に上がる入学式を迎えた。
入学式の賑やかなパーティーホールで、わたしは一番暗い場所の隅っこに陣取り、いつも通り気配を殺して亡霊に徹していたのだった。
高学院ではさらに技を磨いて、完全なる『無』を目指す、というしょうもない目標とかを考えながら、ぼんやりと時間を潰す。
褪せた赤灰色の地味なドレスを着て、ただただ息を殺して突っ立っていた。
――そんなわたしに、なんと突然、声がかかったのだった。
「こんにちは。高学院へのご進学、おめでとうございます。――先ほどから何も口にしていないようですが、ご気分でも優れませんか?」
驚いて顔を上げると、黒髪に青い目をした男が涼し気な表情で、わたしを見つめて立っていた。
男のまとう特徴的な白い衣服は、神官服だ。式典には来賓として、神殿から数人程神官が招かれる。この男もその一人なのだろう。
わたしは他人に話しかけられた驚愕と緊張で身構えた体を、ちょっとだけ楽にした。
この国では、生まれた赤子が『神の加護』を持っていたら、神殿に報告する義務がある。加護持ちの情報は神殿で管理されるため、神官たちは管轄内の加護持ちの民を把握しているそう。
この神官も、恐らくわたしのことを知っているはずだ。戦神の加護持ちという、わたしの特異な事情を理解している人であれば、それほどびくびくする必要もない。
ただ、他人と話すという状況自体が久しぶりなので、普通に緊張はするけれど……
「あ、ええと、わたしは大丈夫ですから、お気になさらず……」
「声が乾いていますね。シャンパンはいかがです?」
「あ、はい……」
スイとグラスを差し出され、流れるように受け取ってしまった。わたしはさっさと会話を切り上げて、亡霊に戻りたいのだけれど……
というかこの人、この人混みの中からよくわたしを見つけ出したなぁ、なんてどうでも良いことを考えて、ちょっと現実逃避する。
グラスに口をつけ、コクンと一口飲み込む。何の味もしない。もらったものに口をつける、という社交辞令も交わしたし、もう去ってもいいだろうか。
「美味しいです……ありがとうございました」
「お待ちなさい、アイシャさん」
「ひえっ」
ふいに名前を呼ばれて肩が跳ねた。
神殿では当然、わたしの名前も知られているだろうから、別に驚くことではないのだけれど。それはそれとして、会ったばかりの知らない男に急に名前を呼ばれたら、ビックリするでしょうよ。
「アイシャさん、シャンパンを飲み終える間だけ、お話をよろしいですか?」
「……はい」
あぁ、捉まってしまった……
逃げるタイミングを失って、わたしは静かにため息を吐いた。
お話とやらは、戦神の加護を持つにあたっての注意やら指導やらだろうか。
前にも何度か、家に神官が訪ねてきて話をされたことがある。少女の頃男子をぶっ飛ばした時にも、おじさんの神官に長々と話をされたものだ。
わたしは死んだ魚のような目で、神官の青い目を見上げた。
「もう何度も聞いていることだとは思いますが、アイシャさんは授かった加護の力を正しく理解し、制御して、上手く付き合っていかなければなりません」
「はい……」
「その稀有な力を使って、故意に人を傷つけたりしてはいけませんよ」
「わかっています……」
掠れた声で返事をしながら、わたしは何の気なしに神官を眺める。白い神官服は汚れやすそうだなぁ、なんて、全然違うことを考えながら。
「アイシャさん、私の話を聞いていませんね?」
「はい……あ、ウソウソ、ばっちりです」
「ばっちり聞いていないようなので、要所だけお伝えします」
わたしは、ニコリとも笑わずに話を進める神官の顔色をうかがった。怒ったかしら、と思ったのだけれど、神官は相変わらず穏やかで涼し気な顔をしていた。
なんだか不思議な人だ。社交辞令の笑顔すら一つも見せてこないくせに、まとう雰囲気は優し気で落ち着く。
神官の青い目とわたしの琥珀色の目がぱっちり合うと、彼は言葉の続きを紡いだ。
「アイシャさん、あなたは戦神の加護持ちという、特殊な人生を歩んでいくことになります。でも、それはそれとして、学生生活を――人生を、気兼ねなく大いに楽しんでくださいね。あなたは戦神の操り人形ではなく、あなただけの自由な心と人格を持った、一人の人間なのですから」
初めてもたらされた言葉に、私はポカンとしてしまった。
それは説教でも同情でも小言でもない、優しく背中を押すような、あたたかい言葉だった。
この言葉をもらってから、わたしの世界は一変したのだ。
わたしなんかが触れたら、壊したり傷つけたり、台無しにしてしまうのだろうな……、と思って避けていた物事に、手を伸ばしてみる勇気が出た。
少女の頃に破壊してしまった人形を買い直してみたり、指先で突いただけで壊れてしまいそうな、繊細なアクセサリーを身に着けてみたり。
猛々しい戦神のイメージとは正反対の、レースとフリルで装飾された愛らしいドレスを着てみたり。
あれも、これも、と少しずつ手を伸ばしていくほどに、わたしの世界は色づいて、もういつの間にか亡霊のように過ごすことなどできなくなっていた。
わたしは毎日ウキウキと、髪型を可愛くセットして、綺麗なアクセサリーを付けて、お気に入りのドレスを身にまとうようになった。
普通の女の子のように送る生活は、もう楽しくて仕方なかった。
まだ友達を作る勇気はなかったけれど、高学院ではそれなりに、ごく一般的な女生徒として振る舞えていたと思う。……たま~に、ちょっと事故を起こすことはあったりもしたけれど。
――そしてさらにもう一つ、わたしは初めて経験する、ある事に夢中になった。
徐々に色づいていく世界の中で、わたしは恋心というものに気が付いたのだった。
入学式のパーティーの日から、どういうわけか、あの神官のことばかり考えてしまう。彼の言葉と、表情と、雰囲気が、ふとした時に胸の内に思い出される。
フワフワして、無性に心が弾む不思議な心地。
もう一度会って話をしてみたくて、わたしは心の向くままに、神殿に顔を出してみた。
そうして面談室で、あの青い瞳を再び目に入れた時に、わたしは生まれて初めて、恋を知ったのだ。
その後、神殿掃除のクルクルパーマのおばちゃんと、生まれて初めて『恋バナ』というものをしたのだけれど、これも人生の思い出に残る、良い出来事だったと思う。
ちなみに、おばちゃん情報で、彼が独り身だということも知った。
わたしは風呂から上がって、タオルドライの長い髪に、一番良い香りのヘアオイルを馴染ませた。
緩く三つ編みにして、巻きつけるように団子にしてまとめておく。ちゃんと乾かす時間はないので、ひとまずこれで良しとしておく。
サッとシュミーズを着て、クローゼットへと走った。
「紫色のドレス~……あった!」
スカイラのジャケットと同じ色ではないけれど、淡い赤紫色のドレスを発掘した。
「良いドレスですね」なんて言われることは期待していないが、少しでも素敵だと思ってもらえたら嬉しいなぁ。そんなことを考えながら、ドレスを身に着ける。
アクセサリーケースから真珠と金細工でできた花の耳飾りを引っ掴み、耳につけながら小走りで玄関へと向かう。
扉を勢いよく開け放ち、わたしは外で待っていたスカイラに弾んだ声をかけた。
「スカイラ様、すみません、お待たせしました!」
「おや、素敵なドレスですね」
「ぐは――――っ」
わたしは流れるような不意打ちを、急所にモロにくらい、玄関先で崩れ落ちた。
スカイラが目をパチクリさせている。
「どうしました? 大丈夫ですか?」
「…………ちょっと、湯上りの眩暈が……」
一瞬で真っ赤に茹で上がってしまったこの顔は、風呂の湯が熱すぎたから、ということにしておこう。
更新時間遅れてしまってすみませんでした…;!