5 目ざとい神官
ならず者たちを蹴散らしてから、わたしは一週間をかけて住環境を整えた。
散らかっていた酒瓶やらタバコやらゴミやらを綺麗にして、床と壁、天井までも、まるっと全部水拭きした。
ならず者たちにはうんざりしたが、実は良かったことも一つある。
あの男たちがこの家に住み着いていたおかげで、家の水道やコンロなどの魔道具が、さび付かずに使えるようになっていたのだ。
彼らが勝手に整備して使っていたのだろう。こんなことなら、軽く殴る程度で済ませてあげれば良かったかもしれない。
「水道の魔道具には水の魔石も補充されてるし、コンロも火の魔石を足せば使える! 給湯も大丈夫そうね!」
家の隅々までを確認して、買い足すものをリスト化していく。
この一週間、なんやかんやと日夜作業に勤しんで、なんとか一人で引っ越し完了まで漕ぎつけた。
戦神仕込みの体力に感謝したいところだ。普通の貴族令嬢だったら、きっと二日でバテているに違いない。
「ではでは、お買い物に行ってきますかね」
書き上げた買い物リストを鞄に入れて、わたしは玄関扉を開けた。
買い物に行く、というより、神殿に行くついでに買い物をして帰る、と言った方が正しいのだけれど。
今日のわたしの一番の予定は、一週間ぶりに好きな人に会いに行くことなのだ。
■
淡く赤色に輝く金髪を揺らし、街路をウキウキと歩く。
節約のため、馬車を使わずに徒歩での移動だ。今までより遠くなってしまった分、時間がかかるけれど、道中、乙女な妄想をしていると体感は一瞬である。
乙女な妄想とは、もちろん、スカイラとのきゃっきゃウフフな妄想です、はい。
いつもの神殿の大きな玄関をくぐって、来客用のカウンターまで歩を進める。
ステンドグラスを通して虹色の光が降り注ぎ、神殿内は幻想的な景色が広がっている。
わたしはこの景色が大好きだ。
これから好きな人に会うのだ、という、ときめく心と、虹色のキラキラが相まって、たまらない気持ちになる。
心が弾み、空まで舞い上がれそうな心地がする。――実際、わたしの運動能力だと、一階の天井くらいまでなら飛べるのだが。
ちなみに、天井まで飛び上がってからの、重力を活かした打撃が私の必殺技である。小柄な体格では不足しがちな『重さ』を効率良く加えられるので。
(――おっといけない、わたしったら。物騒事は乙女にご法度……)
お淑やかに受付を済ませて、面談室へと移動する。
神殿の神官たちは皆、わたしが加護持ちだということを知っている。
神殿に足しげく通うわたしを、皆いつも、穏やかに見守ってくれていた。彼らの優しい見守りは、特異な加護を持つわたしへの、憐れみの情もあるのかもしれない。
……神殿の掃除のおばちゃんにはド直球に、「あら、良く来るわね。好きな人でもいるの?」なんて図星を突かれたが。
面談室に入る前、その掃除のおばちゃんに遠くからウインクを飛ばされた。
戦神の加護のことは神官全員に知られているが、わたしの恋心を知る人は、このクルクルパーマの掃除のおばちゃんだけだ。
ある意味、このおばちゃんが一番、わたしのことを優しく見守ってくれている気がする。わたしの密やかな恋の、たった一人の味方だ。
面談室に入ってしばらく待つと、いつものようにスカイラが、静かに入室してきた。
こうして今日も、わたしの特別に幸せな時間が始まる。
「スカイラ様、こんにちは。お忙しいところ面会いただき、ありがとうございます」
「こんにちは。構いませんよ。今日はどうされました? どなたを殴ってしまったのです?」
「な、殴ってません……わたし、乙女ですから」
ほほほ、とぎこちなく笑いながら、目をそらす。ならず者を五人沈めたことがバレているのか、と、一瞬ギクリとしてしまった。
スカイラはものすごくいぶかし気な顔をして、わたしのことをジロリと見つめた。黒髪の隙間からのぞく青い瞳と切れ長の目元が、刃物のように鋭い。
わたしは笑顔で誤魔化しながら、話し始めた。
「ええとですね、今日はなんと、良い報告を聞いていただきたく参りまして……」
「ほう、良い報告ですか。お聞きしたく」
「昨日ようやく新居のお家が片付いて、引越しが完了しました。新生活スタートです!」
「それはお疲れ様でした。頑張りましたね」
ほ、褒められた……!!
社交辞令のような一言だけれど、わたしの頬はぶわりと熱を帯びてしまった。
ドキドキする胸に追い立てられるように、わたしの口はペラペラとまわり始める。
「思っていたよりもお家が小さかったので、掃除が楽に済みました」
「引っ越しに、家の手伝いはあったのですか?」
「いえ。やらかしの罰を兼ねているので、一人で作業を」
「お一人では大変でしたでしょうに。よくぞやり遂げました。偉いです」
二回も褒められた……!!
気持ちが浮き立つと同時に、褒めの過剰摂取で胸が苦しくなってきた。三回目の褒めをもらったら、もう乙女の命が危ないかもしれない。
戦乙女、ときめきに死す――なんて、格好良いキャッチコピーを頭によぎらせていたら、ペラリと口が滑った。
「先に住んでいた人たちが、家の魔道具を使っていたおかげで、水道もコンロもスムーズに使うことができました」
「おや。既に入居者がいて、入れ替わる形で引っ越したのですか?」
「いえ、その人たちは不法侵にゅ……あ、っと~、そう、既に入居者がいまして」
「アイシャさん、『不法侵入』のくだりを、詳しくお聞きしたく」
涼やかだったスカイラの顔が、あっという間に険しいものに変わっていた。やってしまった……
少しきつめの、難しい顔をしたスカイラも精悍で格好良いけれど、わたしは涼しげで穏やかな彼の表情が一番好きなのだ。
いつかは満面の笑顔も見てみたいなぁ、なんて思っているのに、いつも上手くいかずに、険しい顔にしてしまう。
戦神の加護は、こういう場面では無力である……
「……ええと、その……家の中に、勝手に住み着いていた人たちがいまして」
「性別と人数は?」
「男の人が、五人ほど……。でも、ちゃんと警吏を呼んで、穏便に解決したので!」
スカイラが鋭く目を細め、わたしを見据える。まるで獲物を追う鷹のようだ。
「アイシャさんは戦わずに、事を収めたと?」
「か、軽~く、体を動かしはしました」
「まさか、殺してはいないでしょうね?」
「はい、息はしてまし――……」
……いや、息ができずに痙攣していたのが、一人いたような気がする。でもきっと、死んではいないと思う。たぶん。きっと。
モゴモゴと言い淀むわたしを眺めた後、スカイラは深くため息を吐いた。
「引っ越しを終えたばかりのあなたに言うのは、憚られるのですが……その五人の他にも仲間がいるかもしれませんから、住居を変えた方が安全だと思います」
わたしはパチクリと瞬きをして、言葉を返す。
「そこはご安心を。万が一ならず者たちが押し入ってきても、暴力を働くのはきっとわたしの方ですから」
「そうですね。ならず者たちの身の安全が心配です」
心配してるの、そっちか。
わたしは面談室の机に、ガクリと崩れ落ちた。
「何にせよ、戸締りはしっかりしておくように。一応アイシャさんは貴族令嬢の身分なのですから、物品目当ての泥棒が入るということも――……」
生真面目なスカイラの、いつもの指導が始まったかと思ったら、ふいに言葉が途切れた。
机に突っ伏してむくれるわたしの、腕へと彼の視線が向く。
「アイシャさん、手に痣ができています」
「え? あぁ、これは……」
これは、ならず者に襲われた被害者感を出すために、自分でベシベシ叩いて付けた痣だ。一週間経ったのに、まだうっすらと青黄色さが残ってしまっていた。
自分でやった、なんて言ったら、相手がスカイラでなくても引かれるに決まっている。
「これは、掃除中にどこかにぶつけてしまったのかも」
「本当ですか? それにしては、範囲が広いように思えますが。少し袖をまくってみなさい」
「……スカイラ様ったら、わたしの素肌を見たいのですか?」
「茶化さない」
「…………はい」
真顔で凄まれ、わたしは誤魔化しを断念した。
ブラウスの長袖を肘までまくって、腕を出す。あざは手首のあたりから肘まで、白い肌を斑に染めている。
スカイラはざっと視線を走らせると、低い声音で問いかけてきた。
「これはどういう怪我ですか? 誰にやられたんです」
「えっと、これは……ならず者を――」
「ならず者をのした時に、怪我をしたのですか? 腕だけですか? 痛みは? 医者にはかかったのですか?」
「ス、スカイラ様……?」
スカイラが怖い顔でまくし立ててきたので、わたしは身をすくめてしまった。
「……すみません、これは私が偽装のために、自分で付けた痣でして……」
「自分で? なんと愚かな」
「すみません……」
やっぱり、思い切り引かれてしまった。今日はせっかく二度も褒められたのに、これで帳消しだ……
気持ちがしゅんとしぼんでいくのを感じながら、ため息と共に項垂れる。
そんなわたしの頭上から、思いがけず、優し気な声が降ってきた。
「アイシャさん、どうかもう少し、ご自分を大切にしてください。体も、心も、自ら傷めるようなことは、今後はおやめくださいね。約束してください」
顔を上げると、怒ったような、悲しむような、複雑な表情をしたスカイラと目が合った。
彼の優しい言葉と初めて見る表情に、わたしのしぼんだ心はまた急激に膨らんだ。恋心とは、なんとも現金なものである。
(や、約束って言い方ずるくない……!? スカイラ様とわたし、二人の約束……ひえ~!!)
願わくば、約束は約束でも、わたしは結婚の約束を交わしたいです……なんてことは言えないので、こういうことは妄想の中だけにとどめておく。
真っ赤にのぼせてきた顔を隠すため、わたしはもう一度、深く深く俯いた。