3 家を追い出されたうえ、退学に
翌朝、わたしは父の雷鳴のような怒鳴り声と共に、寝床から引きずりだされて、目を覚ました。
「アイシャ――!! このっ!! 大馬鹿者がぁ――ッ!!」
「ひえっ……お、おはようございますお父様……っ! そして申し訳ございませんでした!!」
寝ぼけた頭は一気に覚醒して、わたしは床に座り込みながら、朝の挨拶と謝罪の言葉を叫んだ。
謝罪はもちろん、昨日の卒業パーティーでのやらかしについてである。
昨夜神殿から帰った後、わたしは家の玄関扉にスカイラの手紙をねじ込み、その晩は使用人の暮らす離れの建物で眠ったのだった。
のこのこと自分の部屋に帰ろうものなら、即捕まって、夜通し説教をくらいそうだったので……
作戦は上手くいき、夜はぐっすり眠れた。そして朝一で、こうして使用人の部屋で大目玉をくらうことになったわけだ。
使用人たちはもうとっくに起き出していて、部屋には父とわたしの二人きり。父の怒鳴り声は、わたし一人の耳へと吸収されていった。
「お父様、もう少しお声を落としてください……み、耳がキーンて……」
「怒鳴らずにいられるか! まったくお前は、ま~たやらかしおって!!」
「すみません……。ええと、その……あの後、お姉様とロデリック様はどうなりました……?」
小柄な体をさらに小さくして、わたしは父の顔を覗き見た。
「どうもこうも散々だ! リムリーンは部屋に閉じこもって出てこないし、ロデリック氏は怒りが冷めやらないご様子だ。小娘に恥をかかされたんだ、無理もない……!」
父は頭を抱えて呻き声を上げた。
「本当だったら彼の家への謝罪として、お前を牢獄にぶち込んでしまいたいところだが……神殿が庇うから、そうもいかん……。まったく、残念なことにな」
(ひえー……スカイラ様、ありがとうございます。救われました……)
昨夜神殿で一筆書いてもらえなかったら、今頃わたしは牢獄行きの馬車の中だったかもしれない……
わたしは父の顔色をうかがいながら、恐る恐る、かすれた声を発した。
「本当に、申し訳ございませんでした……昨日はつい、体が動いてしまって……。お姉様とロデリック様に、謝罪させていただきたく……」
「もう良い!」
「へ? あの、お父様……?」
思いがけず、父の説教は早々と締められた。なんだか逆に嫌な予感がしてきて、わたしは青ざめた顔を父へと向けた。
「リムリーンとロデリック氏への謝罪は、お前の口からはしなくて良い!」
「で、でも……」
「もうお前は二人の前に姿を見せるな。ただただ大人しくしていろ! この屋敷からも出ていけ! お前が我がエルセレド家の周辺をうろついていては、治まる事態も治まらない!」
どうやら父は、わたしの存在を抹消することで、今回の揉め事の風化をもくろんでいるようだ。
確かに、下手にわたしが謝罪をしても、姉とロデリックの心を逆撫でするだけかもしれない。
それならば、わたしは存在感を消して、彼らに早く怒りを忘れてもらうというのが、一番穏やかな解決方法なのかも。
でも、そうなると、わたしの生活はどうなるのだろう?
「わかりました、お父様……。ええと、これからわたしは学院の寮に入って暮らす、ということでよろしいのでしょうか……?」
「学院は今日付けで自主退学だ! お前のとんでもなさが、多くの貴族家に知れ渡ることになってしまったからな。まったく恥ずかしいことに」
「ええっ!? 退学!?」
思わぬ方向に話が進み、ギョッとした。
百歩譲って勉学の道を断たれるのは、まぁ良い。別に学者になりたい訳でもないので。でも学院という場所を取られたら、これからの生活の拠点をどこに据えたら良いのか。
「学院を出てしまっては、寮に入れません! 路上で暮らせと!?」
「ギャーギャー騒ぐな! ほら、ここがお前の新居だ!」
「えっ、新居……?」
父は上着のポケットから小さな地図を取り出した。地図には一ヵ所、赤く印が付けられている。
「ここはお前の祖母の家だ」
「おばあ様のお家に住めと?」
「あぁ。お前を養子にとってからも、ずっとほったらかしになっていた空き家だ。まさかここにきて使い道が見つかるとはな」
祖母の家は、わたしが七歳頃まで住んでいた家である。幼い頃に父母を亡くしたわたしを、祖母はこの家で引き取り、育ててくれたのだ。
でも、もう十年も前の話である。祖母も亡くなり、今はもう廃墟にでもなっているのでは……?
「さぁ、呆けていないで、支度をしろ! 家が朽ちていなければ、すぐにでも引っ越してもらうからな!」
「はい……」
父はわたしに地図を渡すと、肩を怒らせて部屋から出て行った。
■
小さな布鞄を肩に下げて、わたしは神殿のいつもの面談室の机に、頬杖をつく。
「――というわけで、家を追い出されました……今から、新居の下見に行ってきます……ぴえん」
「可愛い子ぶらないでください」
神官スカイラを前にして、わたしは延々と愚痴を繰り広げた後、涙目を拭った。
スカイラは今日も今日とて難しい顔をしたまま、呆れた息をつく。
「はぁ……まったく、あなたという人は。昨日の今日で訪ねてくるとは。その新居とやらは、ちゃんと暮らせる家なのですか?」
「一応、昔住んでいた祖母の家なので」
「生活費は? 家から出してもらえるのでしょうね?」
やれやれ、という顔をしながらも、スカイラは次々に質問を投げかけてきた。なんだか保護者のような質問を。
「生活費はひとまず、仕送りをいただけるようでして……」
「不自由なく暮らしていける額なのですか?」
「う~ん、どうでしょう……生活に困るようなら、仕事を探すつもりです」
家から神殿へと向かう道すがら、ぼんやりとだが、今後の予定を考えていた。
貴族令嬢という身分に甘えず、自立して生活していく覚悟を持っておいたほうが、いざという時慌てずに済むかなぁ、と。
『いざという時』というのは、いつか勘当された時のことだ。今後さらなる致命的なやらかしをして、家に縁を切られる可能性もあるので……
「いざとなったら男装して、魔物退治の傭兵にでもなろうかしら~、なんて」
「アイシャさんなら、英雄になれるかもしれませんね」
「でも婚期が遠のきそう」
「戦いの中で、良い出会いに恵まれるかもしれませんよ」
戦場ではなく、わたしは神殿の中で結ばれたいのだけれど……叶うのならば、目の前の神官様と。
そんなことは口には出せないので、わたしは妄想を振り払うように、ペシペシと頬を叩いた。
「――ところで、仕事を探すのも良いですが、そうなると学業がおろそかになるのでは?」
ふいにスカイラがいぶかし気な顔を向けた。
「あぁ、学院は退学という事になってしまいました」
「なんと……アイシャさんは、それで良かったのですか」
「えぇ、まぁ。親しい友達がいたわけでもないし、パーティーで、皆の前でやらかしてしまった後なので」
「そうですか……」
学院をちゃんと卒業できなかったというのは、ちょっとだけ惜しい気もするけれど、でも、それほど深く落ち込むことでもない。
その一番の理由は、友達がいなかったからだ。
誰かと仲良くなれば、それだけ戦神の姿を見られる機会が多くなる。学院の貴族令嬢たちはお淑やかなので、もし、わたしがうっかり誰かを血祭りにでもしてしまったら、きっと阿鼻叫喚だ。
そういうわけで、わたしは極力、一人で行動するようにしていたのだった。友達ができようはずもない。
スカイラは真面目な顔をして、何事か考えるように視線を宙に向けた。
しばらくの無言の間の後、わたしに目を向ける。
「将来の役に立ちますから、勉学は家で続けなさい。何かわからないことがあれば、私がお教えしましょう」
「なっ……! スカイラ様が先生になってくださるのですか!?」
「えぇ、私で良ければ」
思わず、ガターン! と音を立てて、立ち上がってしまった。
「せ、先生と個室で秘密の課外授業……! なんだかエッチな響きがしますね!」
「アイシャさん、面会を謝絶しますよ」
「ごめんなさいっ!!」
わたしはガバリと頭を下げた。
悪い事の後には良いことが起きる、とは良く言ったものだが、まさか本当に良い事が起きるとは。
好きな人にマンツーマンで勉強を見てもらえるなんて、まるでどこぞの青春小説のようだ。最高――!
暗い気持ちが一気に晴れて、舞い上がるような心地になった。
恋とは本当に不思議な、魔法のようなものだ。心の色を一瞬で塗り替えてしまうのだから。