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2 戦乙女の恋する人

 姉とその婚約者ロデリックを捻り倒し、わたしはホールから走り逃げた。


 扉をくぐって廊下に出た直後、後ろの方からロデリックの怒声が聞こえた。


「アイシャを……っ、あの女をとっ捕まえろ! あぁクソッ! せっかくの晴れの日だというのに、なんたる屈辱だ……! あいつのせいで恥をかいたッ!!」


 いやいや、姉とあなたの思い違いが招いた結果でしょうに……


 そう思ったけれど、わざわざ言い返しに戻るつもりはないし、そんなことをする余裕はない。


 ロデリックの命令に応じて、彼の護衛騎士がわたしを追ってきていた。


 ロデリックの家は上級の貴族家である。我がエルセレド家よりも格の高い家柄だ。


 格下の家の娘――それも将来義妹となる女に恥をかかされたとなれば、怒っても仕方がない。捕まってしまったら、最悪どさくさに紛れて首をはねられてしまうかもしれない。


 ――まぁ、捕まれば、の話なのだけれど。


 後ろから猛ダッシュで追ってくる、大柄の騎士二人。その姿をチラリと確認して、私はスカートを持ち直し、タタンッと廊下を飛ぶように駆けた。


 タンッタンッタンッ、と、軽やかな靴音を立てて走り抜ける。


 今日はパーティーということで、少し高いヒールを履いてきたのだけれど、この程度のヒールでわたしの足が遅れることはない。


 何せわたしは、『戦神』の強烈な加護を受けて生まれた女なのだ。生まれながらの戦士である。



 わたしの実の父と母は、二人とも軍人であったらしい。それでもって、二人そろって実に信心深い人柄であったそうだ。


 夫婦そろって毎日、戦神に熱心に祈りを捧げる生活をしていた、と人から伝え聞いている。


 その結果、子の私が戦神に愛されて、加護持ちとなってしまったのである……


 もしわたしが男だったなら、この俊足で戦場を駆け巡り、軍人としてとんでもなく出世していたかもしれない。そして自分の強さを、素直に誇らしく思っていたことだろうに。


 しかし残念なことに、私は女として生まれてしまった。この世では、男社会で女が出しゃばると、いらぬ嫉妬を買ってしまうのだ。武の分野ではことさらに。


 そういうわけで、私はこの戦神の力を、完全に持て余して生きている。誰かに譲れるものなら、譲ってしまいたいとすら思っているのだった。


 ――ちなみに、父と母は魔物の遠征討伐で、不幸にも命を落としてしまったそう。わたしは祖母に育てられ、祖母が亡くなってから、遠縁のエルセレド家の養子となった。


 わたしが加護持ちであることは、家の中では家長である父と、母しか知らない。今日、姉とロデリックを捻り倒したことで、彼らにも知れてしまったと思うが……



 キュッと靴底を鳴らして、速度を落とさず角を曲がる。

 

 このまま走れば玄関ロビーを抜ける。というところで、正面からも警備の騎士が走ってきた。どうやら、ホールでの騒ぎを聞きつけたようだ。


「十人、か……多いわね。戦うのは嫌だから……よしっ」


 ダンッ、と、床を強く蹴り、わたしは正面から走り来る警備の騎士の肩へ、フワリと飛び乗った。

 

 騎士の肩を足場にして、トンと蹴って、すぐにまた飛び上がる。


 風で舞うかのように、十人の騎士たちの頭上を軽やかに飛び越えた。


 ストンと着地して、玄関扉を走り抜ける。建物の外に出ると、すっかり夜のとばりが降りた、紺色の空が見えた。



 学院の敷地を抜け、大通りに出て少し走ったところで、ようやくわたしは歩を緩める。


 夜の街中を、フゥと息を整えながら歩いていると、急に現実感が襲ってきた。


「はぁ……またやらかしちゃった……家に帰ったら、お父様に怒られるだろうなぁ。……ちょっと寄り道していこう……」


 わたしは気持ちを落ち着かせるため――という名の、現実逃避を決め込むため、街の神殿へ向かうことにした。







 この街には区画ごとに、いくつか神殿がある。魔物が現れた時に、神殿は守りの結界を発動する拠点となるのだ。


 とはいえ、そういう非常事態はまれなので、普段は地域の人々の祈りと憩いの場となっている。


 わたしは勝手知ったる場所とばかりに上がり込み、神官との面談室で、机にもたれかかってベシャリと潰れていた。


「――という訳で、卒業パーティーを抜け出して来ちゃいました……ぴえん」

「二人も捻り倒してきて、可愛い子ぶるのはおやめなさい」


 白壁に囲まれた小さな面談室で、机を挟んで、わたしの向かいに神官が座る。延々と愚痴るわたしの話し相手は、馴染みの神官だ。


 この神官の名前は『スカイラ・ヒューステス』という。


 わたしより年上の、二十一歳のお兄さんだ。


 サラサラの黒髪に、空を映したような青い瞳をしている。真っ白な神官服は、シャンとしていて清々しい。


 生真面目な性格がそのまま顔に出たかのように、いつも難しい表情をしている人。今日も今日とて、わたしの話を聞いて険しい顔になった彼の眉間には、皺が寄っている。

 

 私の愚痴に、彼はいつものように、低い声でピシャリと言い返してきた。


「アイシャさん、あなたは戦神の加護という稀有な能力をお持ちなのだから、振る舞いには気をつけなさいと、何度言ったら――」

「わかってます、わかってはいるんです! でも今回は、わたしも突然のことに慌ててしまって……! 気持ちを落ち着けるために、神殿に寄らせてもらった次第です……」


 神殿では、申請すればこうして神官と対話ができるのだ。

 

 悩み事であったり、罪の懺悔であったり、神官は民の話に耳を傾けてくれるカウンセラーの役割も担っている。


 スカイラはわたしの持つ加護のことを知っているので、何か問題を起こしてしまった時には、相談に乗ってもらっている。


 ――というのは建前で、わたしは悩み事がなくても、足しげく通ってしまいがちなのだけれど。……超個人的な、秘密の理由で。


「スカイラ様ぁ……どうか悩める民をお助けくださいませ……わたし、帰ったらきっと父に怒られてボコボコされてしまいます」

「あなたのことですから、どうせ返り討ちでしょう?」

「……父をボコしたくないんです、お助けください」


 ぴえん、と再度、泣き顔をしてみる。

 

 スカイラは心底呆れたような顔をして、机の上に置かれているノートとペンを取り出した。


「はぁ……やれやれ。私が一筆、言葉を添えて差しあげますから、今日はもうお帰りなさい。夜が深まる前に」

「ははぁ! ありがとうございます、スカイラ様!」

 

 わたしは机に手を添えて、深々と頭を下げた。


 スカイラはわたしには目もくれずに、サラサラとペンを走らせている。字は丁寧で綺麗だし、少し伏せた顔も大変格好良い。


 即席の手紙を書き終えてわたしに手渡すと、スカイラはさっさと席を立った。


(……あぁ、もうお別れの時間。今日もあっという間だったなぁ)


 そんなことをぼんやりと思いながら、わたしもつられるように席を立つ。


「スカイラ様、話を聞いていただき、本当にありがとうございました」

「構いませんよ。まぁこれ以上、問題行動の頻度が高くなっては、さすがに怒りますが」

「ど、努力します……」


 お小言をもらいつつ、わたしはペコリとお辞儀をして面談室を出た。――の、だけれど、ふいに後ろから声がかかった。


「お待ちなさい。もう暗いので、馬車乗り場まで送ります」

「えっ……ありがとうございます! すみません……!」


 わたしは心の中で盛大にガッツポーズを決めた。それと同時に、頬の内側を奥歯でキュッと噛む。こうしていないと、頬が緩んでしまいそうなので。



 神殿の玄関を出て、二人並んで馬車乗り場まで歩いた。


 わずかな道のりだけれど、とんでもなく幸せなひと時であった。もうこれは実質、デートでは?


(――って、わたしもロデリック様のことを笑えないわ!)


 先ほど、心中で気持ち悪いと罵ってしまったロデリックに、そっと謝っておく。わたしもどちらかというと、頭がお花畑の人間です、はい……


 乗り場には客待ちの空馬車が待機していて、すぐに乗れることになった。残念だ。馬車がなければもうちょっと、スカイラと一緒の時間を過ごせたかもしれないのに。


「ではスカイラ様、ありがとうございました!」

「えぇ、おやすみなさい。――アイシャさん、」


 馬車に乗り込み、窓から別れの言葉を交わす。ふと、最後に添えるように、スカイラは穏やかな声音で言った。


「パーティーでは災難でしたね。最後に手が出てしまったのは残念ですが、あなたは理不尽な出来事に対して、勇敢であったと思います。今夜はよく眠り、心を労わってください」


 言い終えると、スカイラは馬車から離れていった。


 馬車が出て、闇に浮かぶ白い神官服が遠ざかっていく。


 

 わたしは暗い馬車の中、縮こまるように身を丸めて、痛いほどに脈打つ胸にもだえていた。


「うぅ~! ずるい! ずるい! 最後の最後に優しい言葉で締めるなんて、本っ当にずるい……! わたし何も返事できなかった! あ~悔しい……!」


 モダモダ、バタバタと手足をばたつかせて、真っ赤な顔をして一人で文句をこぼす。




 わたしはこの神官、スカイラ・ヒューステスに恋をしている。


 初めて会った時から、ずっと。




 十五歳の春、生まれて初めて恋心を覚えた相手が、彼だった。それから二年間、日々心を寄せ続けている。


 もちろん、まだ気持ちは伝えていない。


 彼は規律と道徳と、誠心を重んじる神官の身分だから、今のわたしじゃ相手にされないことがわかりきっている。


 悔しいことに、わたしはまだ子供なのだ。この国では、十八歳からが成人である。わたしはまだ、年齢が一つ足りない。


 世間的にはそんな決まり事、あってないようなものである。貴族は少女の年齢でも結婚するし、庶民はそもそも年齢の数え方が適当だ。


 けれど、相手がお堅い神官職、且つ生真面目なスカイラだから、わたしは決まり事を律儀に守ろうとしている次第である。


 軽はずみに告白して、「チャラい女だな」とか「子供の戯言だ」とか思われて相手にされなかったら、きっと立ち直れないので……


 戦神に愛され、戦士の身体と戦闘力を持つ女でも、恋心は繊細なガラスで出来ているのだ。



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