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16 失意と魔物

 婚約を済ませて一人暮らしの家に帰ってくると、家の玄関扉には簡素な手紙が挟み込まれていた。


 手紙には流麗な字で、「また神殿でお待ちしています」と書かれていた。留守中にスカイラが挟んでおいてくれたのだろう。


 紙がふにゃふにゃと波打っているので、もしかしたら、わたしが泣いて逃げ出したあの雨の日のうちに、家に寄ってくれたのかもしれない。


 ものすごく迷惑をかけてしまったので、落ち着いたら謝罪の菓子折りを持って、神殿を訪ねようと思う……



 一昨日帰ってきて、昨日丸一日休んで、さぁ、今日からは動き出さねば……というところなのに、結局今日もダラダラと無気力に過ごしてしまった。


 アロンゾと暮らすために、また引っ越しの荷造りをしないといけない、というのに……全然体が動いてくれない。

 

 わたしはこの後、アロンゾが継ぐ予定の領地に移り住むことになる。郊外の、彼の実家近くの小さな土地だ。


 もうすぐ姉の結婚式が控えているので、わたしの結婚式はその後の予定である。なので、先に同棲をスタートしてから、式を迎えることになる。


「どういう生活になるんだろうなぁ……」


 アロンゾとの夫婦生活……申し訳ないが、未だにまったく現実感が湧かないし、想像すらできない。スカイラとの生活ならば、これまで百万回は妄想してきたのに。


 ソファーでダラダラとしていたわたしは、とりあえず起き上がった。そろそろ本当に動き出さないと、荷造りが終わらずに、父に怒られてしまう。


 せっかく新居を整えたというのに、もう引っ越しだなんて……という気持ちが邪魔して、腰が重い。


 スカイラと買い出しをして、色々揃えたのに。二人であれこれ話しながら買ったカーテンも、玄関扉の錠前も、調理器具だって、もう必要のないものになってしまう。


「……でも、まぁ、きっとこの家にいたら、わたしはいつまでもスカイラ様のことを考え続けてしまうんだろうな……」


 いっそ未練を断ち切るには、さっさと引っ越してしまった方が良いのかもしれない……



 わたしはのたのたと歩き出し、クローゼットへと向かった。刺繍をほどこした赤紫色のドレスを取り出し、眺めてみる。


「未練を断つには、捨てちゃった方がいいのかしら……」


 たぶん今後のわたしの人生、紫色を見たら絶対にスカイラを思い出してしまう。あと、神官服を思い出す白色と、彼の瞳の青色と、髪の毛の黒色と。


 わたしはモソモソと着替えて、赤紫のドレスを身にまとった。姿見鏡の前に立ち、見納める。


 ついでに耳飾りを付けて、ドレスに合うヒールも履いてみた。お気に入りのレースのハンカチに、好きな色のリップに、香水に――あれやこれやと引っ張り出して、全部身に着けてみる。


「もうこういう姿とも、お別れなのね」


 結婚してビスト家の一員となったら、騎士服を着て過ごすことになる。ピシリとした騎士服は格好良いとは思うけれど、わたしはヒラヒラしたドレスが好きだ。


 ビスト家の女性陣は、パーティーの時はどうしているのだろう。そういう時くらいは、フリフリヒラヒラしたドレスを着ても良いのだろうか。


 わたしはしばらく、鏡の前でクルクルと姿を見まわした後、そのまま、またソファーへと沈んでしまった。


 駄目だ。やっぱり全然、やる気が出ない。明日から本気を出すので、今日はもうダラダラと過ごしてしまおう……



 ソファーでゴロゴロするうちに、意識は眠りへと向かっていく。


 まどろみの中で、わたしは白い花嫁衣装に身を包み、同じく白い衣装を着たスカイラの隣で、幸せそうに笑っていた。


 笑っちゃうほど未練タラタラだけれど、夢の中くらいは、好きな人の側にいることを許してください、神様――……


 そんな事を考えながら、わたしは意識を手放していった。







 ちょっと昼寝をするつもりが、すっかり寝入ってしまった。――の、だけれど。


 爆睡していたわたしは、突然響いた唸り声で飛び起きたのだった。

 

『グオオオオォォ……ッ』


 外から、獣とも人の呻き声ともつかない気味の悪い声が聞こえてきたのだ。


 わたしは転がるように部屋を移動し、窓を覗いた。外はもう日が落ちていて、夜のとばりが下りていた。


 その暗闇に紛れるように、大きな真っ黒い塊がうごめいていた。


「――魔物!?」


 この不気味な唸り声の正体は、なんと魔物であった。


 人間と巨大な熊を足したような異形の姿……煙を固めたかのような真っ黒な魔物は、上体をグラグラと振り回して、家の庭を徘徊していた。


「うわっ、歩き方キモッ! キモイ!!」


 魔物をこんなに間近で見たのは初めてだったけれど、動き方が気持ち悪くて無理だった。泥酔したおじさんのようだ。


 その気持ち悪い異形があろうことか、庭に干しっぱなしになっていた、わたしの洗濯物に突っ込みやがった……!


 ――その瞬間、わたしは悲鳴を上げて、家から飛び出していた。


「ギャアアア! 汚い!! 洗ったばかりなのにッ!!」


 思わず叫ぶと、黒い体に洗濯物を引っ掛けた魔物は、グワンと首を揺らしながら、わたしの方へと向きを変える。


 間髪入れずに、低い咆哮を上げて襲い掛かってきた。


 魔物は熊のように太い腕を、思い切り振り回してきた。わたしは瞬時に身を低くして、大きく鋭い爪をかわす。


 地面ギリギリまで身を沈めたまま、滑り込むように走り、間合いを詰める。


 魔物の真ん前まで近づいたところで、飛び跳ねながら回し蹴りをし、魔物の胸にヒールの先をぶち込んだ。


 魔物の黒い胸の中で、バリン! と何かが砕ける音がした。


『ゥウウウグウウウッ……!!』


 呻き声と共に魔物の体は弾け、黒い霧となって消えていった。


 庭の地面には、砕け散った黒魔石が残る。わたしが蹴り砕いたのは、魔物の核となる黒魔石だ。


 ある程度の大きさの黒魔石からは、こうして魔物が生まれてしまう。なので、黒魔石は小さく砕いて処理をする。


 散らばった黒魔石の欠片を、靴底でさらに念入りにゴリゴリとすりつぶしておく。


「まったく……なんで街中に、こんなに大きな魔物が……」


 魔物は新月の夜に生まれる。それを防ぐべく、街の中を警吏と魔物掃討軍が定期的に巡回し、発生した黒魔石を除去しているのだ。


 なので、普段あまり大きな魔物が出ることはないのに……


 わたしはグチグチ言いながら、庭に落ちた洗濯物を拾い集める。――が、その動作は途中で止まった。


 通りの方から騒ぎ声が聞こえだし、徐々に悲鳴へと変わっていったからだ。


『キャ――ッ魔物が!』

『女と子供は家の中へ!!』


 人々の叫び声と共に、魔物と思しき唸り声がいくつも聞こえてきた。


 わたしは拾い上げたピンクのフリフリパンツを放り捨てて、慌てて表の通りへと走りだした。



 家々の隙間の小道を駆けて、開けた通りへと飛び出す。街を見回して、わたしは唖然とした。

 

「何よこれ!? 魔物だらけじゃない!!」


 街中には至る所に、真っ黒な巨体がうごめいているのだった。



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