表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/22

11 結婚の打診とただ一つ怖いもの

 スカイラとのなんちゃってお買い物デートをした日から数日が経っても、わたしは夢の中にいるようなフワフワした心地でいた。


 鼻歌を歌いながら、教えてもらった恋愛運アップの文様を、ドレスの胸元に刺繍していく。


 長らくクローゼットに眠っていた淡い赤紫のドレスは、あの日から一番のお気に入りへと昇格した。


 たぶんわたしのクローゼットの中身は、これから先、紫色に浸食されていくことと思われる。


「――よし! できた!」


 この数日間、夢中になってチクチク刺してきた刺繍が完成した。花柄にも見える恋の文様が、ドレスを元よりも華やかに彩っている。上出来だ。


 さっそく出来上がったドレスに着替えて、姿見鏡の前に立ってみる。


 胸元の刺繍をよくよく確認して、髪の毛を結い上げてみたり、アクセサリーを合わせてみたりした。


「スカイラ様、また素敵だって言ってくれるかなぁ……」


 あらゆるシチュエーションを妄想して、足をバタバタさせてもだえる。


 早く披露しに行きたいけれど、次神殿に行くのは来週になってからだ。


 来週の真ん中の日に、スカイラがお菓子を作ってきてくれるらしい。その約束の日にこのドレスを着て行こうと思う。


 しばらく鏡の前で一人ファッションショーに勤しんでいると、誰かに玄関扉をドンドンと叩かれた。


 体が即座に反応して、戦闘態勢に入る。


「おーい! アイシャ、いるんだろう? 開けてくれ!」

「あら、お父様!?」


 扉の向こうにいたのは敵ではなくて、父だった。小窓から確認すると、門のあたりに使用人もいる。

 

 この力作の刺繍のドレス……できることなら最初に披露する相手は父ではなくて、好きな人がよかった……

 わたしの複雑な乙女心が、そう嘆いた。




 家の中に招き入れると、父はずんぐりとした大きな体を、どすりとソファーへ預けた。


「久しぶりだな、アイシャ。いやぁ、思っていたより辺鄙な場所にあるなぁ、この家。やれやれ、まるでおもちゃのような小ささだ」


 散々なことを言ってくれるが、この家に住むよう命じたのは父だろうに……そんなことを思ったけれど、口争いはしたくないので黙っておく。


「お父様、何かご用事ですか? ……まさか、お姉様の件で?」


 わたしは数日前の、湖ダイブ事件を思い返す。あの後、姉はどうなったのだろう。わたしの反省寒中水泳を見て、怒りを治めてくれたのだろうか。


「なんだ? お前またリムリーンに何かしたのか!?」

「え、っと、お姉様から、何も聞いていないのですか?」

「あぁ。リムリーンの奴、数日前に学院で気を失って、それからまた部屋にこもってしまってな」


 わぁ……お姉様、ごめんなさい……

 

 わたしは顔をひくつかせて、心の中で平謝りをした。姉に反省の気持ちを伝えるどころか、心にダメージを与えてしまったようだ……


 人が目の前で飛び降りる瞬間を見て、衝撃を受けてしまったのかもしれない。腰巾着の令嬢たちも、今頃もしかしたら同じように臥せっているかも。


 父は冷や汗を流すわたしのことを、ジトリとした目で睨んだ。


 けれど直ぐに空気を切り替え、別の話をし始めた。


「まぁ良い。ひとまず、今日の本題はそこじゃない」

「はぁ、では何用で?」


 キョトンとするわたしに、父は鞄から一通の手紙を取り出した。金箔飾りの付いた綺麗な封筒だ。これはもしや――……


「喜べアイシャ! なんと、お前に結婚の打診がきたんだ!」

「…………はぁ!?」


 一瞬の間を開けて、わたしは仰天した。


「なななっ!? わたしに!? 求婚者が!?」

「あぁ、そうだ! お相手はあの軍人一家の『アロンゾ・ビスト』氏だ」

「軍人!?」


 動揺しすぎて震える手で封筒を開ける。手紙には本当に、わたしと縁を結びたい旨が書かれていた。


「お相手はお前に惚れ込んでいるらしいぞ。しかもその理由が、卒業パーティーでお前のやらかしを目撃したからだそうだ」

「なんで!?」


 意味が分からない。男女二人を捻り倒すという酷いやらかしに、惚れ込む要素なんてあるのだろうか。


「相手はビスト家の五男坊だ。お前の見事な体術を見て惚れたんだと。ビスト家は武力で成り上がった家だから、戦神を崇敬しているんだとか」

「なるほど……」


 戦神の信奉者の家か。こんなところに需要があるとは思わなかった。


 というか、需要があっても困る。わたしの心はスカイラにあるのだ。他から求められても、申し訳ないが煩わしいだけである……


 気持ちを落ち着かせるように深呼吸をして、わたしは渋い顔で、父へと言葉を返した。


「せっかくのお話ですが、わたしの結婚関係のお話は、十八歳の成人の歳になってから――」

「何を真面目腐ってるんだ。年齢なんぞを守ってる奴なんて、聖職者ぐらいだろうに!」


 ですよね~。と、わたしは生気の抜けた目で宙を見た。ちなみに、姉リムリーンが婚約を結んだのは、十四歳の頃だった。


「良い家の娘ほど、若い年齢で婚約を結ぶものだ。お前はなかなか相手が決まらなかったが、ようやく良い相手が見つかったな。アロンゾ・ビスト氏は、なかなかの美男子だそうだぞ」


 ハッハッハ、と父は大きく笑った。

 

 推し(スカイラ)を超える男前なんて、この世界にいるわけないんですが? と、早口で詰め寄ってやりたかったけれど、グッと堪える。


「それで、挨拶と視察を兼ねて、郊外にあるビスト家の領地を訪問することになったから、お前も同行するように」

「……いつです?」

「来週の真ん中あたりに出発する予定だ」

「ぬああああ――――っ」


 わたしは崩れ落ち、頭を抱えて叫んだ。スカイラとの約束と被ってしまった……


 父はギョッとした顔で、死にそうな声で呻くわたしを見ていた。







 わたしは週の頭に、神殿へと足を運んだ。


 もちろんスカイラに会うためだ。お菓子の約束の日にはまだ早いけれど、もう明後日には郊外のビスト家に行かなければいけないので、その旨を伝えにきた。


 いつもの面談室で、スカイラと机を挟んで対面する。


 刺繍を入れた赤紫色のドレスを着てきたけれど、気持ちは浮かないままだった。縁談の顔合わせが憂鬱で仕方なくて、ずっと心に膜が張ったように、感情がぼやっとしている。


 スカイラとお喋りをしたら、この沈んだ気持ちも晴れてくれるだろうか。


「スカイラ様、こんにちは」

「こんにちは、アイシャさん。約束した日より少々早いご来訪ですが、何かありましたか?」

「ええと……」


 わたしは喋ろうとしていた言葉を、とっさに飲み込んでしまった。


 『結婚の打診がきて、予定が入ってしまったので』と話すつもりだったのに、スカイラを前にしたら、なんだか喋る気が萎んでしまった。


 不自然に間が空いてしまったのを取り繕うように、わたしは明るい声音で別の話題をねじ込んだ。


「……見てください、ドレスに恋の文様を刺繍してみました!」

「とてもお上手です。華やかで素敵ですね」


 念願の褒め言葉をもらったけれど、心に膜が張っている今の状態では、照れてもだえるような事態にはならなかった。とても嬉しいのは確かだけれど。


 わたしは机に頬杖をついて、はぁ、とため息を吐く。


「……この刺繍でわたしの恋、良い方向に進むと良いんですけどねぇ……」

「浮かない顔をしていますね。恋愛事に悩んでいらっしゃるのですか?」


 スカイラが顎に手を当て、ふむ、と真剣な顔をした。


 恋愛事の悩み、と言えば、まぁその通りだ。わたしには好きな人がいるのに、アロンゾ・ビストに惚れ込まれてしまった、という、もつれた恋の悩み。


 もし、縁切りのおまじないがあるのならば、申し訳ないが、アロンゾとの縁談に使いたいところである。


「う~ん……恋愛関係の悩み、といえば、そうなんですが」

「それならば、私よりも神殿の清掃員の女性に相談されるとよろしいかと」


 クルクルパーマのおばちゃんだ……!

 まさかスカイラから彼女の情報が出てくるとは思わなくて、わたしは軽くむせた。彼女には、既にいつもお世話になっている。


「こ、今度……相談してみます」

「えぇ、是非」


 話題が一つ終わると、面談室に静けさが満ちた。高い位置にある窓から陽が差し込んで、スカイラの白い神官服を照らしている。


 わたしは頬杖をやめて、姿勢を直してまた話し始めた。


「……実は明後日から、郊外に出ることになりまして」

「あぁ、何かご予定が入ったのですね」

「はい……スカイラさんのお菓子、食べたかったのに」



 ……――拗ねた声音でグチグチとお菓子の話をして、この日の面談は仕舞いとなった。


 結局、わたしはスカイラに縁談の話はしなかった。話をする勇気が出なかったのだ。


 だって、もし話して、「おめでとうございます」なんて喜ばれてしまったら、悲しくて仕方なくなってしまう。


 彼の心の中に、ほんのひと欠片もわたしへの想いなんてないのだ、ということを、真正面から突きつけられるのが、わたしは怖いのだ。


 痴漢も変質者も暴漢も、これっぽっちも怖くないのに。スカイラの心の中を想像することだけは、怖くて仕方がない。


 身体は無駄に強いのに、どうして心は、こんなに弱いのだろう。


 世の中の片思い中の乙女たちは、皆こういう怖さを抱えているのだろうか。教えてください、クルクルパーマのおばちゃん……



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ