1 パーティーで姉とその婚約者をひねり倒してしまった乙女
設定ふわっとしております。お気軽にお楽しみいただけましたら幸いです。
その日、貴族の子息令嬢の集う学院では卒業パーティーが開かれていた。
成人年齢――十八歳を迎えた卒業生たちを主役として、その家族や、在校生、教師たちまでもが、皆、華やかな装いで集まっている。
わたし、『アイシャ・エルセレド』も例にもれずに、今日はピンク色の可愛いドレスを身にまとっていた。
とはいえ、わたしはまだ十七歳。――在校生の身分である。まだ卒業までには一年ある。
わたしは本日の主役ではないので、パーティー会場の端っこの方で、背景の中の一人として過ごしていた。
……――はずだったのに、今、わたしは大ホールのど真ん中に連れ出され、大いに人目を集めている。
(あぁ、神様……本当に勘弁してください……)
思い切り渋い顔をして心の中で祈るも、わたしの祈りは全くもって届きはしないのだった。
今、わたしの目の前には、立ちはだかる男女のカップルが一組。カップルの男の方が、悲痛な表情と共にわたしに言い放った。
「アイシャ、もう僕の心を惑わすのはこれっきりにしてくれ……! 僕には婚約者がいるんだ! 今後は僕をみだりに誘ったりしないでくれ……」
はい……?
男の言葉にわたしは固まる。
続いて、女の方が涙目で訴えてきた。
「アイシャ……あなたはもう、わたくしの妹でもなんでもないわ……! 姉の婚約者をたぶらかすなんて……なんてことをするの!」
――今、わたしと対峙している男女は、姉とその婚約者の男である。姉の名前は『リムリーン』、婚約者の男の名前は『ロデリック』。
二人は共に十八歳で、本日のパーティの主役である卒業生だ。
パーティー会場のど真ん中で突如始まった修羅場劇に、わたしはアワアワと大慌てで対応する。
「えっ、ちょ……! ロデリック様もお姉様も、突然何をおっしゃるのですか!? わたし、全くもって何もしていないのですが……!?」
わたしの言葉に、姉は涙を流しながら言う。
「白々しいわ……! あなたがロデリックのことを誘惑して、幾度も学院内でデートをしていたこと、わたくし知っているのよ……!」
「デ、デート!? わたしがですか!?」
ひえっ、と変な声が出た。殿方とおデートなんて、わたしは生まれてこの方、したことがないのですが……!?
とんでもない言いがかりに動揺するわたしを、姉はキッと睨みつけた。
「例え家族だろうが、許せません……! 卒業式というこの区切りの日に、この場を借りて、謝罪を求めます!」
「お姉様落ち着いてください! わたしはロデリック様を誘惑などしていません! 何かの間違いでは!?」
わたしは大汗をかきながら、ロデリックの方を見る。すると、ロデリックは苦い顔をして俯いた。
「……僕とアイシャがデートをしていたのは事実だ……言い逃れのしようもない。だが、それはアイシャが僕を熱烈に誘ってきたから……僕は男として抗えなかっただけで……」
「は……? わたしたち、いつデートなんてしたんですか……?」
これっぽっちも記憶にないのですが……?
わたしは生気が抜け始めた目で、ロデリックを睨み上げた。
「ほら……直近だと、先週の図書館デート……」
「あれはたまたま廊下で会って、行き先が一緒だっただけでしょう!?」
「……いや、君と密室で、半日を一緒に過ごしてしまったのは事実だ……」
「隣の席に座っただけでしょうに! しかもわたしは誘っていません! ロデリック様が勝手に隣に座ってきただけです! ずっと本を読んでいただけですし!」
この男、女子の隣に座っただけでデートにカウントしてるのか……!
怖っ! 気持ち悪っ!
私は死んだ目でロデリックを見据え、顔をひくつかせた。
それと同時に、おおよその事態を把握した。
今までの学院生活で、確かに、わたしはロデリックとは話す機会が多かった。学院内の廊下や食堂、図書室や庭など、出会えば親しく挨拶をしてきた仲だ。
姉の婚約者ということもあって気を遣い、出会う都度、世間話に興じて談笑したりしてきたのだ。
恐ろしいことに、ロデリックはこれらの時間を全て、デートの回数としてカウントしていたらしい。そして姉もまた、密会だと思い込んでしまっていたようだ。
さすが婚約者、似た者同士である。勘弁してほしい……
「わたしはロデリック様とのひと時を、デートだと思ったことは一度もありません! 挨拶も会話も、ただの社交辞令です! お言葉ですが、さすがに自意識過剰というものです」
わたしの反論を聞き、分が悪くなったロデリックは、急に不機嫌さを露わにした。
「僕が自意識過剰だと……!? 君が思わせぶりだから悪いんだ」
「わたしはいつも、ごく自然に振る舞っていますが?」
「振る舞いがどうとかじゃない! 君はいつも、見目で男を誘惑しているだろう!」
見目?
ぱちくりとまばたきをして、わたしは一瞬呆けてしまった。
淡く赤みを帯びた長い金髪に、琥珀色の大きな瞳。同年代より随分と小柄で、『小動物っぽい』なんて呼ばれ方をしたことがある。
これが、私の容姿だ。
この容姿は一般的に、男の庇護欲をあおるタイプの容姿らしい。と、同時に、女の嫉妬心をあおるものでもあるようだ。
現に、姉の激しい嫉妬心が、今わたしに向いている最中である。姉――と言っても、わたしは養子なので、血の繋がりはないのだけれど……
姉はポロポロと涙を流しながらも、血走った目で私とロデリックを交互に睨む。
「ロデリック様は、アイシャの見目に誘惑されたというのですか!? わたくしよりアイシャの方が愛らしいと……!? 酷い、酷いわ……!」
姉はわたしとは対照的に、背が高く体格の良い女性だ。大人っぽくて綺麗なので、わたしは密かに姉の容姿に憧れていたのだけれど。
――なんて、そんなことを思っている場合ではない。なんと、姉は激情のままに、わたしに飛び掛かってきたのだった。
体格の良い姉が、その長い手を大きく振るって、わたしに掴みかかる。
けれど、その手はわたしには届かない。
わたしは姉の動きを視界の端にとらえるや、無意識に短く息を詰めた。
伸びてきた手をパシンと払い、その反動と姉の身体の動きに合わせて、ガッと素早く足を払う。
姉は身体をグルンと回転させながら、綺麗に床へと転がっていった。
瞬きを一つする間の出来事である。
床に叩きつけられ、「ヒギャッ!?」とおかしな声を上げた姉を見て、今度はロデリックが激情を露わにした。
「アイシャ!! 僕の婚約者に何をするッ!!」
掴みかかってきたロデリックの手を、わたしも自ら掴みに行く。
半歩身体を前に出し、ロデリックの腕を捻り上げると同時に引き寄せ、豪快にガツンと足を払う。
わたしのピンクのドレスが花びらのように舞い、ロデリックがダンサーのように三回転した。そして直後、綺麗に床に叩きつけられた。
この間、わずか瞬き二つ。
目の悪い者であれば、わたしの動きを追い切れずに、二人が突然踊るように倒れ込んだように見えたことだろう。
パーティー会場のど真ん中で、何やら修羅場が始まったかと思ったら、男女二人が地に伏した。
一瞬の静寂の後、野次馬たちはドッとざわつきだした。
『なんだ? 何が起きたんだ?』
『あいつら体が回ったぞ!?』
『やだ、倒れ込んでるわ……お医者様を呼んだほうが……』
『いや、俺は見てたぞ! あの女の子がやったんだ!』
周囲のざわつき声に、わたしはハッと正気に戻る。
「ま、まずい……やっちゃった……」
あわわわわ、と震えだす両手の指先を胸元で握り、床に転がって呻く二人を見下ろす。
「ええと、い、今のはつい勢いで……ごめんなさい! えと、その……お話のまとめですが……」
冷や汗をかき、目を泳がせながら、わたしは二人に声をかける。
「わたしはロデリック様を誘惑したことは一度もありませんし、誘惑する気も一切ございません……!」
アワアワしながら、早口で続きを言い切った。
「だってわたし、好きな人がいるので……そのお方にしか興味がありませんから!」
では、失礼します……!
そう言って、わたしはホールの出口へと全速力で走り逃げた。
――わたし、アイシャ・エルセレドは齢十七歳の、小柄な女子。おまけに恋する乙女である。
その一見可憐な身とは裏腹に、身体は闘争を求める、『戦神の加護』持ちなのであった――。