脅威の優先順位
――最大の脅威であるはずのアルクラを、警戒する必要がない……?
予想だにしなかった天祐堂総司令の発言を前に、困惑を隠しきれない俺達。
そんな俺達に構うことなく、司令が説明を続ける。
「認識汚染現象:アルクラについてだが……お前達、どこまでコイツの情報を知っている?」
これまでの二大脅威とは異なり、俺達に意見を聞いてくる天祐堂総司令。
突然の信じられない意見を前に戸惑いや反発の心もあって、何かを言いたいという気持ちはあるのだが……何分、肝心の“アルクラ”という存在に対する情報がなさ過ぎて何も思い浮かばない。
そんな中、ハイ!と元気よく挙手する者がいた。
「被害に遭った人曰く、『“アルクラ”は、巨大な邪竜である』って口にしているみたいだけど……実際は、誰一人として明確なその姿を目撃した訳でもない上に、何が原因なのか分からないままに突然人間から正気を失わせるっていうまさに“現象”とでも呼ぶしかない災厄……って事で合ってるよね?」
発言したのは意外な事に、こういう話や雰囲気とは最も縁遠そうなキツい陽キャの森崎 ののかだった。
彼女の答えもあてずっぽうではなく、確かに理路整然としており、俺も思わず感心していた。
天祐堂総司令も彼女の発言に異論はないらしく、「おおむね間違いではない」と頷きを返す。
「“アルクラ”の脅威に遭遇した者達は、空を見上げながら『自分達が巨大な竜に呑み込まれようとしている』とか『アルクラの影が、地表を覆い尽くそうとしている』などと口にしているが、森崎が述べた通り、対象者以外でそのような存在を知覚・認識出来た者は皆無である。ゆえに、隷属であれ反発であれ、この影響に曝された者達が一様に口にする“アルクラ”という存在を、彼らの言い分通りに巨大な竜と認識するのは正しい理解を阻害する恐れがあるため、便宜上この脅威の事を我々は“認識汚染現象”と呼称することになっているのだ」
聞けば聞くほどに、実態が不明でどう対処すれば良いのか分からない辺り、イビル・コンニャクやデスマリンチとは違う意味で、早急に対処しなければならない存在にしか思えない。
なのに、コイツを重要視しなくても良いってのは、一体どういう事なんだ……?
そんな俺達の疑問すらも、想定の範囲内に過ぎないとでも言いたげな抑揚のない声で、天祐堂総司令が言葉を続ける。
「アルクラが発生した場合、その世界の半数の人類・もしくはそれに準ずる知的生命体を徐々に時間をかけながら浸食していき、その者達の自我を、正気を失った“アルクラの眷属”とでも呼ぶべき状態へと変質させていく。……“眷属”と化した者達は、意識も定かではない状態のままにアルクラの名を呟きながら、周囲への無差別な破壊活動やアルクラの影響を受けていない人間を襲撃する優先する傾向がある」
「周囲への無差別な破壊活動や人への襲撃を優先だって……!?それなら、そんなのをますます放っておくわけにはいかないじゃないですか!」
話の最中にも関わらず、たまりかねてそう叫ぶ俺。
他の皆の視線がこちらに向いているのを感じるが、それどころじゃない。
イビル・コンニャクの手下が店に来た時ですら、あれほどの恐ろしい目に遭ったというのに、アルクラの支配下に組み込まれた暴徒達が押し寄せることになれば、ひとたまりもないはずだ。
そのような俺を、周囲とは比較にならないほどの冷徹な視線で見据えながら、司令が重々しく様子で口を開く。
「アルクラの影響に置かれた者は、その状態になってから半日ほどで何の後遺症も残らない元の状態に戻る。もっとも、個人によって多少の混乱はあるようだが……それと入れ替わりになるような形で、まだアルクラの影響を受けたことのない者が突如、それまでの暴露者同様にアルクラの眷属と化し、同じように半日でこの状態から元の自我へと戻る。そしてまた、最初の時に理性を失った者達が、再び眷属化する……アルクラが発生した世界は、これらの現象を幾度も日をまたいで繰り返し続ける。まるで太陽が沈み、月が浮かび上がるが如く、ごく自然な現象とでも言わんばかりに」
司令の話によると、このアルクラという現象は『常に世界の半数をその影響下に組み込む』という性質から、アルクラの眷属がその影響を受けていない人間を襲撃している時というのは、もしかすると、眷属側と化した者達が何らかの攻撃なり事故で命を落とした場合に、それと同じ数の被・暴露者側を減らそうとしている、いわばアルクラによる単なる数の調整なのではないか?との事だった。
「……じゃあ、何ですか?アルクラは人間が下手に手を出さなければ、街をメチャクチャにするくらいに暴れまわるけど、人間を傷つけたりしないから黙ってろって言うんですか?――冗談じゃない!閑古鳥が鳴いている有様でも、俺の家はラーメン屋なんだ!!……そんな自分が生まれ育ってきた店が潰されるかもしれないってのに、そんなのをヘラヘラしながら許せるはずなんてないだろう……!!」
「野村君……」
憤りの声を上げる俺と、そんな俺に対して心配そうに呼びかける菊池。
そんな俺の叫びに対して、司令はどこまでも動じることなく――むしろ、何の負い目もなく「そんなはずがないだろう」と口にする。
「例え、何の痕跡も残らなかったとしても、常に世界の半数もの人間が入れ替わりの状態で、理性もないままにそこいらで暴れ続けるようなことになれば、社会が成り立たなくなるのは目に見えている。……だが、これは我々にとっては唯一の好機ともいえる」
「これが、チャンス……?何を言ってるんだ、アンタは!」
「そのままの意味だ。この場にいる者達は全て、最初のアルクラの影響で眷属と化すことを免れた者達だ。この“三月三日”という日に最大の効果を発揮する防御術式を施せば、日をまたぐ寸前までならば、なんとか眷属と化すことを防ぐ事が出来るはずだ。これまでの二体と違って、現段階のアルクラへの対処は可能、また、その影響下に置かれている眷属達も同じく、こんにゃくを巧みに用いるほどの技能や賢しさも、ブラック企業特有の追い込みや統率性も持たない、理性を失っただけの単なる暴徒の群れ。“トリニティ因子”による能力を持ったお前達ならば、例え襲われたとしても十分に対処できるレベルだ。――以上の事から、我々の中では“アルクラ”が最も警戒度の低い脅威と判断している」
司令によると、この建物だけでなく国や政府の重要拠点には、今述べたようなひな祭りの日にのみ絶大な効果を発揮する防御術式が施されており、その効果によって、三大脅威もその配下も襲撃することはおろか近づくことすら出来ていないのだという。
説明している間に、室内に入ってきたこの組織の職員によって、俺達一人一人に術式が込められているというちらし寿司が配られていく。
――『腰が曲がるまで長生きできるように』という意味が込められた真っ赤な“エビ”。
――『将来を遠くまで見渡せるように』という想いを宿した“レンコン”。
――『まめに働き、丈夫でたくましく育てるように』という願いがぎっしり詰まった“豆”。
これらの加護の術式が施された食材を、ふんだんに使用したちらし寿司を食べることによって、俺達はモリモリ元気いっぱいだ――!!
そんな風に、席に着きながら配られたちらし寿司を黙々と食べる俺達に対して、気を引き締めるかのように天祐堂総司令が呼びかける。
「――逆に言うならば、今日を過ぎて“三月三日”の術式の効力や一日限りで発現するお前達の“トリニティ因子”が消失してしまえば、その時点で我々人類が打てる手は完全になくなり、敗北は必然のものとなる。……ゆえに、現在外がどうなっていたとしても、我々は持てる力全てを用いて、今日中にこの事態を早急に打破しなければならないのだ……!!」
有無を言わさぬ天祐堂総司令の迫力を前に、箸を止めて思わず見上げる形となった俺達。
そんな中、とうとう堪えきれないと言わんばかりに、関西弁の尾田山 岳人が声を上げる――!!
「ちょっと待ってぇな、総司令はん!ワイ等で今日中に何とかせなアカンって……あんなおっかない巨大なバケモン共やら、姿かたちもよく分かってないけったいなモン、さらには、そいつらの部下がおるかもしれんのにそこに特攻かませ!とか、そういう無謀な話ならお断りやで!!ワイ等がどんだけの能力を使えるようになろうと、いたいけな少年少女があんだけの数やら異常過ぎる奴等を相手に、無事で済むはずがないやろッ!?」
空気も距離感も分からない感じの初対面の印象からは一転、この場にいる俺達“トリニティ因子”覚醒者全員の声を代弁したかの如き、尾田山の叫びにうんうん、と強く頷く俺達。
それに対しても、司令は憮然とした表情のまま――けれど、瞳にはこれまでとは異なる強い意思の光を宿しながら、尾田山の問いに答える。
「私とて、お前達にそんな非効率かつ博打ともいえぬような愚策をさせるつもりはない。――お前達が為すべき事。それは、この場所へと向かう事だ!!」
刹那、スクリーンの映像が別のものへと変化する。
そして、そこに映し出されていたのは――。
「ッ!?な、なんやて!……これはまるで、というかまんま……」
「ひな壇、なのか……?」
尾田山が言い終わるよりも先に、呆気に取られた俺が思わずその名を口にする。
俺達が見つめる先。
そこに映し出されていたのは、“ひな壇”としか言いようがない巨大な物体であった――。