特務機関:"糺“
突如、室内に響いてきた厳格な男の声。
声のした方向に向いて俺達が慌てて視線を移すと、いつの間に室内にいたのか、この会議室のモニターらへんに一人のメガネをかけた気難しそうな男性が佇んでいた。
年のころは、40代の半ばだろうか。
慎重派190㎝ほどもあり、がっしりとした身体つきが印象的だった。
そして、そんな外見に見合った有無を言わさぬ険しい顔つきのまま、俺達が何かを言うよりも早く、自身の名を告げる。
「私は、政府直属である脅威対策特務機関:『糺』の総司令である天祐堂 雅之である。……早速だが、これからお前達に未曽有の災禍の正体と、“トリニティ因子”の能力に目覚めたお前達が果たすべき役割についての説明を行う」
有無を言わさぬ天祐堂という男の物言い。
この場にいる者の大半は、総司令という事もあって彼の話を黙って聞くつもりのようだ。
だが、俺はその前にさっきのこの男の発言を聞いて浮かんだ疑問を慌てて訊ねる。
「待ってください!貴方は“トリニティ因子”の適合者はここにいるので全員だと言っていたが、それは一体どういう事なんですか!?他の、俺達みたいな奴等はどうなったって言うんです!?」
そんな俺の質問に対して、若干眉をピクリと動かしてから、すぐにまた厳格な顔つきに戻って天祐堂が答える。
「それも含めて、今から説明すると言っている。……まずは、これを見ろ」
そう言って、天祐堂が手に持ったリモコンで、会議室のモニターを操作する。
……そこには、信じられない光景が映っていた。
「ま、まさか、こんにゃくはそのまま食べるだけじゃなくて、ルアーとして魚釣りにも使用出来るだなんて!?……クソッ!これじゃ、あまりにも環境に優しすぎるッ!!!!」
「ギャヒィィ~~~♡研修という名目で、ブラック企業様に洗脳されてやりがい搾取されまくるの、とってもとっても気持ちイイです~~~!!ヨロコンデ!」
「アル、クラ……アルク、ラ……!!」
「あ、あぁ……ッ!?」
俺と同様に、似たような声が室内の至るところから上がり始める。
それというのも無理はない。
画面に映し出されたのは、俺達のように手の甲に“トリニティ因子”の紋章を発動させたと思われる同年代の少年少女が、現在この世界に顕現した脅威に蹂躪されている、という絶望的な状況だったからだ。
あまりの光景を前に、言葉もなくただ茫然とスクリーンを見つめ続ける俺達に構うことなく、天祐堂総司令が言葉を続ける。
「見ての通り、他の“トリニティ因子”適合者は全てここに来るまでに、現在この地上を襲う脅威のどれかの支配下に置かれた事が確認されている。……ゆえに、現状はこの場に辿り着いたお前達五名の適合者のみで、本日中にこの状況を打破しなければならない」
……聞けば聞くほどに、絶望的な状況としか思えない。
重苦しい沈黙が俺達を覆い、顔面蒼白になる者もいる中、天祐堂総司令が次の映像へと画面を切り替える。
悲惨な犠牲者の映像から一転、そこに映し出されたのは、巨大な黒きモノリスらしきものだった。
「これが現在この世界を襲う脅威の一つにして、現代人の悪しき感情を沁み込ませることによって、復活を果たしたとされる異世界の大魔王:“イビル・コンニャク”だ」
大魔王:イビル・コンニャク。
その表面上はプルプルとした確かな質感とともに揺れており、光沢のある黒色のボディからはところどころで星のように輝きが明滅していた。
それはさながら、銀河の一部を切り取ってこの地球の空に張り付けたような、いつまでも眺めていたくなるような神秘的な光景。
人間が言語化出来る畏怖の感情を超越し、宇宙の広大さすらをも感じさせるこの存在こそが、現在、地上に覇滅を齎さんとする脅威にして、俺達が倒さなくてはならない大魔王:“イビル・コンニャク”……。
こんな脅威に、人類はどう立ち向かえば良いんだ……?
「“イビル・コンニャク”はその名の通り強大過ぎる魔力を誇っており、完全覚醒を果たした場合の奴の健康・美容効果は概念レベルの領域にまで到達すると言われている。……今はまだこの世界に馴染んでいないが、適応して完全覚醒を果たした時、“三位一体”による合一をするまでもなく、イビル・コンニャク単体の能力によって、この世界は奴にとって“不浄”と見做された存在が全て一層された穢れなき世界へと変貌を遂げることになる。……その場合、これまでこの地球の生態系を破壊し、自然環境を劇的に変化させてきた我々“人類”という存在が、果たして有害な存在として認識されずに済むのか?大いに疑問ではあるな」
先ほど奴の手下達によってリンチされたのが、まだ可愛く思えるような“イビル・コンニャク”という魔王の凄まじさ。
気が付くと俺は、自身が危険な目に遭った時以上に、冷や汗をかきながら固唾をガブ飲みしていた。
「そして、次に説明するのは人類の愚かしさによって誕生したコントロール不能のブラック企業:“デスマリンチ”についてだ」
そう天祐堂総司令が告げると同時に、新しく画面に映し出されたのは、どこかの企業と思われる建物の内部から機械製のアームが出現し、逃げまどう通行人を捕らえながら、自身の内部へと放り込んでいく、というホラーともシュールともつかない映像であった。
「デスマリンチは、ブラック企業の経営者や役員が操作している……という訳ではない。このデスマリンチという企業そのものが高度な自我を持ち、人間を奴隷にする事を至上命題とする脅威存在なのだ……!!」
天祐堂総司令によると、デスマリンチはもとはあくまで現代の日本にちらほらいるブラック企業の一つに過ぎなかったらしい。
ところが、かつての社員の内部告発によって、劣悪な労働環境が問題視されて社会問題となり、行政から業務改善命令が下されることとなった。
この出来事を受けたデスマリンチの経営陣は、労働環境を改善する方向ではなく、『次からは、このような裏切り者が出てこないように、徹底的に反抗心を打ち砕く』という方向で、これまで以上の恫喝同然のパワハラ行為や社内密告制度を実施。
それすらもまだ不十分だと感じた経営陣は、社員達を徹底的に管理するために高度なAIを“デスマリンチ”という企業そのものに導入し、自分達にとって都合良く会社を動かしていくために自分達の思考パターンを覚えさせた結果、AIは自身でアップデートを繰り返し、経営陣同様に他者を考慮することない思考回路へと定型進化していくこととなる。
そうして、AIはついには『人間を全て奴隷にすれば、“デスマリンチ”という自身の存在はより一層発展する事が出来る』という結論に行き着き、当然の如く暴走を開始。
真っ先に行ったのは、デスマリンチ内で働いている社員達だけでなく、自身の主人であるはずの経営陣すらも即座に奴隷として強制的に洗脳プログラムを施すことだった――。
『自分達にとって、都合の悪い事を全く想定しない』というブラック経営陣特有の愚かさによって、生み出された現代社会の産物、それが“デスマリンチ”。
今はまだ未成年である俺達にとっても、見過ごす事が出来ないとてつもない脅威を前に、俺は明日から労働基準法を学んでいくことを決意した……。
これで最後は、人間社会にとって最も甚大な影響を与えているとされる認識汚染現象:“アルクラ”についての情報になるはずだが――ここで、天祐堂総司令は信じられない事を口にする。
「そして、最後の脅威である“アルクラ”についてだが――今のところ、お前達はこの存在を警戒する必要はない」