重なる瞬間
――『みんなを幸せにする』。
俺の前でそう口にするゆかりさん。
だが、そんな言葉とは裏腹に、現在俺の腕の中ではゆかりさんによるものと思われるなにがしかの行為によってトリニティ因子を抜き取られた状態で菊池が意識を失っているうえに、"糺”の本部で厳重に保管されているはずの『赤き教典』という魔導書が宙に浮かびながら展開している……。
異様な光景と何が起きているのか分からない事態を前に硬直している俺を前にしながら、楽しそうにゆかりさんが話を続ける。
「それを説明する前にね?正剛君、実は私はこの『赤き教典』を"糺”という組織の中で唯一解読出来るだけではなく、この書物に選ばれた人間としてその文面に記された魔術をある程度行使する事が出来るようになっていたんです」
そう述べながら、さらに濃くした笑みを俺の方に向けるゆかりさん。
「ですから、例え"糺”がどれほど厳重に保管していたところで、私が『赤き教典』の魔術を行使すれば、警備と言わず拠点ごと壊滅する事が出来ますし、魔導書による空間転移を用いれば、この最上段にまで来る事も可能なんですよ?」
なんでもないことのように口にしているが、彼女の発言を聞いた俺は、先程の"糺”本部から通信越しで聞こえてきた悲痛な惨状が、紛れもなく眼前の人物によってもたらされたのだという事を理解し、さらに戦慄する。
それでもなお――俺はゆかりさんへと問いかける。
「……だ、だったら、そんなに便利な能力が使えるなら、岳人や森崎を犠牲になんかしなくても、俺達"内裏雛”の覚醒者をさっさと最上段まで送れば良かったんじゃないのか!?なんで、こんな回りくどい事を俺達にさせる!?……いや、結局アンタは、一体何が目的なんだ!?」
そんな俺の叫びに対しても、特に動じることなく――それどころか、こちらを憐れむかのように申し訳なさげな表情を浮かべながら淀みなく答えを返す。
「ごめんなさいね、正剛君。けれど、それに関しては、私も仕方なかったの。……この巨大ひな壇には、貴方達のような"トリニティ因子”の持ち主以外には、とてつもない負荷がかかる"結界”とでも言うべき力場が作用していたの。貴方達がこの最上段に昇るまでに出会った機械兵や魔物達のようにね。……それは、私が行使する空間転移の魔術も例外じゃない。私の行使する能力では、屋上に跳躍出来るのは一人分が精いっぱいだったの」
無論、とゆかりさんは話を続ける。
「時間を置けば魔力も回復するし、そうすれば今回のように強行することなく正剛君とカスミさん達"内裏雛”の能力者をまだ異形達が到達していない屋上へと安全に転移させる事が出来たかもしれない。……けれど、それをしちゃうとね?"糺”という組織に『玖磨臥崎 ゆかりは、"赤き教典"の解読だけではなくそこに記された魔術の行使まで可能である』っていう事がバレて、危険視されるかもしれない。そうなったら、無力化されて拘束か、最悪の場合魔術を使う暇もなく命を奪われてもおかしくない。……だから私があの拠点で"赤き教典"を使用するのは、私の目的が達成できると確信できた瞬間、"糺”という組織が壊滅しても、他の組織や勢力が介入する暇がないくらいの最高の好機のみ、と決めていたのよ……♡」
……そうか、そういう事だったのか。
俺は当初、空間転移の魔術や"糺”という特務機関を壊滅させるだけの力が使えるなら、最初から"糺”を完膚なきまでに潰したうえで、俺や菊池を(強制的であろうと)多少時間がかかっても良いから空間転移で屋上に飛ばせば済んだのでは?と考えていた。
この方法ならば、例え岳人や森崎、鰹陀が反発したところで、俺達"トリニティ因子”の能力は
『巨大ひな壇の、各自の適切な段でしか発揮されない』
という性質である以上、制圧するのは容易であり、さほどリスクがかからない状態で彼女の"目的”とやらを遂行できるはずだからだ。
だが、現在ゆかりさんが言ったように、"糺”は絶対的な権限を持っているとは言い難く、森崎が総司令の部屋から盗み出した資料にも書かれていた通り
「――例え、三大脅威を撃破出来る可能性があったとしても、足止め以上の事は何もするな」
と圧力をかけてくる外部の勢力も存在している。
それは、“イビル・コンニャク”の美容効果で自分達が少しでも長く綺麗であり続けることを願っている芸能人や上流階級のセレブ達、“デスマリンチ”から多額の献金がもらえる経団連や天下りした官僚連中……そして、『アルクラが引き起こす認識汚染現象を上手く利用すれば、自分達の利益に出来るんじゃないか?』と考えている軍需産業や宗教組織などが候補として記されていたが……。
もしもそんな彼等にしろ、それに反発している別の勢力にしろ、外部の存在に"糺”の壊滅が早々に知れ渡ってしまえば、魔力を回復している間にどのような横槍が入るのか分かったものじゃないだろう。
――いつでも拠点を壊滅出来るのならば、自分にとって最高の瞬間を狙えば良い。
ゆえにゆかりさんは、無駄な対応に手間取ることなく効率よく自身の望む状況へと進めるために、俺達"トリニティ能力者”に自力で最上段まで向かわせ、他の勢力が気づいたところで介入する事が出来ないタイミングで"糺”を徹底的に潰すための力を発揮したのだ。
そんな彼女の考えを読み取った俺を寿ぐかのように、ゆかりさんは満足そうに頷きながら、自身の右手を高らかに天に向かって翳す。
そこには、菊池から奪い取ったと思われる"内裏雛”の模様が刻まれていた。
それをうっとり眺めながら、ゆかりさんが熱に浮かされたように告げる。
「真にこの巨大ひな壇に秘められた力をモノにするには、この最上段に到達するだけではなく、ここに相応しい"内裏雛”のトリニティ因子を有している事が最も重要な事だったの。……だから私は、事前にカスミさんに『私の任意のタイミングで、彼女のトリニティ因子が私に"譲渡”されるようになる』という術式を施しておいたのよ……♡」
その発言を聞いた瞬間、俺はキッとゆかりさんを睨みつけながら、彼女に強く怒鳴る。
「譲渡、だと……!?"強奪”の間違いじゃないのか!!――こんなにも衰弱しているんだ。早く菊池を、もとに戻せッ!!」
そんな俺の叫びを受けたにも関わらず、ゆかりさんはきょとんとした表情を浮かべながら、俺の方を向いて答える。
「確かに、ある程度強引に私の方に引き抜かれる形になるので、彼女には若干負荷がかかるかもしれませんが……この術式で私のもとに回収されるのは、"内裏雛”のトリニティ因子のみで菊池さんの命までは含まれていないので、多分大丈夫ですよ」
そう告げてから、俺の腕の中に抱きかかえられた菊池のほうへと慈しみを込めた眼差しを、ゆかりさんは向ける。
「もしも命を落としてしまったとしたら、それはとても可哀そうな事だと思います。でもそれ以上は私達ではどうする事も出来ないんです。……だから、私達に出来る事があるとしたら、カスミさんが無事に目を覚ましたら、『大丈夫だよ~』って励ましてあげる事だけだと思うんです」
そしてゆかりさんは、俺をも安堵させるかのようにニッコリと笑みを浮かべて口を開く。
「――フフフッ。そんなに心配そうにしなくても大丈夫ですよ、正剛君?……例えカスミさんにどのような後遺症が残ったり、心がボロボロになってしまったとしても、美味しいモノを食べたり旅行とかしながらぐっすり寝て、楽しいことでさっさと忘れれば、きっと幸福になれるに違いありませんからね」
『あら、ごめんなさいね!ちょっとばかり辛気臭い雰囲気にしてしまって。……でも、大丈夫ですよ正剛君。例えどんなに辛いことや嫌な事があっても、美味しいモノを食べたり旅行とかしながらぐっすり寝て、楽しいことでさっさと忘れれば、きっと幸福になれるはずですよ?』
それは"糺”の本拠地で、聞かされた言葉だった。
妹の春恵の容態を聞かされてすぐに絶望していた俺に対して、自身の辛い過去を打ち明けてから、そう言って励ましてくれたはずのゆかりさん。
こうして対峙しているからこそ分かる。
ゆかりさんには、悪意や嘘といったものは全くなく、ただ純粋にあの時と同じように絶望している俺を励ますために、似たような事を言葉にしているだけなんだ。
だからこそ――怒りや悲しみですらなく、今の俺にとってはただひたすらに眼前の彼女が恐ろしくてたまらなかった。
そんな俺に構うことなく、これまで同様の笑みを全く崩さないままにゆかりさんがゆっくりと右手を差し出しながら告げる。
「それでは、正剛君?私達はカスミさんの事を心の中で応援しながら、今の自分達が出来る精いっぱいの事をしていきましょうね……♡」




