迫りくる狂気
これまでロクに俺達に対して反応を示してこなかった"糺”本部からの、俺達トリニティ適合者への突然の連絡。
悪い予感が加速度的に跳ね上がっていく中、オペレーターの女性が緊迫した声音で話を続ける。
「現在そちらに、これまで動きを見せてこなかった……の……がそこに……来てるの!!だから、今すぐそこら移動して、最上段を目指しなさい!!」
相手の話によると、どうやらここに何かが向かってきているらしいのだが、肝心の部分が他の“糺”職員達の声まで入り込んできて聞き取る事が出来ない。
こっちは仲間を失いながらも何とか巨大ひな壇の進行を進めているのに、ロクに連絡も援護もよこさないくせに一方的に命令してくる本部の態度に気が立っていた俺は、半ば怒鳴りつける形でオペレーターへと問い返す。
「肝心のところが聞こえないんだよ!!一体、ここに何が近づいてるんだ!?」
俺がそういうのとほぼ同時に、袖をちょんちょんと引っ張られる。
振り返ると菊池が、怯えた表情で地平の向こう側を見つめている。
彼女と同じ方向に視線を向けた先、俺は――いや、俺達は信じられないものを目にしていた。
まだ距離が離れているにも関わらず、この巨大ひな壇にまで響き渡ってくるかのような轟音。
それは、地平を埋め尽くすかのようなどこまでも途切れることのない人、人、人、の群れだった。
遠目に見ても分かる尋常ならざる狂気を宿した集団が、まるで一個の巨大な生命体のように怒涛の勢いでこの巨大ひな壇のもとへと迫っていた。
その光景を前にして呆然としている俺達に、再度――今度こそはっきりとオペレーターの声が聞こえてくる。
「現在そちらに、“アルクラ”の影響を受けた暴徒達が押し寄せているの!このままの勢いでいけば、あと10分もしないうちに現在貴方達のいる地点にまで奴等が到達するわ!!――そうなる前に、早く最上段に向かって、目的を遂行しなさい!!」
「なっ……たったの10分だって!?」
「そんな……まだ、結構距離があるのに……!!」
困惑する俺達だったが、自分達の肉体を限界以上に酷使してまでこちらに近づいてくる暴徒達の姿を見ていると、それが決して大袈裟などではない目を背ける事の出来ない現実であることをこの場にいる全員が感じ取っていた。
突然の事態を前に、思わず言葉を失う俺達にも構うことなく、オペレーターが話を続ける。
「まだ“アルクラ”本体と思われる存在そのものは、巨大ひな壇の何らかの影響が働いているのか、まだその場には発生してないけれど、その眷族と化した者達がここまで統率された一個の群れのように大挙するなんて、これまで全くなかった異常事態よ!!だから、早く貴方達もその場を離れて」
オペレーターの女性がそう話している間にも、さっきから聞こえてきた他の職員達の怒声や混乱交じりのやり取りが通信の合間に聞こえてくる。
『クソッ!――あれから時間が結構経っているのに、まだ見つからないのか!?』
『そのうえ、ここに来て“アルクラ”の暴徒どもがひな壇に殺到するなんて……最悪なタイミングだ!!』
通信機の向こう側では、そんな声が聞こえてきたが……現在ここに押し寄せている暴徒達以外にも、“糺”の本部で何かあったのだろうか……?
「……ッ!?」
そんな職員達のやり取りを遮断するかのように、突如それまで捲し立てるようにこちらに指示を出していたオペレーターが突如黙ったかと思うと、そのまま一方的にこちらとの通信を遮断した。
ただならぬ様子を前に俺は慌てて再度呼びかける。
「オイ!聞いてんのか!?……ただでさえヤバい状況だってのに、一体何が起こってるってんだよ……!!」
どれだけ通信機のボタンを押しても、向こうと繋がることはなかった。
そんな俺に対して、これまで静観していた鰹陀がポツリと呟く。
「この先の階にはさらに強い魔王:”イビルコンニャク”の魔物やブラック企業:“デスマリンチ”の機械兵がいるにも関わらず、さらに、これまで姿を見せてこなかった第三の勢力、認識汚染現象:“アルクラ”による凶徒の群勢の介入、か……まさに、絶体絶命の危機というほかないだろうね」
言葉とは裏腹に、ちっとも緊迫した空気を感じさせない飄々とした態度の鰹陀を前に、他の俺達三人はそれぞれに怪訝な視線を向ける。
だがそんな俺達など気にした様子もなく、鰹陀は涼しい顔のまま柔い笑みを浮かべて語り掛けてくる。
「……なのに、これほどの危機が起きているにも関わらず、オペレーターはそれ以上に僕達に聞かせたくない事があるかのように突如連絡を遮断した……いや、この場合は僕達にというよりかはむしろ――」
そこまで言って俺を見つめてきた鰹陀だったが、すぐに眼下の方へと視線を向ける。
ひな壇の最下段ではオペレーターの女性が言っていた通り、早くも"アルクラ”の凶徒達が到達していた。
『アル、クラ……アル、クラ……!!』
奴等は自分達が崇める存在の名を口々に唱えながら、ロクに武器も持たず素手のまま最下段の魔物や機械兵へと襲撃していく。
普通なら生身で挑んで敵うはずのない相手である事は明白だが、狂気によってリミッターが解除されているらしいアルクラの凶徒達は、自身の肉体が傷つくことも敵の攻撃にもなんら恐れることなく、凄まじい身体能力から繰り出す暴威のみで最下段に巣くう異形達を蹂躙していく――!!
このペースなら、本当にアイツ等がこの場所にまでくるのも時間の問題だろう。
奴等が追いつく前に一刻も早く最上段へと到着しなければならないが、最上段までにはあと二段も昇らなければならず、そこにもこれまで以上に強い個体の敵がいる事を考えると、状況は絶望的というほかない……。
完全な“詰み”という言葉が脳裏にこびりつく最中、鰹陀がこれまで通り――けれど、この局面において信じられない言葉を口にする。
「――それじゃあ時間もないことだし、下から来る彼らはここで僕が相手をするよ」
最初奴が何を言っているのか分からなかった。
だって、そうだろう?
確かにコイツが圧倒的に強いのは分かるが――現在この場に押し寄せているのは、この地上で“アルクラ”の影響下に置かれた人間が全員集結していると言われてもおかしくないほどの膨大な数である。
魔物や機械兵のような特殊な能力や武器は持っていないかもしれないが、数だけならここにいる両陣営を合わせても上回るほどの戦力であり、いくら鰹陀であっても『絶対に大丈夫』とは言えない勢力であるはずだ。
それほどの群勢を相手に、鰹陀一人で足止めをするなんて……いくらなんでも、無謀に決まっている!!
そんな事を考えていた俺と同様に、菊池が悲壮な表情で鰹陀に呼びかける。
「そんな……いくら何でもそんなの無理だよ、鰹陀君!!一人で危険な事をするよりも、私達と一緒に先へ進んで最上階を目指そう?ね?」
「そ、そうだよカッツー!アタシ等仲間なんだから、一蓮托生持つべきものはどっこいしょ!の精神でチームプレイかましてけば良いだけじゃん!!」
無謀な提案をする鰹陀を必死に説得しようとする菊池と森崎。
そんな二人に続くように、俺も鰹陀へと告げる。
「鰹陀……俺は正直、同じトリニティ適合者として仲間として行動しながらも、お前の事を全く知らない。――だけど、鰹陀が例えどんだけ強くても、ここでお前一人だけを残して俺達だけ先に行くっていうのは絶対に間違っているはずなんだ!!」
それは、最下段で岳人一人にしんがりを任せてしまった俺の胸に残る確かな後悔。
この気持ちが嘘でない以上、俺達はあんな光景を繰り返したりなんかしちゃいけないはずなんだ。
――そう決意した俺は、鰹陀へと右手を差し出しながら叫ぶ!!
「――俺達と来い、鰹陀!!俺達は『絶対にこの作戦を成功させる』と誓った仲間なんだ!!これ以上誰一人も欠けたりなんかしちゃいけないんだ!……だから、俺達と一緒に来い!!鰹陀ッ!!」
言葉とともに、そんな想いを込めた視線で俺は鰹陀の顔を真正面から捉える。
それに対して鰹陀は、一瞬だけ寂しそうな微笑を浮かべると、フルフルと首を横に振りながら答える。
「『絶対にこの作戦を成功させる』、か……それならなおさら、この場で僕一人だけが残るべきだよ、野村君。……この“五人囃子”の本来の持ち場である三段目なら、僕は全力で迫りくる彼らを迎撃する事が出来る。逆に言えば、ここから上の段に昇ってしまえば、僕の能力が今より落ちる事は避けられないだろうし、そうなれば結果的にこの場にいる皆が生き残る確率が大幅に減ることになるんだよ」
「鰹陀……!!」
確かに、鰹陀は俺達と別の段に行くよりも、この場にとどまった方が全力を発揮出来るし、その方がこのままいっせいに先へ非難するよりも、全員が生き残る可能性がある……というのは、理屈のうえでは理解出来る。
それでもなお、引き留めようと頭の中で言葉を探す俺に対して、鰹陀が言葉を続ける。
「――それに、僕だって尾田山君がしんがりを申し出てくれたときに、能力を行使しようと思えば出来たのに、最下段で負傷するリスクを避けるために、彼の提案を否定せずにそのまま野村君達とともに先へ進む事を選んだんだ。……その事に後悔はないけれど、『作戦を成功させるため』にそれを最善として尾田山君に任せた以上、今度は僕がそれを実行してみせるのが“筋”ってヤツじゃないかな?」
決して感情的ではない、だが、冷静さの中にも見える確かな鰹陀の意思を、俺はその言葉から感じ取る。
鰹陀の事はまだ知らない事が色々ありそうだが……この『作戦を成功させる』という決意と、俺達の事を逃がすために、自分の力で迫りくる群勢を迎えようとしているその覚悟は、紛れもない本物だと俺は感じていた。
「ほら、こうして話している間にも彼らはもう四段目まで上がってきている。――だから、君達も早く先へと向かうんだ!」
鰹陀が俺達に向かって声を上げる。
どんな選択をするにせよ、流石にこれ以上時間の余裕はなさそうだ。
「野村君……」
「タケマサ……」
心配そうに見つめてくる二人に対して、俺も覚悟を決める。
「――分かった!この場は、鰹陀に任せる!!……だけど、そこまで言った以上は、絶対に死んだりなんかするんじゃないぞ!鰹陀ッ!!」
それに対して、鰹陀が心から安堵したかのような笑みとともに答える。
「――あぁ、もちろんさ。僕だってこんなところで終わったりなんか出来ないからね。――なに、すぐに追いついて見せるから、期待して待っていてよ」
普通なら困難な状況下でも皆を励ますための軽口にしか思えないが、これまで圧倒的な強さを見せつけてきた鰹陀なら『もしかして、コイツなら本当に出来るかも……』という気分にさせられる。
冗談なのか本気で受け取るべきか判別に困る苦笑を浮かべながら、俺達は鰹陀に任せて二段目へと向かっていく――!!
「ありがとう、鰹陀君――!!」
「……ウチが言えた義理でもないかもしんないけどさ、カッツ―もあんま無理すんなー!!」
「――鰹陀、最上段で待ってるぞー!!」
鰹陀は俺達には答えず、前方を見据えたままの状態で左手をひらひらと俺達に向けて振る。
俺達が段を昇りつめる最中、ふと一瞬だけ振り返ると、小鼓を構えた鰹陀の前に飛び掛かるいくつもの人影が視界に映った。
それでも、この先に一歩を通すまいとポン!という小気味良い音とともに、凄まじい衝撃が空気の振動を通じてこちらにまで伝わってくる。
その音に頼もしさと申し訳なさを感じつつ、俺は内心で鰹陀に礼を言いながら、菊池達とともにとうとう二段目へと昇りつめることに成功した――。




