想定外の危機
聴覚だけでなく、見る者の魂まで引き裂くかのような真に迫る玉こんにゃく達の悲痛な叫び。
その光景を見ながら、鰹陀が「してやられた」と言わんばかりに、険しい顔つきのまま呟く。
「まさか、『熱したフライパンに玉こんにゃくを投入すると、悲鳴のような音が出る現象』を、高熱状態の機械兵のボディで実行してくるとはね……これは完全に、僕の想定外だった――!!」
その発言を聞いて、ハッと俺達は気づかされる。
厳密に言えば、玉こんにゃくを熱したフライパンに入れたときに悲鳴のような音が聞こえるのは、本当に悲鳴を上げているわけではなく、こんにゃくを急激に熱することによって、内部の水分が蒸発するときに発生する音であるらしい。
この魔物達もそれと同様に、高温度の熱を放出していた機械兵のボディを利用して、それと似た現象を引き起こしていたのだ。
玉こんにゃく型の魔物達による、自身の命と水分を犠牲にした決死の捨て身作戦。
それにより、鰹陀の放つ音壁は玉こんにゃくから繰り出される悲鳴によって、完全に相殺されてしまっていた。
「くっ、しまった……!!」
鰹陀がそのように声を上げながらも、再度小鼓を構えなおす。
だが次の瞬間、その僅かな隙をつくかのように、物陰から姿を現した中距離用機械兵が、鰹陀に向けて正確無比のコントロールでタイムカードを射出する――!!
「ッ!?――鰹陀ァッ!!」
その光景を目にした瞬間、無我夢中で俺は叫ぶ。
無論、鰹陀とてその事に気づいていたが、自身を守る音壁が高熱をもいとわない玉こんにゃく達の決死の悲鳴によって打ち消された以上、投擲された武器を前に為すすべもない。
レコーダーに通す前から、既に定時の時刻が記されたタイムカードが、残業代ごとその命を刈り取ろうと鰹陀のもとへと迫りくる。
駄目だ!もう、間に合わない……!!
その場にいる誰しもが、そのように悲壮な光景を覚悟していた……そのときだった。
「――ッ!!」
刹那、回避不能と思われた機械兵のタイムカードが、鰹陀の身体を斬り裂いていく――!!
……はずだったが、鰹陀の身体に直撃してすぐに、勢いが削がれたかのようにヘナヘナと地面に落ちていった。
「鰹陀ッ!!」
慌てて呼びかけると、鰹陀は薄く余裕の笑みを返す。
見れば、鰹陀が着ていた衣服の胸の部分はざっくりと裂かれてはいるものの、敵の投擲が外れていたのか、鰹陀の肌には服の下から覗く鰹陀の肌には傷一つついておらず、一滴の血も流れていなかった。
……いや、俺の思い違いじゃなければ、敵のタイムカードが直撃する瞬間に、鰹陀の身体に弾かれたように見えたが……。
アレも、鰹陀のトリニティ能力なんだろうか?
俺がそんな事を考えている間に、持ち直した鰹陀が再度肩に担いだ小鼓をポン!と軽快に叩く。
自身の攻撃が不発で終わった事に対して誤作動を起こしている中距離用機械兵と、熱と水分を失って完全に為す術がなくなった玉こんにゃくの残党達は、今度こそ鰹陀の音撃によって一体残らず瞬殺されていく――。
先ほどと同様に、鰹陀一人によって異形の者達が殲滅され尽くした三段目の光景。
そんな周囲の凄まじい光景を見渡しながら、俺は内心で思考する。
俺達人間からすれば、どちらもこの世界を脅かす脅威でしかないが、イビルコンニャクの眷属である魔物達やデスマリンチの手下である機械兵達にとって互いの存在は、この巨大ひな壇の頂上に至るのを邪魔してくる明確な“敵”であり、現に俺達がここに来るまで奴等は互いに潰し合いをしていた。
岳人がしんがりを務めたときも、イビル・コンニャクの眷属やデスマリンチの配下は確かにそれまでの両陣営の潰し合いを休止して攻めてくる事はあっても、それは数に任せただけの人海戦術であり、到底協力関係とは言えない代物だったはずだ。
そのはずなのに……この段で見せたコイツ等の動きは、
・高熱を発した機械兵が自身を犠牲にしてでも、鰹陀の注意を惹きつけるかのように決死の攻撃
・倒された機械兵の熱が冷めきる前に、瞬時に玉こんにゃく達が自身の水分を失う事を前提にした音壁無効化の悲鳴
・さらにその隙をついた中距離用機械兵による鋭利なタイムカードの投擲
……という、互いに対立しあっている陣営とは到底思えないような、知能・技術・覚悟が全て備わった高度な連携を繰り出していた。
これが、上段に昇りつめるほどの個体の能力なのだろうか。
それとも――コイツ等が、そこまでしなければ勝てないと追い込まれるほど、“鰹陀 慎太郎”という存在が強すぎるのか……。
とはいえ、そんな決死の攻防すら誰一人欠けるどころか、ほぼ無傷で生き延びる事が出来た俺達トリニティ覚醒者達。
岳人がいなくなってしまったが――このままいけば、この先の二段目も最も能力を発揮できる森崎と圧倒的な鰹陀の強さで、何とかやっていけるんじゃないか?
そんな事を考えていた俺だったが、ふと鰹陀の姿が視界に入った。
鰹陀は床に落ちたタイムカードを拾いながら、自身の掌中で興味深そうに眺めている。
その様子が気になった俺は、鰹陀へと話しかける。
「どうしたんだ、鰹陀?……そのタイムカードに、まだ何か仕掛けか何かがありそうなのか?」
警戒しながら訊ねる俺に対して、「あぁ、そうじゃないんだ」と鰹陀は軽く答える。
「いや、ただ単に僕は今までタイムカードというものを、実際に見た事がなくてね。……そのせいもあってか、初めての実物を前にした驚きで少し動きが鈍くなってしまっていたのかもしれない、とそんな事を思ったのさ」
「タイムカードを見たことがない?……って、まぁ、そこまで珍しくもないか。鰹陀が通っている学校じゃバイトが禁止だったのか?もしくは、俺のところみたいに実家の家業を手伝っていたとか?」
それに対して鰹陀は、ここに来て初めて強張った表情を浮かべたが、それも一瞬のことであり、すぐさまこれまでと同じような軽い苦笑を浮かべる。
「あぁ……まぁ、そんなところ、かな」
……なんだろう、この反応は。
これまでの鰹陀の振る舞いや世間――特に大人達に対する発言などから、なんとなくだが、親からお小遣いをもらっているだけの悠々自適なお金持ちのおぼっちゃん、という感じではない気がする。
鰹陀は戦闘能力が強いだけじゃなく、洞察力や立ち回りも上手い奴だが、それは教育の成果というよりも、コイツがこれまで生きてきた中で実地で身に着けてきた技術なんじゃないだろうか。
……考えてみれば、俺は本人から話を聞いた岳人や菊池、森崎といった他のメンバーと違って、鰹陀の事を何にも知らない……。
それに、あの直撃したはずのタイムカードを防いだのも、一体どんな能力を使ったのかが気になる。
そういった事を知るために、踏み込む覚悟で鰹陀に訊ねようとした――まさに、そのときだった。
「ね、ねぇ、みんな……これ、なんか送られてきてるみたいなんだけど……」
菊池がそのように俺達へと呼びかける。
菊池が手にしていたのは、この作戦の前に『雛祭り用の術式が込められた魔導具』同様に、俺達全員に支給されていた小型通信機だった。
岳人が犠牲になったときですら、何の反応も示さなかった通信機が、現在けたたましく音を鳴らしている……。
そんな光景に苛立ちが湧いてきたものの、それ以上になにやら只事ならぬ事態を感じ取る。
気がつくと俺は、自身の分を取り出すよりも先に、菊池の手を掴みながら彼女が持つ通信機へと応答ボタンを押していた。
「きゃっ……!?」
か細く短いながらも、可愛らしい菊池の悲鳴に思わずドキリとする俺。
――だが、そんな思考が瞬時に吹き飛ぶかのような知らせが、通信機の向こうから俺達へと告げられる。
「――トリニティ適合者、聞こえていますか!?こちら、特務機関:“糺”オペレーションです!……時間がないので簡潔に伝えますが、休憩している時間なんてありません!――今すぐそこを動いて、上を目指してくださいッ!!」




