両腕を失った少女
俺の表情に面食らって菊池が、怯えた表情をしながらもなんとか答える。
「どうしたの、野村君!春恵ちゃんならさっきも言った通り大丈夫だよ!!……まずは、落ち着こう?ね?」
……確かに言われてみれば、そうだった。
まだ一度もロクに春恵と話が出来ていないからと、俺もかなり感情的になってしまっていたらしい。
菊池にまずその事を謝った俺は、彼女から妹の様子を大人しく聞く事にした。
「知っている通り春恵ちゃんの中には、現在魔王:イビル・コンニャクの因子が根付いてる。だけど、春恵ちゃんとその因子の相性が良いから、今のところは拒否反応も全くないどころか、イビル・コンニャクの影響が良いように作用しているから、今までで一番絶好調かもしれないってくらいの体調なんだって。……野村君から走って逃げた事も嬉しそうに言っていたし、それは野村君も目にしたよね?」
確かに言われてみれば、少し立ち止まったとはいえ、一年間ずっと引きこもりをしていた春恵が、俺に捕まることなく逃げ切るというのは、(絶対にありえないとは言えないが)おかしな話かもしれない。
あの身体能力の向上も、魔王の因子による効果なのか……。
とはいえ、本来存在しないはずの異物が人体の内部に巣くっているいる以上、これからこの状況が進行していけば、春恵の身にどのような変化が起こるか分からない。
それを防ぐためにも、親父や春恵からイビル・コンニャクの影響を除去するためにも、俺は絶対にこの作戦を成功させなければならない、と再び決意を固める。
菊池はそんな俺の様子に少し安堵しながら、春恵の様子を語り続けていく。
「それでね、春恵ちゃんってば、『元気が有り余り過ぎているから、今なら凄く作品を執筆して投稿出来るかもしれない!』って、凄く意気込んでたの。……まぁ、この施設内で私達はネットを使用出来ないから、その事を凄く残念がっていたけど……野村君?」
菊池が怪訝そうな表情で俺へと訊ねる。
対する俺は、一体どんな顔をしていたのだろうか。
とりあえず、なんでもないと笑みを意識しながら、菊池に訊ね返す。
「いや、俺も親父も春恵が自室で引きこもって何をしているのか、今までちゃんと知らなくてさ……俺はてっきり、ゲームやネットの動画をずっと見ながら生活しているのかと思っていた」
「あぁ、うん。春恵ちゃんも自室内に引きこもり始めたときは、何も考えられなくてそういう事をしていた時期もあったみたいだけど、最近は『小説家になろう』っていう……えっと、結構有名なんだけど、名前だけでも聞いたことないかな?プロの作家さんじゃなくても、誰でも気軽に自分で書いた作品を投稿出来るっていうサイト。春恵ちゃんはそこでエッセイとか自分で考えたファンタジー作品を連載しているみたいなの」
「エッセイ……?」
その言葉を聞いて俺は今度こそ、顔面蒼白になっていたに違いない。
俺の知識に間違いがなければ、エッセイってのは自分の感じた事や過去の体験談などを書いたりするものに違いないからだ。
そんな俺の異変に気付かれないように、不自然ながらに右手で顔を覆いながら、何とか平静を装って菊池へと問いかける。
「菊池は……その、春恵の作品ってのを読んだのか?」
菊池がどんな表情をしているかは、こちらからは見えない。
だが、彼女は少し困惑しながらも、こちらへと返答してくれた。
「うん、読んだよ。――と言っても、春恵ちゃんはこれまでに結構な作品の数を書いているみたいだけど、今連載しているファンタジー作品のさわりの部分だけは、見せてもらえたんだ」
「春恵が作った物語……それって、どんな話なんだ?」
フゥ、と一息ついてから、右手を離して再び菊池と向き合う余裕を取り戻せた俺。
そんな俺に対して、菊池が目に見えて動揺した表情を浮かべながらも、何とか春恵の作品の解説をしていく。
「強大かつ卑劣なる悪魔によって、両腕を失くした状態のまま、実家を離れて旅をすることになった少女のお話なんだけど……もともとは、どこかの国の昔話でこういうのがあったのを春恵ちゃんがモデルにしたんだって」
そこまで語ってから、今度は菊池がスゥ……と一呼吸ついて、俺へと語り掛けてくる。
「――『この物語が完成したら、お兄ちゃんやお父さんに絶対に見せたい』って、春恵ちゃんが嬉しそうに言っていたから、私てっきり野村君は春恵ちゃんが小説投稿サイトで活動している事や、この昔話が野村君達の家族の思い出として既に知っているのかと思っていたんだけど……違うの?」
悪魔によって、両腕を失くした少女が旅をすることになる話……。
そんな物語には、記憶のどこを探してみても全く心当たりはなかった。
だが、それでも――そんな想いを込めながら、俺は無理に浮かべた苦笑とともに、菊池へと答える。
「小説投稿サイトでの活動も、その悪魔と少女の話も全く知らなかったけど――春恵が俺達に見せたいって言うのなら、俺にはそれがどんな作品なのか、なんとなく分かる気がするよ」
その後は、当初部屋に二人っきりになった時のような気分にはならず、菊池とはこれまでのメンバー同様に当たり障りのないやり取りをしてから、彼女を部屋まで送って解散した。
正直に言えば、菊池の身の上話を聞いた段階ではそういう気分はまだ残っていたし、菊池の方もそういう行為をする前に、少しでも俺に自分の事を分かって欲しくてあぁいう話をし始めたんだと思う。
だけど、菊池から春恵の様子を聞いた瞬間――俺の中から、そんな気持ちは完全に雲散霧消していた。
こうして自室のベッドで天井を見上げながら、ここでのやり取りを思い出す。
『野村君がそういう大事な人のために頑張れるって知って、私も思わず嬉しくなっちゃったんだ』
そんな菊池から言われた言葉が浮かんでくると同時に、俺は春恵だけでなく――菊池とすら向き合う資格がないんじゃないか、という考えが脳内をよぎる。
そうだ。
例え俺がどれほど頑張ったところで、もう守るべきものなんかとっくに壊れているんだ。
……それでも、今の俺に出来る事があるとするなら。
「――これ以上完全に失わないために、俺が“三大脅威”をこの世界から取り除いて、家族を元に戻してみせる……!!」
そのためにも、今は他の余計な事に気を取られている暇なんて――俺に許されるはずがない。
俺はそのように覚悟を決めて、行動を開始する。
そうして、各々の考えで過ごしていた俺達は――ついに、作戦開始の時刻を迎えた。




