密室での秘め事
結論から言うと、大人の階段を昇るという俺の目論見は、即座に崩れ去ることとなった。
「最初に言っておくけど、部屋に招いたからってタケマサの事を男として見ているとか、全くそういうのじゃないから」
開口一番、これまでのハイテンションぶりとは異なるそっけない口調でそのように念押しされてから、森崎の部屋へと足を踏み入れる俺。
物の貸し借りなどで入った事のある妹の部屋を除けば、これが初めてとなる女子の部屋だが……割り当てられてまだ一時間足らずで、インテリアも何も配備されていないため、俺の部屋とほぼ変わらない殺風景な状態だった。
まぁ、最初の発言の時点でそんな空気ではなかったんだが……。
そんな落胆している俺に構うことなく、森崎がブツブツと独りごちながら自室内を物色していた。
「調べた限り、多分ここには盗聴器とかはないと思うんだけど、所詮私の技術も素人に毛が生えたレベルだしな……でも、明らかに監視カメラとかがある他の場所で話すよりかはマシ!……のはず」
森崎はまだ何やら不安そうな表情をしていたが、ふぅ~、と一息ついてから真剣な表情で呆然と立ち尽くしている俺へと向き合う。
「正直言うと、この情報を誰に相談したら良いのかアタシも少し……いや、大分困っちゃってる部分があるんだけどね?とりあえず、タケマサかカッツーがまだ適任だと思うんで、たまたまドキュンコしたタケマサに話すとするね☆――基本的には、ここで知った事は他の皆にはナイショっつー事で!」
カッツ―……って、あぁ、爽やかイケメンで裏がありそうな疑惑のある鰹陀の事か。
それにしても、ドキュンコって……。
まぁ、独自言語が出てくる比率とテンションの高さが明らかに減っているし、森崎も少しだけ俺に対して素で話してくれている、という事だろう。
そう判断した俺は、
「この部屋に入った時点で、そういう類の“勘違い”を俺が森崎に抱くことはないし、森崎の話って奴も出来れば今みたいな調子で頼む」
と、彼女に告げる。
これで森崎がどう思うのかは分からないが、明らかに彼女が話を進めることを優先している以上、特に何の感情も抱いていない俺に対して、無駄に気を遣わせるのは無駄だと思ったのだ。
俺の発言を受けた森崎は、特に不快になった様子もなく、「ん。りょ」とだけ告げながら自身のスマホを操作する。
彼女はスマホの画面から目を逸らすことなく、そのまま話をし始めた。
「この一時間くらいでさ、アタシはこの『糺』の建物内を散策してたんよ。こっちは命がかかった作戦に参加するっていうのに、アタシ等“トリニティ因子”適合者側ってまだまだ何の情報も知らなさすぎるっていうか。……だから、アタシはそういう目ぼしい情報がないか、与えられるだけじゃなくて自分で調べよう!と思って、それらしい場所に忍び込むことにした……っていうわけ」
……忍び込む?
途中までは確かに森崎の話に頷ける部分もあったのだが、最後の最後でなんか不穏なワードが飛び出してきたぞ?
そんな思考がアリアリと浮かんだ俺の表情になど目もくれず、なおもスマホを拘束の指さばきで操作しながら森崎は話を続ける。
「あの天祐堂総司令が言っていた『赤き教典』が保管されていそうな場所は、物凄く警備が厳重過ぎてこりゃ無理そうだな~と引き返したんだけど、代わりに総司令の部屋でとんでもない資料が山ほど見つかったんよ」
「ッ!?えっ!さらりととんでもないこと言ってるけど、何してんだお前!?」
思わずお前呼ばわりしてしまったが、流石にそれも仕方ないはずだ。
この『糺』という組織のトップの部屋に侵入して情報を盗み出したなんてことがバレたら、いくら“トリニティ因子”適合者であっても、何らかの処罰があったとしても不思議じゃない。
下手したらその事を知った俺すらも、森崎同様に同じ処分を受けるかもしれないのだ――!!
冗談じゃない。
俺は、家族や店のためにも絶対にこの作戦を成功させなきゃならないってのに、森崎が勝手にやらかしたに巻き込まれる形で、まさか参加する前に終了することになるかもしれないなんて……!!
「ふざけんなッ!?……森崎、自分が何をしたのか分かって――」
森崎に詰め寄ろうとした瞬間に、眼前にスッと森崎のスマホが突きつけられる。
最初はそこに何が書いてあるのか分からなかったが、少しばかり時間をかけて読み解くうちに、俺はこれまでとは異なる驚愕の感情に、全身が支配されていく――!!
森崎のスマホの画面に映っていたのは、森崎によって撮影されたと思われる手書きの資料だった。
これはどうやら、ゆかりさんが翻訳した『赤き教典』からの知識をまとめたものらしい。
確かにそこには、魔王:“イビル・コンニャク”や制御不能の暴走ブラック企業:“デスマリンチ”の情報が、会議室で俺達に教えてくれた通りの事が記されていたが――俺は、次に映し出された項目で自身の目を疑った。
順番で言えば当然の如く、認識汚染現象:“アルクラ”についてである。
“アルクラ”によって引き起こされる現象は簡単に言ってしまうと、原因も分からないまま世界の人口の半分近くが理性を失うが、それらは全て半日経過すれば完全に効果がなくなる。
その効果が延々と世界規模の人間に作用し続ける……という、確かに長期的に見れば脅威に違いない代物だが、目下の意味では魔王やブラック企業に比べれば、遙かに優先度の低い脅威であるはずだった。
だがスマホに映っていた天祐堂総司令の資料に記載されていたのは、俺達が聞かされたのとは全く異なるものだった。
「……これらの現象はあくまで第一段階、とでもいうべき状態に過ぎない。――この現象は、日にちが進むごとに深刻なものへと発展していく。
――第二段階、7日目で眷属と化した者達の大幅な身体能力の上昇、まれに肉体そのものの変質。これらの影響は、半日が経過して理性が戻ったとしても、そのまま変わらずに残り続ける。
――第三段階、14日目でアルクラの“眷属”と化した際にも、はっきりとした知性を獲得する。だがそれは、元の人格とは大きく異なっているうえに、その人物が本来生活してきた既存の社会の価値観から大きく逸脱した物理法則・社会通念を当然のものとして認識しており、その世界の如何なる時代・地域においても存在しないはずの不可解な言語を話し始めるようになる。
この効果は半日が経過して元の人格に戻っても、本人の中では“知識”として鮮明に残り続ける。この段階に至った人物は、眷属化していない時以外、常に意識が混濁するような状況に曝され続けることとなる。
――第四段階、21日目で眷属化した際に、“異能”や“魔術”としか形容出来ない能力を発現し、それを使用出来るようになる。この効果は元に戻ったあとも僅かながら残り、数日を経て眷属化した時と変わらない習熟度でそれらの能力を行使出来るようになる。
この段階になると、元の人格はほとんど見られず、眷属化した時との区別が全くつかなくなる。
――第五段階、アルクラが発生してから約一か月後で、眷属化した人間だけでなく、周囲の動植物までもが生態系の進化の過程から大幅に逸脱した姿に変貌し、第四段階の眷属同様に特異な能力を使用したり、性質を持った種類や個体の者が出現し始める。また、物理法則も既存の在り方とは概念レベルで異なるものになっており、さらには元の世界でそれまで使用されていた文字や言語は、この段階で生きている者には一切認識出来なくなる。
……“世界は観測する者によって成り立つ”という事なのか?ここまで来ると認識汚染ではなく、存在改変の領域としか言いようがない。
(ここからは乱雑な手記で)アルクラ発生の第一段階で、眷属と化した者達が周囲の建物を手当たり次第に破壊するのは、その世界の文化を消し去るための地ならし?
推測の域を出ない話になるが、アルクラは未知の生物や異常現象ではなく、異なる世界間を認識出来るような何者かが、地球のような他の世界そのものを自分達にとって都合よく適した環境に塗り替えるためのプログラム、もしくはその欠陥品ないし未完の代物なのではないか?
↑本来なら、眷属化とそれ以外の人間に分かれて混乱を招くよりも、それだけの性能があるなら、世界中の人間を全てアルクラの支配下に置いてから、一月の時間をかけて変貌させてしまえばスムーズにいくはず……いや、混乱を引き起こしてその世界の人間同士に争いを起こさせ、自分達が管理しやすくなるように、ある程度まで人口を減らすのが狙いか?
……玖磨臥崎顧問に『赤き教典』の解読を急がせているが……我々には、あまりにも“アルクラ”の情報が足りていない……」




