お母さんへの手紙
人生の折り返し地点に立ち、ふとわたしはお母さんへの手紙を書こうと思い至った。
だが、お母さんへと書いたところで筆が止まってしまった。何を書いて良いのかわからなかったのである。
どうしてか。
答えは簡単である。
わたしはお母さんのことをまったく知らなかったから。
お母さんとはわたしがまだ喋りだす前の赤ちゃんの頃にお別れをしている。
遠い遠い雲の上にお母さんは旅立ってしまった。
そこからはお父さんと二人っきりでもないが、色々な手助けを借りて暮らしてきた。おばちゃんや、おばあちゃん。わたしの周りの大人や従兄弟は優しかった。明るい笑顔を向けてくれていたように思う。
その記憶しか、わたしにはない。
幼いわたしを見て、父は思ったそうだ。母親がいる方がいいだろうと。
口下手な父はその後、わたしが記憶のないうちに再婚をする。しかし、新しいお母さんは小学校に上がる前にいなくなってしまった。
わたしは泣いたらしい。
一度だけ。
お母さん、と。
だけど、今のわたしには、それすら記憶にない。幼かったから、といってしまえばそれまでだろうが、新しい母のことは名前しか覚えていないのだから、我ながら忘れっぽいと思ってしまう。
でも、そんな経験をしたくなかったからだろうか。
わたしにとって、お母さんとは透明の存在になった。
まるで物語の世界の住人。
現実味がなく、不思議な存在になってしまった。
そんな私なので、友達のお母さんを見ても、いいなー、とか。羨ましいなー、とか。なんで、わたしにはお母さんがいないのだろう、とか。
全く思わなかった。
卑屈になっていたわけではない。
本当に透明の存在になってしまったのだ。
そんなある意味図太い神経の持ち主になってしまったわたしに周りは同情の目を寄せていた。
友達のお母さんはとても親切だったし、父に再婚を促すようなことを言う人もいた。
口下手な父は苦笑していたが、この子に母親を、という思いはあったと、大人になってから告白されたこともある。
しかし、当時のわたしはそんな父への再婚を促すような話に困惑していた。
わたし自身、母がちっとも欲しくはなかったからだ。
わたしの普通は父と二人。それが当たり前だったのだ。
「○○○ちゃんがお母さんがほしいと思わないとー」とか、面と向かって言われたこともある。酔っぱらってたし、お酒の席のぶっちゃけ話の一つだったんだろう。
しかし、思春期に入り、尖っていたわたしは「えー……欲しくありませんよ」と、つい、言ってしまった。
ははは、そーですねーとか、受け流すスキルを持ち合わせていなかったわたしは反発してしまったのだ。
意固地になるわたしに口下手な父は何も言わなかった。
その後、再婚話は出たり出なかったり、思春期のとんがりを過ぎたわたしは「お父さんがよいなら、わたしは何も反対しないよ」というスタンスを貫いた。
選ぶ立場にあると周りは言うけれど、選ぶのは、父だしなぁ……と、母親というものがよく分かっていなかったわたしは、そう言うしかなかったのだ。察してほしいとも言えずに、父親の好きにさせていた。
あまりにもわたしが淡々としているので、はっちゃけた父が彼女と会わせたこともある。初対面なのに、父不在。娘と彼女に丸投げすぎやしないかと、振り返ると苦笑いしか出ない。
父は口下手で、おまけに察しがちょっと悪かった。そこは橋渡ししろよ、と今なら言えるのだが、大人になりかけのわたしにはそこまで頭が回らなかった。
わたしにどう接してよいか分からない彼女と、同じくどうしていいかわからないわたし。
彼女と二人でお昼になりカップラーメンをすすったのは珍妙な思い出の一つだ。
ちなみに父は彼女にフラれた。次にできた彼女にもフラれている。「フラれちゃったよお」と笑い話にする父だったが、「残念だったね」としか言えなかった。
娘としては、フラれまくる父の話なんてあまり聞きたくないものである。
父のポンコツ話をするときりがないのでここら辺でやめるが、要するにわたしは母親という存在を意識するわけでもなく過ごしていたのだ。
では、なぜ、いまになって手紙を書こうと思ったのか。
それは、わたしが母親になったからである。
子育てとは死闘である。
赤子をもつ母親は睡眠をすり減らして戦っている。キラキラ笑顔をよく見てほしい。目は死んでないか。無理してハイテンションになっていないかと。
ポンコツ父の元へ帰っても、父と赤子のお世話で死ぬ。
なんとなくそう悟ったわたしは、里帰り出産はせずに、退院したら赤子のお世話に奮闘した。そして、子供が小学生になっても死闘は続いている。ちなみに子供は男の子である。
兄弟もいなく男の子という生態がよく分からないわたしは、子供の接し方に悩みが多い。
「男の子は理解しようと思うな。カブトムシだと思って、好きなだけ放牧しろ」と先輩ママさんに言われても、「そういうものですかね」しか言えない現状である。
旦那は子育てをしてくれる人だ。色々と助けてくれる。彼、いわく「中学生になったら、男なんてくそ生意気になるんだぞ? ほっぺにちゅうさせてくれる今、楽しまなくていつ楽しむんだ」らしい。
子供が赤ちゃん時代は、デレデレしておふろもおむつ変えも、抱っこも積極的にしてくれた。
彼は子供好きだ。そんな彼だからわたしは母親になれたと思っている。
わたしは母親を知らなかったから、母親になる自信はなかった。それ以前に結婚願望すらなかった。
父と母がいる家庭を作る自分というのがイメージできなかったのだ。
そんなわたしを取っ捕まえた旦那は、わたしの事情をくみ取ってくれた。十二年かけて付き合って、結婚。
わたしは美人でもないし、どこか達観している可愛げのない性格だ。しかも結婚したいとも思わない。子供好きな彼から見たら、メリットの少ない女。
わたしの一体、何がよかったの?と彼に聞いたことがある。
「付き合うと決めたら、結婚すると決めていた。結婚を考えずにセックスができるか。子供ができたらどうするんだ」と、バカかお前はみたいに言われた。
「じゃあ、セックスがしたいから結婚するの?」と聞くと、「違う!好きだからだ!」とすごく叱られた。男心は難しいと感じたものである。
だが、わたしはこの旦那でよかったと思っている。
たぶん、とても、幸せだ。
子供への接し方の難しさを日々、感じているわたしは、ふとお母さんのことを思い出した。
わたしもひどく泣く赤子だったらしいので、その頃の話とか聞きたくなったのである。
ずっと、ずっと。
透明だった母親という存在が、やっと現実の人になった。
宛名しか書いていない白い便箋を見る。
わたしは色々なことを思い出しながら筆をとった。
手紙は短く、二行しか書けなかった。
お母さんへ
わたしは、お母さんに会いたいです。
会って、色々な話をしてみたいです。
二行しかない手紙を丁寧に白い封筒に入れる。さて、どうやって届けようか。
魔法とか使えば簡単そうだが、あいにくわたしは生身の人間である。なら、風船にくくりつけて飛ばしてみようか。もしくは、ボトルシップにするのもいいかもしれない。
お墓の前に置くのは……なんか、重そうだし、最終手段にしておこう。
わたしは白い封筒を見つめて笑う。
透明だったお母さんの世界とわたしの世界が、ひとつづきになったように感じて。
ただ、ただ嬉しかったのである。