エレベーター
四月も下旬に近づき、児童達も新しいクラスになじんだ頃、僕のクラスでは変な噂がはやっていた。
「ほんとだって。お姉ちゃんに聞いたけど、隣町の子がいなくなっちゃったんだってさ。『人食いおじさん』に連れてかれちゃったらしいよ」
「俺も聞いたことある。けど、おじさんじゃなくって、ヒョロッと痩せた兄ちゃんだって聞いたぜ。駅までの道、聞いてくるんだって。道を教えたヤツ、まだ行方不明らしいよ」
「嘘だよ、それ、女だよ。『人食い姉さん』白い服着て、キラキラ光る派手なネイルしてるんだって。呼び止めて、自分のことキレイか聞くんだって」
「あはは、それって、口裂け女じゃん」
いつの時代にもよくある『学校の怪談』だろう。それにしても、四月とは随分はやい時期に流行ったものだ。大方、児童達が寄り道等しないよう、知らない人についていかないよう、誰かが作り出したのだろう。あるいはただ面白半分で流した、たちの悪いイタズラか……。
いずれにせよ、怖がらせるには逆効果のようだ。現に、今もこの子達は嬉々として人食いおじさんだか兄ちゃんだかの話で盛り上がってるのだから。
「先生は見たことある? 男だった? 女だった?」
「女だったらさー、カノジョになってもらいなよ」
どうやら僕を巻き込んで、まだ盛り上がるつもりらしい。苦笑しながら、児童達に呼び掛けた。
「怪談話で盛り上がるのも良いが、そろそろ帰りなさい。本当に、その人食いおじさんだかおばさんだかが出ても知らんぞ」
その言葉に、児童達は素直に荷物をまとめ、帰り支度をはじめた。まったく怪談話さまさまだ。
「人食いの話ですか……。ああ、さっき先生のクラスで児童達が話してましたね」
子供は怪談やホラー漫画なんか、好きですからねぇ、と同僚は笑った。
「他の学校でも、はやってるらしいですよ。この間、女の先生同士で飲み会したんですけど、偶々その話になって。なんでも、人食いって言っても本当に人を食べるとか、噛みつくとかじゃなくって、それに出会った人は、消えてしまうんですって。でもねえ、」
同僚は、そこで言葉を切った。
「あまり、面白半分に話さないほうがいいと思うんですよ。本当に隣町で一人、行方不明になった人がいるんです。二十代の、女の子ですけどね」
まさか、怪談が現実になったわけじゃないと思いますけど。そう同僚は結んだが、その口調は僅かに震えていた。
隣町の行方不明者の事は地方新聞にも載った為、知っていた。眼鏡をかけた幼い顔立ちの女性で、大学卒業を目前にひかえていたという。とくに治安が悪い所ではないため当初は、こんな若い子が失踪かと、かなり騒がれたものだ。
「ただの怪談だと面白がっているうちは、いいんですけどね……」
あれから数ヵ月たち、例の怪談話も稀にしか聞かれなくなった頃、それは起こった。
僕の住むアパートにはエレベーターがあり、ほぼ毎日利用している。その日もいつものように、そのエレベーターに乗り込んだときだった。
(あれ、人がいる)
真冬に着るような、厚手の白いセーターを着た若い女性が一人、佇むように立っていた。長い前髪で顔が隠れぎみな為、表情はわからない。
先客がいるなんて珍しい事ではないが、目の前にいる彼女はまったく見知らぬ人であり、あまりじろじろ見るのは失礼だと思い、その後互いに声をかけることはなかったが、もやもやとした疑念が残った。
(普通に考えれば、アパートの誰かの知合いが泊まりに来たか何かだよな……。でも、何かおかしい……)
最下層に着いても、降りようともせず、じっとそこに立ったままだったので、たまらず声をかける。
「あの、降りないんですか?」
それには答えず、彼女は唇だけに、うっすらと笑みを浮かべ手を振った。
(気味の悪い、女の子だな……)
すこし、可哀想な子なのかもしれない。そう考えながら、足早にその場を去った。
その数日後の事だ。帰宅するとエレベーターの中にまた、あの女性が佇んでいた。
(またか……。しかもこの間とまったく同じ格好だ。暑くないんだろうか)
梅雨真っ只中の蒸し暑い夜にもかかわらず、彼女は汗一つかいていなかった。
気味が悪いが、疲れもあって階段を使う気になれなかったので、そのまま乗り込んだ。部屋の階数を押し、早く着いてくれと願っていたその時、背後から声が聞こえた。
「すみません……。そこのボタン……五階を押してくれませんか?」
「え? は、はい。五階で、いいんですか?」
手の届かない位置でもないのに、変なことを言うものだと、そのときは思った。
「あたしは、さわれなくて。あなたが乗る前に、他の人にも頼んでみたけど、だれも、きいてくれなくて」
きっと余程の潔癖症か、引っ込み思案なのだろう。あのとき佇んでいたのも、途方にくれていただけだったのかもしれない。
気味悪いなんて思ってしまった事に少しばかり罪悪感を抱きながら、言われるままに押してやると、彼女はゆっくりと顔を上げて僕を見た。
「やっぱり、あたしがみえてるんだ」
その顔は、眼球がなかった。目があるべき部分は、黒く深い虚のようだ。
「やっぱりあなたはみえるんだ。だからみんな、おこってるんだ」
彼女は笑っていた。まるで、これから起こることが心底楽しくてたまらないと言うように、眼球の無い顔で、嘲るように笑っていた。
「ここにはね、たくさんいるのよ。はなしをきいてもらいたいひとたちが、たぁくさんいるのよ」
「嘘を……嘘を言うな! あんた、おかしいんじゃないのか!」
逃げ場の無い密室内で、意味のなさない後退りをしながら、僕は叫んだ。扉に、体がぶつかる。
頼む、早く着いてくれ。早く開いてくれ!
狂ったように扉を引っ掻く僕の首に、そいつはゆっくりと腕を伸ばした。やけにキラキラと光る爪が視界の隅に映り……。
「あなたも仲間になるのよ。あなたもこっちにくれば、みぃんなのはなしをきいてくれるよね……」
虚ろに響く声のなか、僕は見た。どす黒いもやのようなものに包まれた、エレベーターの中を埋め尽くすほど沢山の人を。中年の男性、痩せた若い男、子供もいた。皆一様に、こちらを睨み付けている。
『あんた、みえてるんだろ……』
『見えるのに、なんで無視するんだ……』
『話をきいてよ……』
眼鏡をかけた幼い顔立ちの女性も、そこにいた。行方不明になった隣町の女性だと気付くと同時に、僕の意識は途切れた……。
「人食いおじさんだか姉さんだかの噂あったじゃん、あれさ、話しかけられて相手したら、ヤバいらしいよ……」