花妖精メル
「あれ…司教さま。帰るんじゃなかったんですか?こっちは村長さまの屋敷と反対ですよっ」
教会を後にしたバイロンは、勝手にどんどん人気のない村はずれに向かって歩きだす。
「知ってます。こちらは確か墓地でしたね」
「知ってるならなんでそんな場所に…」
するとバイロンは立ち止まり、眼鏡のブリッジを指で押し上げた。
「どうもこの村の方々は正直ではない。ならばこの地で眠る犠牲者に直接聞きます」
「んなっ…!正気ですか司教さま」
アンリは耳を疑った。
それが聖職者の言う事なのだろうか。
しかしバイロンはどうやら本気のようだ。
いつの間にかもう辺りは夕闇が迫り、そろそろ何か出てもおかしくない雰囲気に包まれている。
「怖いですか?黒き森の悪魔さん」
「な…何で……知ってたんだ。私の事」
こんな時にいきなり自分の通り名を言い当てられてアンリは思いきり動揺した。
彼は最初からアンリの事情を知っていたのだ。
それが今更分かって、どうも悔しい。
「そんな事より先客さんがいらしたようですよ」
話しながら歩いているうちに、いつの間にか二人は村はずれの墓地に足を踏み入れていた。
薄暗い墓地は湿った風が漂い、全体的に寒々としている。
バイロンの示す先には、十字の墓石の一部が歪な形に隆起した辺りだった。
「な…何だあれ。墓の下に何かいる…?」
「あれは霊魂ですね」
「霊魂だって?」
土が隆起した部分は次第に大きくなり、ぼこぼこと奇妙な音を発し始めた。
それでもバイロンは落ち着いたもので、余裕で腕組みをしている。
「アンリは下がっていなさい。危険ですよ」
「下がっていろって言われたって…。私はこの村の守護です。これを黙って見ている事は出来ません」
アンリはバイロンの前に立って、戦闘態勢を取るが、それは片手で止められる。
「駄目です。下がっていなさい。貴女はここで転化するわけにはいかないでしょう?」
その言葉にアンリの動きが止まった。
そう。ここは村の中なのだ。森ではない。
ここで転化した姿を村人に見られる事は避けたかった。
「私…私は………」
言葉を失ったアンリをバイロンは手を引いて墓地の外に連れ出す。そして自分は再び墓地の中に入っていった。
去り際、バイロンは立ち止まり口笛を吹く。
「メル。いますか?」
バイロンはまるで空中に語りかけるように何もない空間に話しかけた。
するとすぐに可愛らしい女の子の声が返ってくる。
「はいでし!メルはいつもファーターのお側に」
次の瞬間にはバイロンの前に小さな女の子が立っていた。
身長は130センチくらい。年齢は7歳か8歳くらいといったところか。淡い透けるような薄桃色の髪と、紅色の大きな瞳が愛らしい少女だった。
まだ幼いながらも人目を惹く美しさを持っている。
しかしすぐにアンリは少女に異変を感じた。
「は…羽?羽が生えているっ」
少女の小さな背中には半透明のセロファンのような翼が生えていた。
それを見てアンリはまたもや言葉を失う。
「おやおや。ご自分だって立派な翼をお持ちでしょうに」
「メル、花妖精なんでし。初めまして。お姉ちゃん。メルはバイロンファーターにお姉ちゃんをお守りするようお願いされました」
アンリは呆れた表情のバイロンと、瞳をキラキラさせて自己紹介を始めるメルとを交互に見た。
「ではメル。後は頼みましたよ」
「はいでし。しっかりとお姉ちゃんをお守りしますでし」
バイロンの言葉にメルは張り切って両手を振り回した。
「あ…あの……」
「あ、お姉ちゃん。メルはこれよりここに結界を張ります。危ないからここから出ないようにして下さい」
そう言うとメルはどこから取り出したのか、小枝を手にすると地面に複雑な文様を描き始めた。それをぐるりとアンリと自分が中心に来るように囲む。
「はい。ばっちりでし」
「ご苦労。メル」
それを見届けてバイロンは墓地に向かって行った。
「あっ!司教さまっ」
事態が掴めずに思わず叫ぶが、バイロンの姿は墓地の向こうへと消えていった。